エキストラ
※縦書きリンクはこちらから https://drive.google.com/open?id=17IYELd49YfvLd2-xX-SeoTFsN9M0-s2Y
その頃私は、当て所もない時期だった。無為に日々を消費していた。自分の薄皮を自分でゆっくり剥いていくような、うっすらとした痛み、確実な消耗だけがあった。いつまでこんな風に息を吸っていられるのだろう、という漠然とした不安があった。
夕方駅を降りると、人だかりが出来ていた。最初、事故でもあったのだろうと思った。何か赤いものが床に散らばっているように見えたのだ。
それは映画の撮影だった。テレビドラマかもしれない。あるいはミュージックビデオかも。とにかく何かの撮影で、照明やカメラを持った人々が、人でできた輪の少し内側にいるのが見て取れた。線路に沿ったフェンスの下に、テントや大きな車が停まっている。
することもなかったので、足を止めてそれを眺めていた。最初はその人だかり自体を眺めていたつもりだったけど、私の後ろでも次々人が足を止めて、あっという間に私も輪の一部になった。どこからどこまでが野次馬で、どこからどこまでがエキストラなのかわからなかった。
人だかりの中心に、どこかで見覚えのある顔の女がコートを着て立っていた。まだコートを着るような季節ではないのに。女は誰も寄せ付けない雰囲気で腕を組み、アスファルトの上を眺めていた。表情は暗いとしか思えなかった。思い詰めている。途方に暮れている。
周りのざわめきが、彼女を孤独にしているようにも思えた。
「本番!」
頭上から声が聞こえると、周りは一瞬で静かになった。車も電車も通らなくなった。
ここだけ違う場所になったみたいだった。
私は言われた通り、持っていたガラスの花瓶を地面に落とした。
花瓶は大きな音を立てて割れ、ガラスの破片が飛び散った。
はっとした表情で、コートを着た女がこちらを見やった。
周りの人々もみんなこっちを見ていた。
ごめんなさいと私は謝り、しゃがんで割れたガラスの破片を拾い集めた。
すべてが、一瞬のことだった。
「カット!」
女は泣いていて、私も泣いていた。
「あなたまで泣かなくても」と、監督が言った。宥めるような口調だったけど、面倒臭がっているのが私にはわかった。
家に着いた後も涙を止めることができなかったが、自分が泣いている理由がよくわからなかった。どうして私が泣く必要があり、どうして私がガラスを割る必要があったのか?
ただそこにあるのは理不尽さだけだった。
その後も、それが何の撮影だったのか私は知らない。
撮影でなかった可能性もある、と私は思っている。
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