エイリアンズ_demo_

エイリアンズ/2

※縦書きリンクはこちらから https://drive.google.com/open?id=13RLg2BsBK6m0Q3GBCx1RSmWYFB76CsqR



 その島で空を見上げると、どこにいても、クレーンがコンテナを吊り上げている姿が目に入りました。青空に浮かぶ錆色や臙脂色の箱に、一体どんなものがどれくらい積み込まれているのか、全く想像もつきませんでした。何だかその箱そのものに、深い意味があるような感じがしていました。埠頭にその箱が無数に並び、積み上げられているのを見ると、一つ一つが細胞であるようにも見えました。あるいは、車に積まれて運ばれていくところを見ると、中に人でも住んでいるのではないかと思えました。まだ本当の意味では生まれていない人間が、四方の壁が同時に外側に倒れて、新しい世界が開けるのを待っているのです。そんなようなことを想像しながら、ぐるぐるぐるぐる、島の中をひねもす歩きました。他にやることがなかったからでしょう。

 護岸沿いの一辺を端から端まで歩いて、一時間と少ししかかからない小さな島です。ぐるりと一周歩いても、数時間で元の場所まで戻って来られます。

 大きな道と、大きくて四角い建物しかありません。ウィンドウズ98で作ったみたいな、のっぺりとしたテクスチャの街並み。あんなに歩いたのに、人が生身で歩いているのとすれ違った記憶があまりありません。みんな車に乗って移動していたからでしょう。昔見たゾンビ映画のオープニングの映像とオーバーラップしてしまうくらい閑散とした街並みでした。建物や人や車よりも、その静かで扁平な道の方がずっと存在感があるのです。
 島内に暇をつぶすような場所はほとんどありません。工場と倉庫。小高い砂利の山と重機。それがその島の風景でした。飲食の出来る商業施設や観光スポットもないことはありませんが、お世辞にも繁盛しているとは言えません。それはあくまで島外からやってくる人に向けられたもので、何度も何度も通うような店ではないのです。その癖、店だって本島と同じようなテナントしか入っていないわけですから、何とも中途半端な作りなのです。映画館どころか、本屋も入ってはいません。

 それは、世界の海運業の発展に伴って作られた人工島です。
 日本でいう明治時代、あらゆる物資がコンテナと呼ばれる世界同一規格の箱に入って運ばれてくる時代になりました。船が、列車が、トラックが、どんな場所にだって何でも運んでくれる。その箱に入ってさえいれば。
 従来の日本の埠頭のサイズは、その世界規格の箱に対しては少々小さすぎました。その規格に合わせて、日本で初めて造成された島が、その島でした。
 島って作れるんですよ。知ってましたか?
 嘘みたいな話ですが、今その島が浮かぶ海岸から直線距離で二十キロほど離れた場所にある山から土を削って運び、埋め立てて作られたのです。「山、海へ行く」が当時のキャッチコピーでした。きっと、人々の期待と希望が、そんな大規模な計画を現実のものにしたのでしょう。

 でも、思いませんか?
 普通、山は海には行かないだろうって。なんのために?みたいな。

 やはり島というのは、そんな風にして何かのために作られるものではないのです。
 僕の頭の中にあるその島、の風景、は、どこを切り取っても風景自体がどこか所在なさげな感じがします。平面的で、奥行きがない。石も草も木も建物も道路も、みんな自分が本来はここにあるべきではないと思っているように僕には見えました。空間自体が、自分がなぜそこにあるのかわからないと言った調子の声を上げているように思えるのです。
 僕はその単調な風景の島を、つぶさに目に焼き付けて行きました。ムラなく塗り固められた灰色の倉庫が、合わせ鏡のように並んでいるところ。全ての窓に「空室あり」の看板が貼られた細長いオフィスビル。空白だらけのショッピングモールのマップ。護岸沿いのベンチは何故か海の方ではなく、島の方を向いていて、よくそのベンチに座って、日中ほとんどの時間をぼんやりと過ごしました。振り返ると、護岸に打ち付ける波も、どうして自分がまっすぐに進めないのか訝しみながら海の方へ戻っていくように見えました。島の北側からは、僕が住んでいた街のある岸辺と、その岸辺と島を結ぶ赤い橋が見えました。その橋を渡って、トラックが無数の匿名的なコンテナを運んでいくところを、ビデオが早回しで流れているような気分で眺めていました。


 何故かその橋をぼんやりと眺めている後頭部が見える。
 空を鳥が飛んでいた。


 あの島の教習所に通ってたんだよね。もう随分前の話だけど。
 大学に入って一人暮らしを始めたら、すぐ免許を取るって決めてて。もういつぐらいからそう思ってたのか覚えてないくらいで、向こうからこっちに引っ越してきたばっかりのころ、そうだ、洗濯物が干せないことに気がついて物干し竿買いに行く道すがらに、携帯から教習所に申し込みの電話かけたの覚えてるな。そういうものだと思ってたんだよね。大学生になったら、自分は、車の免許を取る。
 でもいざ大学の授業が始まったら思ってたより全然自由じゃなくて。平日の昼間は授業がびっしり入ってるし、夕方はバイトとかサークルとかで埋まっちゃうし。だから結局、夏休み終わってからやっと本申し込みみたいなのやって入校して。
 いざ教習が始まってみても、土日に教習を入れようとするわけだけど、みんな考えることは同じじゃん。だから全然予約取れなくて。朝一で座学講習出て、夕方の実写講習までキャンセル待ちで粘るみたいな。まあそれも競争率高くて、全然入れないんだけど。そんなだったから、結局実際に免許取るまでに一年弱くらいかかってると思うんだよね。本当は、冬休み実家の方に帰るときに、レンタカーとか借りて寄り道しながら帰ろうとか思ってたんだけど。
 つまり、その待ち時間、本当にずっとぼんやりしてたんだよ。あの島の中で。
 確かに何もない島なんだけど、なんかあんまり苦じゃなくて。あの頃は友達とか別にいらないし、ていうかいらないからこうやってわざわざ西の方まで出てきたんだし、とか思ってたから。でも、それにしても暇だったはずなんだよね。何してたんだろう。何してたんだろうね。

 好きだったってこと?その島が?

 好き?好きとはまた違う…。ああでも好きだったのかもね。本屋も映画館もなくて、本当に何もすることなかったから、そういう空白みたいな時間がなんか逆に良かったのかもね。街中にいると、何かしないとみたいな気持ちになるじゃん。現代人って。
 あとは、あとは…なんていうか…島にシンパシーというか…いや、変なこと言うけどさ、島にシンパシー感じてたんだよね。たぶん。この所在のなさは俺に似てるな、みたいな。何でここにいるんだろう、みたいな。
 意味わかんないよね。

 ツムラヤが話をする間、何台かのクルマがまた机の下に吸い込まれていき、そして這い出ていった。出てくるときは何故か、異次元から移動してくるような感じはしなかった。クルマが出入りするたびに、窓と、ツムラヤが頼んだコーヒーの水面がわずかに揺れた。ツムラヤは窓が微妙に揺れていることに、話をしながら気付いていた。四重に重なった自分が、震えてずれて見えるのを、見るともなく見ている。

 タカハシも、窓ガラスに映ったツムラヤを見ていた。タカハシが見ていたのは、像の重なった一人のツムラヤである。

 じゃあ、とりあえずその島の方行ってみるっていうのはどうですか?
 え。それだと駅の方戻ることになるよ。
 いいですいいです。さっきと違う海岸沿いの道歩ければ。
 砂浜とかないよ、あっちの方は。全部埋め立てられてるし。海も綺麗なわけじゃないし。
 いいんです。別に砂浜が見たいわけじゃないんで。この街をツムラヤさんと練り歩きたいだけなんで。ここからそんなに遠くないですよね?
 でも。つまんないかもよ。
 大丈夫です。ツムラヤさんの話聞いてたら、見てみたくなりました。その何にもない島を。私、島にシンパシー感じるみたいなの、わかる気がしますよ。
 そうなの。
 はい。だから見たいです。あの島って歩いて渡れるんですよね?
 えっと、どうだったっけ。あれ。歩いて渡ったことはないな。よく考えたら。いつも教習所の送迎車だったし。どうなんだろう。橋とか封鎖されてないかな。
 でも、島の人歩いて出られないと困りません?何かあったときに。夜も車の出入りはあるでしょうし。
 ああ。そうだね。確かに。

 タカハシは、トイレに行っておくと言って立ち上がった。いつの間にかタカハシの向こう側に座っていたカップルはいなくなっていて、五人の男女がボックス席に座っている。大きな声で何やらカウントダウンをしていた。5・4・3・2・1…カウントがゼロになってもツムラヤの目には何も起こっているように見えなかったが、五人は大きな声で笑っていた。何も言わへんかったら肯定してるのと一緒やん!何か言わな!ああ、何も起こらなかったから笑っているのか。よく見ると、五人のうちの一人は、もう一つ奥のボックス席から振り向くようにして、他の四人と話をしていた。
 これデジャヴだ、とツムラヤは思う。デジャヴは、情報が右脳と左脳それぞれにほんのコンマ数秒ずれて届くことで起こるらしいと聞いたことがあった。そんな風なずれが積み重なっていったら、右脳と左脳は別々のことを考え出したりするのだろうか、とそれを聞いたとき思った。昨日見た風景が今日目に映ったときに全然違うもののように感じられたりすることがあるわけだから、そうしてほんの少しでもずれて情報が届くだけで頭の中がこんがらがってしまうのであれば、右と左がそれぞれ別々のことを考え始めたりするのではないか。
 でもこの光景は、本当によくある風景のような気もするので、デジャヴでもないのかもしれない。どこかで見たのかもな。
 自分は何をやっているのだろう、とタカハシがトイレから帰ってくるのを迎え入れながらツムラヤは思う。行こうか、と伝票を摘んだ。男女五人のグループはまだ笑い続けていた。


 タカハシはツムラヤに対して、素直に好感を持っていた。同じ出身地で、同じような背景を抱えているということ以上に、タカハシがしたいと言ったことをきちんと尊重して付き合ってくれているその感じが心地よかった。ネットの世界も馬鹿にならない。私は私が喋るよりもたくさん喋る人と一緒にいる方が良いのだとわがままを言ったことを、多分覚えてくれている。それで一生懸命喋ってくれているのだ。
 大人だから?
 そうではないと思う。この人は、この人なりに、私を慮ってくれているのだ。
 この人のこと好きだな、結構。少なくとも今は。最後に何か、肉体的なことを期待されていたとしても、それはそれで別に構わない、いやむしろ自分の方がそれを望んでいるのかもしれない、とタカハシは思っていた。清潔感もあるし、落ち着いてもいる。
 でも、その後は?その後、どうなる、どうなりたいのか?
 同じような境遇の人とこちらで会うことが、今までだって全くないわけでもなかった。でも自分から積極的に関わり合いを持とうという気にはならなかった。自分が向こうの出身であることも、聞かれたら答えるけど、わざわざ言ったりはしなかった。何となくとしか言いようがない。周りが私に憚りを感じるかもしれないと思っていたような気もするし、私が憚っていたような気もする。時々自分が向こうから避難してきていることを言う人がいたけど、それは漏れなく自分の窮状を訴えているか、あの災害にまつわる何かに対して怒っている人だった。少なくともいままでは。ジプシー化してしまった私たちは、もう静かに自然に出会うこともままならないのかもしれない。

 海岸通りの空気は澄んでいた。正確には、ここは海岸通りの一本下の通りだ、とツムラヤが言った。どうしてより海に近い通りであるはずなのに、ここを海岸通りと呼ばないのだろう、何だか不公平な感じがするなとタカハシは思う。

 実は海岸通と言っても、正式に海岸通りとされている「通り」があるわけではない。このあたり一帯の町名が「海岸通」というのが正しい。
 ただ、海岸通りと言えばやはり、先ほどツムラヤがタカハシを連れて歩いた喫茶店や高級洋菓子店、小さな雑貨屋やアパレルショップが立ち並ぶ一本の通りのことを海岸通りと呼ぶのが一般的だ。ネットの地図などにもそういう風に表記されているので、タカハシも間違ったことを思っているわけではない。
 ツムラヤの方はと言うと、海岸通りというのは日本に無数にあるものと勘違いしている。海岸沿いの通りを一般的にそう呼ぶのだと。自分にとって身近なのは「浜通り」という呼び方だが、どちらかというと「海岸通り」の方がアーバンでかっこいい呼び方のような気がしていた。
 今二人が歩いているその海岸通りの一本下の通りには、特筆すべきものは何もない。海岸通り、とされている通り、に面したビルの裏側と、途切れ途切れに高い塀や生垣や小さな駐車場があるだけの、地味な路地だ。街灯と街灯の感覚は、海岸通り、とみんなに思われている道よりもずっと広い。ここは足元がほのかに見えるくらいの明かりしかなかった。耳を澄ますと、波の音が聞こえる。

 初めて会う人と、ただ歩きながら話がしてみたいだなんて、自分でもどういう願望なのだろうと、タカハシは改めて思う。それでもいつもより心が浮き立っていた。細い路地をタクシーが通っていく音。微妙に蒸し暑い夜の気配。アスファルトを踏むざらざらした音。何もかもが心地よかった。一人で歩いていたらこうはならないだろう。ぐるぐるぐるぐる考え事ばかりしてしまうのだ。いや、こうしながら考え事をしないわけではない。でも、いつものどこか後ろめたいような気持ちは薄らいでいる。
 建物自体はみんな古いんだけど、やっぱり中身は変わるんだよね。あのビルも、一階はオープンカフェだった気がするんだけど、カーパーツ屋になってるね。ツムラヤの声は、低くて落ち着いている。
 これは歪んだ願望だろうか。一番身近なところにいる、バイト先や研究室の仲間とは積極的に交流しないくせに、こうして知らない人といることにやすらぎを覚えるのは、自分が歪んでいるからだろうか。私はやはり逃れようとしているだろうか。今度はツムラヤよりも少し先を歩きながらふとそんな思いがよぎるが、

「そういうことを考えるのはもう少し後でもいいや」

 そう思い直した。

 タカハシさん、と呼ばれて振り返る。
 私はタカハシさんではない。別に本当の名前を教えても良かったかもしれない。名前を名乗る時によぎったのは今はもうこの世にいない兄のことで、ツムラヤと同い年だったから、何かで繋がっていたら嫌だなあということだったが、そんなことは多分あり得ないだろう。兄は一生を故郷で終わらせた。ツムラヤと交わっているとすれば、ツムラヤが私の故郷の隣の市にいた高校時代までだ。確率は低い。

 タカハシの後ろには、ツムラヤ、本当にツムラヤという名前の男がいて、ツムラヤと目が合う。

 はい。
 見て。

 ツムラヤが指差す方向を見ると、空の低い場所が点滅していた。

 多分あれ、クレーンが光ってる。
 クレーン?
 こんな時間でも動いてるんだね、クレーン。でも外国から、商船に乗って荷物が運ばれてくるんだもんね。当たり前か。本当にあんなところまで行くの?何にもないよ。
 行きます。そんなに遠くないじゃないですか。その何にもないところが、見たいんですよ。
 そうか。そうだね。行きましょう。
 
 星のように瞬くその方角を目指して、二人は歩き出す。島からは、コンテナが積まれた船が岸辺を離れていくところだったが、二人にはそれは見えない。

(next:https://note.mu/horsefromgourd/n/n90d552b83aec)

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