私の親離れ記(大学院受験編)

 さて、こうして私は晴れて大学生になり、新生活のスタートを切ったわけだ。私自身ははじめての一人暮らし、はじめての大学の講義など、初めてづくしだったわけで、日々のやるべきことを処理するだけで精一杯だった。将来の進路を考える余裕など私自身は全くなかった。そんないっぱいっぱいの私に代わって、娘のこれからを本人以上に考えていたのが、私の母だった。両親が私の出身大学をおもわしく思っていなかったことは、前にも触れたが、実際私が進学を決心した後、2人は全く異なる考え方をするようになった。今まで事あることに部活を辞めて勉強に時間を割くように、と口うるさく言ってきた父は、「もう娘も大きくなったのだから、彼女が思う方へ進めばいい」と放任的な考えになっていた。それに対して、今まで父と比べて圧倒的に私の肩を持つことが多かった母の方が「ホルンちゃん、大学院でいいところに行けば挽回できるんだから。必ず都内の大学院に戻ってきてね」と度々言うようになっていた。

 大学生活を満喫していた私は最初の1,2年間は「また母がなんか言ってんなー」くらいにしか思っておらず、全く相手にいていなかった。母は、「〇〇大学(後に私が進学する大学院)には、中国の清華大学と交換留学するプログラムもあるのよ!」など、娘をその気にさせることに必死だったのにも関わらず、聞き流されてやきもきしていたと思う。そんな私の考え方を変えたのは、母の必死さではなく、中国からの留学生Dちゃんの発言だった。当時Dちゃんをかなりリスペクトしていた私は、彼女の「清華大学とか超クールじゃん!私の友達に清華大学生がいるってかなりやばい!」。その一言で俄然やる気になったわけである。どうやら私はただの単細胞動物であったようだ。

 両親には申し訳ないが、Dちゃんの一言のパワーが母の数年間の小言より強かったのだ。それから私の大学院勉強が始まるわけだが、具体的にどんな勉強をしたのかは、趣旨ではないため省こうと思う。しかし、大枠を話しておくと、大学院受験勉強は辛酸を極めた。華やかしい合格の前に、私は半年間自分のメンタルを根本から叩き直されることになったのだ。勉強を始めた頃、私にとってもっとも辛かったのは、不合格になったときのことを考えることだった。受験勉強に研究の時間を割いていたため、毎週のゼミで何も成果を発表できないのが通常運転であった。そんな中で、周りの同期が研究にたっぷりと時間を費やせる様子がうらやましかったし、実態はどうであれ、何歩も先を行かれているように感じた。中盤は、勉強をストップして受験をあきらめよう、という思いが何度も頭をよぎり、しかし、今まで勉強してきた分がもったいない、という気持ちが私を踏みとどまらせてくれいた。

 一人暮らしを始めてから、私は毎日母と電話をしていたが、この期間は特に長電話をする回数が多かったと思う。母に「辛い~、やめたい~」とぐちぐちこぼしていた記憶がある。私の負の感情に影響されて、母も気持ちが落ち込んだ時期があるだろう。実際辛い気持ちを他の人、ここでは母、に話すことでどれだけ私の気持ちが軽くなったかは定かではない。しかし、私は自分の辛さを軽減する以上に、母にも私と同じように苦しんでほしい、という思いが強かったと思う。なぜなら、当時私はこんなつらい毎日を送らないといけないのは、母が「外部の大学院を受験しよう」と言い出したからだ!と責任を全て転嫁していたのだ。

 母は、私からの電話を鬱陶しがる様子は私には見せなかったが、実際どのように思っていたのだろうか、今度聞いてみることにしよう。母より先に私からの精神的攻撃に参ったのは、父の方で、しきりに「辛いようなら、やめたら?」と言ってきた。私も意地っ張りな人間で、「じゃあいいですよ、やめても」と言われても、素直に言うことを聞ける性格ではなかった。結局最後の方は半ば惰性で私は半年間の勉強のゴール、つまり受験当日を迎えることになる。

 どこかふわふわとした足取りで受験会場に入り、午前と午後の試験を受け終えた私の頭に浮かんだのは、こりぁ確実に落ちたな、だった。朝より一層悪化したようなふわふわな足取りで駅に着いた私は、電車を待ちながら、母に「落ちたわー」と電話を入れた。母は、何問中何問解けたの?難しかった?など事細かに聞いてきたが、ガッカリした口調ではなかったように記憶している。正直私を筆頭に、わが家族は、今回の受験で私が合格できるとは初めからほんの1mmも考えていなかったのだ。それほど現在の私の大学院は、一家にとって高嶺の花だったし、異次元に頭がよい人しか通えないと思い込んでいた。

 記念受験に3万円と学部4年前期の半年間を費やしたことに、軽い虚しさを感じていた私だったが、合格発表の日が訪れた。あまり事細かに覚えていないが、どうやら事前に伝えられていた合格発表の時間よりだいぶ先に、大学のHPに合格者の受験番号が張り出されていたようだ。時間ぴったりにアクセスが集中してWebサイトがパンクするのを防ぐための工夫かもしれない。こんな配慮を想定していたとも思えないが、母はワンチャン、という精神で、時間より前にアクセスして、その中から私の番号を見つけたのであった。そのため、私は母からの電話で、自分が筆記試験を通過したことを知ったのだった。そのあと、私から父に電話をしたのだったが、父は電話先でほとんど泣いてた。父よりよっぽど苦労したはずの私も母も泣いていなかったので、多少腑に落ちない気持ちだったが、私のことで喜んでくれるのは、素直にうれしかった。全くの余談になるが、私は嬉しくて泣いたことがない。どうやら人間の涙は気持ちを落ち着かせてくれる成分が含まれ、強くうれしい、悲しい、感動など、異常な感情の高ぶりを感じた時に、体がダメージを受けないように分泌されるらしい。

 無事に面接も通過し、私は晴れて今の大学院に進学することが決定するのである。父と母をあれほど喜ばせることができたのは、誕生以降はじめてのことではなかろうか?

次回恋活編につづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?