エイリアンズ_demo_

エイリアンズ/9

※縦書きリンクはこちらから https://drive.google.com/open?id=1IhEW_uzn5RD1BGvONLcHSmnsSEXZ9pUP



 時々大きなトラックが横切るだけで、辺りはしんとしていた。空中に浮かぶ歩道橋の上から、明るく光る本島の風景が見える。

 派手ですね。

 街並みがこちらに向かって光って見せているように見える、とタカハシは思う。

 ほんとだね。何のためにだろうね。

 何のために。ツムラヤが心の中で自分と同じようなことを考えているのではないか、と赤く光る大きな塔を見つめながらタカハシは思う。灯台のように遠い海を照らす訳でもなく、自己アピール的に煌々と光るこの街のシンボルのことを、今まで綺麗だと思ったことがなかったことに、タカハシははたと気がついた。海の風を頬に受けながらそれを眺めると、今までとは少し印象が違って見えるような気がした。
 そうか、あれは、船が岸辺を目指す時に見るものなのかもしれない。
 歩道橋の上から首を伸ばして、視界の下の端にその塔のてっぺんを入れてみる。海から帰る船の気持ちになって眺めてみるとそれは確かに、何か力強さと優しさの両方を兼ね揃えた光に見えるような気がした。灯台下暗しというのは、こういう意味もあるのかもしれない。巨大なものの全体像は、足元では見えないのである。あれ、それはあれか、群盲…群盲何かを評するだっけ…と、少し眠気でぼんやりとしてきた頭で思う。

 塔は、潮風にも錆びないその塔は、かつてこの辺りで大きな地震があったときも、たった一ヶ月で光を取り戻している。

 歩道橋の上を歩きながら、ツムラヤは海に首をもたげている巨大なクレーンを眺めている。本島の光を左頬に受けるオレンジ色のクレーンのジグザグの骨組みを眺めながら、遊園地みたいだな、と思う。
 頭の中に浮かぶのは、家族で行った故郷の遊園地のことだ。父親に無理やり隣に乗せられたバイキングの上で、どうしてこんなに怖い思いをしなければならないのだろうと心の底から思った。どうして、怖い思いをしに来る人がこんなにもたくさんいるのだろう。
 船を支えるむき出しの鉄骨を見て、不気味だなと思う。火事のニュースで見た、焼け跡に残った、建物の骨組みと重なって見えた。ギシギシと揺れる、無骨な骨組みを視界の端に捉えながら、揺れが収まるのを待った。父親はバイキングから降りたあとにこにこ嬉しそうに笑っていた。ははは。そんなに怖かったか。怖がってばっかりだと何にも楽しくないだろう。そう言う父親の顔を、本当に荒波に揉まれる船に乗っていても同じことが言えるのか、と思いながら見つめていた。

 海沿いに並ぶそのクレーンたちはかつて、地盤沈下した岸壁ごと傾斜し、倒壊している。

 二人が歩くその横には、この島の団地が並んでいる。約二千戸ある、巨大な団地だ。深夜になり、二人が歩く道沿いの窓には、ほぼ明かりが点いていない。
 二人は何も言わずにその横を通り過ぎていく。

 まっすぐな道は遠くまで見通せる。本島に比べればもちろん暗いが、ツムラヤが思っていたよりはずっと明るい。そもそもツムラヤは夜のこの島をほとんど知らない。
 靴の大型チェーン店、外資系の家具店、十七時には閉まってしまうのであろうコンベンションホール。これも外資系のスポーツジム。片側二車線の広い道には、大きな建物が軒を連ねている。

 ほんとに何もないですね。

 タカハシがそう呟くのとは裏腹にツムラヤは、あれ、こんなに色々あっただろうかと思っている。そこから見える建物は全てツムラヤが教習所に通っていた頃からそこにあった。金も持ってなかったし、結局興味がないから何もないと思っていたのだろうか。

 一応、この島の中だけでも生活が完結するようになってるってことなんでしょうね。

 保育園を通り過ぎ、病院を通り過ぎていく。
 ふと、ツムラヤは思い出す。


 路上教習を終えた後も、まだテレビはニュースを流し続けていた。誰もが食い入るように画面を見ている光景が、異常性を示しているようで不安だった。こっちもちょっと揺れたらしいよ、という声が聞こえた。島でぶらぶらしていた時間ではあるけど、その時に自分が何をしていて何を考えていたのかが、思い出そうとしても出来ない。
 その日の最後の送迎バスに並ぶ人々の横をすり抜けて、教習所の外に出る。いつもおにぎりやパンを買うコンビニで、ゴミ袋を買った。日が随分長くはなっていたが、もう空は真っ暗だった。
 これからどうなるのか全くわからない、というのが不安だった。これからどうなるのか全くわからない。自分も家族も。もう一度家族、友達、の順番で連絡を取ってみたけど、誰にもつながらなかった。どうなるかわからない状態で、こちらで情報を集めてもどうにもならないことが辛かった。どうして自分はこんなところにいるのだろう。ついこの間まで雪が降ったりしてまだ寒いから、と言って帰省を取りやめたのを思い出した。もう少し暖かくなったら帰っておいでよ。それを、三月の中旬下旬くらいのことだと思っていた。
 猫はあの後、他の車にも引きずられたのか、さっき見た時よりもぼろぼろになって道の端に寄せられていた。鼻の奥から喉にかけてを強く刺激するような匂いがした。普段の自分なら正視出来ないだろうな、と思いながらその残骸をビニールで拾った。地面にこびりついた血は取ることが出来なかった。ぼろぼろの赤黒い塊になっていたけど、子猫のサイズではないことがわかった。
 この後どうするんだろう。市指定のビニール袋は半透明で、どう見ても中に怪しい物体が入っているのが丸わかりだった。車の通りはまだある。本島に向かう車線の方を、コンテナが積まれたトラックが数台走って行った。
 ビニール袋の口を強く縛って、トートバッグの中に入れた。脇に挟むと、柔らかいものが脇腹に当たるのがわかる。まだ暖かかった。この後どうする、と思いながら、足は海の方へ向かっていた。今、この時間、向こうでは何が起こっているのだろう。自分は猫を片付けている。このことを覚えておこうと思った。

 倉庫区画のフェンスを越えて島の端に立つと、空港の明かりが見えた。本島の明かりと比べて、色味が少ない。点滅しながら何かを呼びかけているようにも見えた。
 袋の口をほどいて、潰れた猫を海に流した。こんなことしていいのかどうかよくわからなかったけれど、他の方法が思い浮かばなかった。明かりが少なく、手元がよく見えなかった。袋を傾けて揺さぶると、ぽちゃ、ぽちゃぽちゃ、ぼちゃと、断片的で頼りない音がした。本島の光で、水面が光っていた。それでも海の色は暗い。向こうの海は今、もっともっと暗いのだろうと思った。
 死んだ生き物の匂いはこういう匂いなのだ。血と、多分内臓の匂いがした。身体からもその匂いがするかもしれない、と思いながら、その日はAGT路線に乗って帰ったが、誰にも指摘されなかった。みんな携帯の画面を見つめていた。
 家に帰って来てみたら、自分がコンビニでミートソースのスパゲティをぶら下げていてびっくりした。こんな日によくこんなもの選んだな、と自分で自分を疑った。いつもの癖?で、手を洗ってうがいをして座卓に座ったら、自然とその袋に手が伸びて、目の前でみるみるスパゲティが減っていった。スパゲティの皿に向かって背中を丸める、自分の後頭部が見えた。吐き出しているようにも、見えないことはなかった。


 あの日何してたの。
 あの日?
 震災のとき。
 ああ。

 あんまり覚えてないんですよね、とタカハシは言った。そっか、ごめんねとツムラヤが謝ると、ほんとに覚えてないんで大丈夫ですよ、とタカハシは言った。

 ネットゲームの世界で話していたころ、ツムラヤは、嫌な気持ちにさせたらごめんね、と断った上で、地震の夢、何回か見たことある、と言った。

 自分の当時住んでた関西のアパートが、波に飲まれる夢。自分自身は被災してないけど、多分映像で何回も見たから。そういうのってどう思う?
 わからないです。
 見たことある?そういう夢
 ないです。
 ほら。そうだよね。実際に被災した人を差し置いて、どうして自分がこんな夢見るんだろう、って思うんだよね。これ誰の記憶なんだろうな、みたいなのは時々混乱する。
 感情移入しすぎなんじゃないですか?
 違う。そういうことじゃないと思う。逆で、薄情だからだと思う。

 今なら、その時言っていたことがわかる気がする、とタカハシは思う。
 あの時、普段はしない全体チャットを自分が使ったことも、ツムラヤがそれに反応したのも、何か第三者がそうなるように仕組んでいたのかもしれない。


 時間が過ぎていくというのはすごく変なことだ、と、人工島の中を歩きながらふと思った。ツムラヤの言う通り、そこは何もない島だった。やけに大きな専門店がちらほらとあるのが、余計に何もない感じを演出していると思った。小さな個人商店や喫茶店などがあっても良さそうな気がするけど、そんなものは全く見当たらなかった。もしかすると行政の力が強いのかもしれない。本当に大きなトラックしか通らないので、そういう小さな店は儲からないというのもあるのだろうが、計画がぎちぎちに決まっていて、個人的に何かやるのは難しい場所なのだろう。
 私がこうして息を吸って、吐く間にも、ずっと時間が流れている。へらへらしながら初対面の人と歩く夜も、静かすぎる部屋の片隅で一人で意味もなく泣いてしまう夜も、ずっと時間が流れている。時間は不可逆な、一本の線を描いていくようなものだという感じがしていたけれど、それは違うのではないか、という思いがよぎった。それは地層のように、折り重なっていくものなのかもしれない。人や場所固有の時間というのがそれぞれにあって、透明のコップの上に少しずつ溜まっていくようなものなのかもしれない。

 私はかつての故郷に、あれから一度も戻っていない。戻っても問題がない、とわかってからもだ。戻ったとしても、もうあの場所は存在しないのだと思っている節が、自分のどこかにある。家もなければ、遊んだ公園もない。通った小学校は、あれから子どもが減って廃校になり、すぐにコミュニティセンターになったらしい。コミュニティセンターというのが、具体的に何の目的を持って在るものなのかがよくわからない。具体的な目的を設定せず、ゆるく集まれる場所のことを言うのかもしれない、と思ったのを覚えている。
 何か大きな力がこの島には加わっているのだというのがよくわかった。わかりやすかった。力を込めて押さえつけたりするわけではないけど、両手のひらに包まれているような感じがした。そういう外圧的な力が、もしかすると私のかつていた場所にも加わっているのかもしれない。過去が風化して真砂になり、それがまぶされた地面の上に、新しいものが出来上がっていく。吹けば飛ぶような細かな砂ではあるけれど、それを絶対的に取り除くことはできない。だからその上に、また新しい時間が折り重なっていくのだ。
 海底に沈んだ真砂の上に、どこかから運んできた土を重ねたのがこの島なのかもしれない。

 大学の授業で見た、この街が災害を受けた後の写真を頭に思い浮かべる。東の震災との大きな違いの一つが、火災でしょう。先生はそう言いながら、まだ暗い空が赤く染まるほど燃え上がる街並みの写真をスライドに映した。次に映ったスライドは、青白い雲が空を覆っていて、窓の中で炎がくすぶっている潰れかかった建物の手前で、オレンジ色の制服を着た人たちが呆然と立ち尽くしている写真だった。手の出しようがない津波と、手の出しようはあるかもしれないけれどそれが無駄に終わることも多いだろう火災と、どっちの方が悲惨だろうか、と思ったことを思い出す。

 ぽつぽつとではあるけれど、決して絶えることなく、大きなコンテナを積んだトラックが横を通り過ぎていった。たくましいというか破滅的に愚直というか。
 今の研究に飽きたら、物流のことを調べてみるのもいいかもしれない。

(next:https://note.mu/horsefromgourd/n/n98ae005f2735)

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