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積み重ねられた文化に接続し、その上にモノを作るということ。

「茶の湯の道具を鑑賞し、味わうということは如何なることか。」

こういったことを誰かから具体的に教わることはほとんどないと思います。
茶道のお稽古の場では、意図的にそういったことを語ることは避けられていると思います。それは、本来、誰かから直接的に教えられることではなく、時間を掛けて、師や先輩諸氏の会話を聞き、体感を通して、理解し、体得していくものだからでしょう。
しかしながら、そのことが茶の湯に親しんだことのある人と、そうでない人に、それを鑑賞するということに対する意識の断絶を生んでいるように感じ、茶の湯の道具を作るものとして、少しでもその道具を鑑賞する面白さ。が多くの人に伝わればと思い
その一部として

「作り手は何を考えて作っているのか。」

を、ご紹介させて頂きたく思います。


まずは、純粋に素晴らしいと感じられるものを作りたい。
という欲求があります。
作り手として、それを鑑賞する際に、予備知識がある方も、ない方も、「美しい」「素晴らしい」と感じて頂けるような、力を持ったモノ。そういったものを作りたい。と願ってやまないです。
古来より素晴らしいとされる道具は、やはりオーラのように人を惹きつける魅力を宿しているように思います。それはお茶の道具に限らず、アート作品や工芸作品といったものにも通じると思いますが、
自分が作るものにも、そういった力のあるものを。
と願い、自分の技を磨き、魂を込めて、作ります。
ですので、道具を前にして、まずその道具に心惹かれるような魅力があるか。そう自分に問いながら見てもらう。直感で観る。というのは、鑑賞の第一歩だと思います。

しかしながら、茶の湯の道具の面白いところは多くの場合、その直感で観るところに留まらないことです。
多くの場合、作り手は、今まで積み上げられてきた茶の湯の文化のレイヤーを前に、それを如何に自分の作るモノに接続させるか。ということを考えてモノを作っていきます。

どういうことか、写真の私の作品である「月白釉銀彩市松 皆具」を例にしますと
まずは何故、市松文様なのか?
端的に言うと、それは小堀遠州が好んだ柄だからです。市松文様という呼び方は遠州の時代にはされていませんが、石畳紋と呼ばれる文様を遠州は好みました。朝日焼は、遠州七窯と呼ばれるように、小堀遠州の指導した窯の一つであり、遠州の美意識は朝日焼にとって大きな指針であります。
ですから、市松文様を選択することは、小堀遠州の美意識のうえにモノを作っているということの暗示になります。そして、水色×白(この作品では銀ですが)の市松文様で想起するものは建築好きの方であれば、すぐに桂離宮の松琴亭を思い浮かべられると思います。桂離宮が遠州の手によって作られたものかは分かりませんが、そこに遠州の美意識が反映されていることは間違いないかと思います。
「月白釉銀彩市松」の市松文様は単なる文様でなく
「小堀遠州、桂離宮の松琴亭、朝日焼」という、積み重ねれた文化のレイヤーに接続する意匠なのです。

 そして、小堀遠州の美意識を語る上で、「綺麗寂び」という言葉は外すことは出来ません。この「綺麗寂び」については、また別の機会にしっかりと深めて書いていきたいと思いますが、私がどう捉えているのかを簡潔に書くと、千利休の「侘び寂び」と、「綺麗」という華やさ。という要素を併せ持つ感覚です。利休以後、本流となった「侘び」や「寂び」の部分はしっかりと持ちながらも、江戸時代という新しい武家社会の到来により、彼らが好む「華やかさ」や「明るさ」が取り入れられたのだと思います。そこに「軽やかさ」「都会的」という要素もあるように感じます。
 遠州の美意識が規範となる朝日焼ですから、「綺麗寂び」が朝日焼の根底にも綺麗寂びが流れています。そこで、この「月白釉銀彩市松 皆具」ですが、月白釉の水色がそもそも非常に鮮やかで華やかな色合い。そこに煌びやかな銀彩では、「綺麗」はあっても「寂び」が存在しない。ですから、銀彩を通常とは異なる手法で行っています。通常、銀彩は釉薬の上に施す技法ですが、この作品では、釉薬のない焼き締まった素地の上に直接施しています。そうすることで素地が銀を吸ってしまいますので、ムラが出る。銀の部分は金属的な光沢感のあるところと、かなり素地が吸ってしまった結果、白っぽくて土の表情がまだ読み取れるような部分が混在します。このような表情が「綺麗」にとどまらず「寂び」に通ずるのでなないかと、この技法を選択しました。

 一つの作品を作る際に、様々なことを考えますし、この作品についても書ききれないことがまだまだありますが、積み重ねられた文化のレイヤーに接続し、その上にモノを作っていく。ということについて少しでも感じて頂けたら嬉しく思います。
 もちろん知識などなくても楽しんで、感動してもらえる作品を作りたい。でも茶の湯の道具の楽しみは、それ以外にもあるということを知っていただくと、茶の湯、茶道というものをもっと楽しんで頂けるのではないか。
 実際、作り手としては、こんなことを考えてます。というご紹介でした。
長文を読んで頂いて、有難うございました。

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