YOU
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書いた言葉というのは、存在していると言えるのか、それとも存在はしていないのか、猫と書いたところで猫は実在しないけれど、白い猫、と書いたらその瞬間に白い猫は実在はしなくても存在するようになるのではないかあなたの頭の中に、いやそれでは話が少しずれてしまう、ただしいずれにせよ今この瞬間にここに浮かび上がってくる言葉そのものは、こうして私があなたが読むことが出来る以上は存在しているということになる、のだろうけど、では、ここまで書く間にもう数十回バックスペースキーを押すことでデリートされてしまった、箱とか林檎とかバベルの図書館とか、その他にも確か何かあったかもしれない言葉たちはもう全く存在していないということになるのか、いや、そうして消えてしまったかつてここに書かれていたはずの言葉たちを、あなたも書いた私自身ももう読むことは出来ないのだけど、その残滓のようなものがこうして目に見えるテキストには宿っていて、一定の長さのこうしたテキストにおいて、やり直しや修正がないものというのは考えにくい以上、そうして逡巡あるいは試行錯誤の末にこうしたテキストというのは形を帯びて浮かび上がっているのだと、そしてそうした軌跡を、我々はテキストを読みながら書きながら意識的にも無意識的にも感じているのではないかと、これを書いている私は思ったりもするのだけど、これを読んでいるあなたにまでそれが可能だということをはっきり断言することは、何だか気持ちが憚れるような気がするのは、あなたが実際にはここにいない、実在していないからだろうか。
あなた。あなたあなたあなた。あなた、といくら書いたところでやはりまだあなたはここにいない、はずだけど、もし「書いた言葉は存在しているのだ」と断言した上で、先ほどの猫の例を当てはめることが出来るのであれば、やはりあなたは既にここに存在しているということになるのかもしれない。あなた。ここにいないあなたのことをここに書いた瞬間から、私にとってあなたはここにいるのと同じなのだと言ったら、あなたは気味悪がるだろうか、たとえ私の架空のあなただとしても。暗闇の中で眠っているあなたを想像したり、スマートフォンを片手にこちらを見ているあなたを想像したり、もっともっと具体的に、私と共にはいない時の無数のあなたを想像したり、あるいは実際のイメージとしてあなたを想像をしていなくてもあなたは私の中に概念として存在しているのだと言ったら、架空、そしてたとえ概念だとしても、あなたはやはり気味悪がるだろうか、あなた。あなたあなたあなた。多分少しは気味が悪いだろうと私は思う、それでもやっぱりあなたがいるから、私はこうしてこの文章を存在させることが出来るのだろう、とも思うのだった。
今あなたを想うと同時に思うのは、そういう無数の、あなたに読まれずに存在と非存在の狭間にある言葉、存在しているとも存在していないとも言えない無数の言葉たちのことだ、誰かの机の中で、ドロップボックスのフォルダの中で、メーラーの下書きフォルダの中で、あらゆる場所で、あなたに見つからずに存在している言葉があるのだろう、そしてどこにどれくらいそれらがあるかわからない上、それがいつ見つかるかも、はたまたそれらがこれからどれくらい生まれるかもわからない以上、眠っている言葉たちの存在は無限にあると言って差支えないのではないか、そしてそのままになって忘れ去られている言葉たちもまた無限にあり、更にあなたに読まれることのないまま消えてしまう言葉もまた、無限にあるのだろう。
九月から書き続けていた、長い小説を廃棄した。
正確に言うと、小説の原稿データを削除した。テキストファイルをローカルに保存していたので、それをパソコン上から、この世界から、抹消するのは簡単だった。
でも完全に削除しますか?というアラートの、「完全」とは何なのかと、マウスをクリックする瞬間、から、今に至る現在まで、ずっとその完全の意味を、もう自分の頭の中にしか存在しない、その言葉たちの残滓を思い浮かべながら想っている、書かれたけど実在しなかった言葉、でもデータとしてビジュアルとしてテキストとして確かにそこにあった言葉たちは、最終更新日時が2019年1月3日22:21の言葉たちは、もう二度とその姿のまま、私の、そしてあなたの前に呼び起こすことは出来ない。
あなた。あなた、あなたあなたあなたあなた。
多分私は、その言葉たちのことを完全に思い出すことも、完全に忘れることも出来ないだろう、と思う、それが完成せず、あなたにも、そして私にも読まれないまま、形を失くしてしまったせいで全体として迫る抽象的な手触りのような感覚、それは風にも似ている、ただ吹いてきて私の身体の形を浮かび上がらせる風に似ている、そういうものだけが頭の中に記憶としてに残ってしまっている以上、それらがパソコン上から「完全に削除」された後も、やはり風としてそこに存在し続けているのだろう、と思う。風。
あなたは、どこに行ってしまったのか?
それはある工業地帯を流れる河の話だった、水面を影が覆い、白い流跡だけが浮き上がって形として表れる河だった。テキストとして書かれ、ひとつひとつの言葉、あるいは文章、章、小説としてそれらがそこに定着してしまったとしても、文字の流れていくのが、ひとところに留まることなく延々と続いていけば良い、と思いながらその河に舟を漕ぎ出した。やがて舟が、どこか、どこかと言ってもそれは水の流れる場所、ただしここが小説としての一応の終わりであると、私が、そしてあなたが、見出せる可能性のある場所へと導かれていくことを願いながら、ゆっくりと舟を漕いだ。
そしてあなたのことを想っている。
結局それは広い水辺へと流れ着き、進むことも戻ることも叶わなくなった、暗い凪の中で、舟に乗っている自分のほんの周辺だけが浮かび上がっていた。
あなたのことだけを想っている。
例えば、漕いでいる舟から見える風景を描写し続けることだけで、何かが顕れてこないか、と思った、あるいは、川べりをその舟と平行して歩く視点を入れることで何かが顕れてこないか、と思った、流れる河という現象そのものに、何かが宿っている可能性があるのではないか、と思った、河を題材に選んだのは、その線的な動性が、小説やテキストを書いていくとか読んでいくという行為に似ているのではないかと思ったからだった、河上から河下へ舟が下っていくのを追いかける様を描くことで、読むという行為、そして自分にとっては書くという営為そのものについて描き出すことは出来ないかと考えたのだった。
あなたのことだけを。
結局その小説がどうなったかというと、流れ着いた水辺で無理矢理にもがいているうち、舟の上にいたはずの語り手が消失していた、その舟には誰も乗っておらず、漕ぐ人間もいなければ、そこに吹く風を感じる人間も不在なのだった、正確に言えば、舟が進むことも戻ることもないというよりは、進んでいるか戻っているかもわからない、ただそこに舟が浮かんでいる情景だけがそこにあって、後は何もない、何もなかった。
あなた。あなたあなたあなた。あなたのことを想っていた、その時も。あなたのことを私は想う、白濁した水面がわずかにでもたゆたうことがないか、ほんのかすかな泡沫だけでも浮かび上がってこないか、あなた、凪を、凪として感じてくれる誰か、あなたはいないか、
あなたのことを。
そしていくらあなたを探したところで、あなたはそこにいないことを、私は、あなたは悟る。
それでもあなたのことを想うのだと、私は、水の音すらしない凪の中の舟の上で、思う。
消えてしまった、私のことを想う。そこにいようといまいと。
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