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デジャブ

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教えても勘違い生むばかりね
忘れよう、今は 無駄に慣れるまで
回ったまま景色になるのも
悪くはない                                     Taiko Super Kicks 「 景色になる 」

 仕事の都合で山形に引っ越してきた年の盆休み、色々と理由をつけて地元に帰るのを回避した。
「私がそっちに行こうか」というショートメールが、まだ携帯電話の中に残っている。「うん」という僕の返事も、当然残っている。「山形って暑いの?」と向こうが続け、「日中は」「でも朝晩はそっちより全然気温が低いから、薄いパーカーとか羽織る日もある」と僕が続け、やりとりはそこで途切れている。電話がかかってきたかこちらがかけたか、だったと思う。それがその人との最後のやりとりで、電話での別れ話よりも別れ話をした後の、そのあられもないようなメールのやりとりだけが手触りとして残っている。随分長く付き合ったはずだけど、顔はかろうじて思い出せても手触りや声や味みたいな実感としての記憶は全くなく、何だか夢でも見ていたみたいだと今も思う。

 ダイハツ・タントは窓が大きかった。彼女の車の助手席から見える風景の見え方が、実家の車とは微妙に異なるように思えたことを覚えている。視界の上下左右の端まで車内の風景が反射していて、それ越しの街並みが写っていると、現実味がやや薄まるのだった。
 対向二車線、国道沿いのガソリンスタンドを左折すると、狭い路地に木造の平屋が並んでいた。時々真新しい家があって、それは何故かどれもカントリー調だった。家が途切れるたびにあるのは草が伸びっぱなしになった空き地かただただだだっぴろい感じの駐車場だった。納屋や路駐された軽トラや古いタイプのファミリーカーに紛れて、時々ピカピカのCX-8やアウディが並んでいるのを見とめて、それらがどういう風にこの狭い道を行き交うのかを想像した。
 その間もずっと、視界の奥には連なる山の峰が見えている。
「地元の風景と似てるような気がするんだよね」
 何だかこうやってぼーっと車に乗せてもらってると、一瞬地元にいるんじゃないかって錯覚するくらい。そう呟くと運転席の彼女が「結局田舎はどこも似たようなものってことね」と言った。色の落ちたレインボー柄のビニールシートが窓のサッシから紐でぶら下げられてはためいているのを見た。きっと簾の代わりなのだろうと無意識に認識していたことを今思い出した。
「でもそれって、この風景をヒントに自分の地元のことを思い出してるってことに違いないよね」
 シャッターの閉まった商店を曲がり、ドラッグストアの脇を抜けて再び大きな道に出た頃彼女がそう言った。
 その「ヒント」という言葉が、頭の中に残る感じがあった。僕はヒントに囲まれていて、ヒントから別のヒント、あるいは自分自身の思考や記憶につながっていく線で世界を象って認識しているのかもしれない。無意識に日々の暮らしを流しているときよりも、何かをきっかけに思いを巡らせたり特定の記憶を蘇らせているときこそ、僕は自分の周りの世界をくっきりと認識しているような気がする。
 それからことあるごとに彼女がタントで言った言葉を思い出して、僕はその認識を強くしていった。僕は常にヒントを見つけ、ヒントに誘導されながら生きている。

 山形市では毎年盆休み中に大花火大会が催される。山に囲まれた山形の、ほぼ真ん中の地点から花火が打ち上げられる。だから市内にいる人は、割とどこからでもその花火を見ることが出来るわけだ、と職場の人が言っていた。
 僕らの乗ったタントは、市の東側から打ち上げ地点のある市中央を通り過ぎて西側に抜け、再び広い道を走った。途切れ途切れの白いガードレールの向こうに田んぼと、やはり山々、もはや書き割りに見えてきそうな、そしてその間に挟まれた小さく連なる街々がループするように立ち並んでいた。何もない、と明らかに何かはあるのに思った。やはり自分の故郷と似ていた。盆地だからか?車が少しずつ道に増えていき、市民公園が近づいたことを知らせる。
「雨降るかもね」と、少しつり上がった目でまっすぐ走る先を見つめながら彼女は言った。僕はこれから花火を観るということを忘れていて、「ははあ」くらいにしか思わなかった。

 ずっと山形で暮らしていくことに決めている、と彼女は言った。
 その時そこに、何か頑固さみたいなものを感じたように記憶している。
「外に出れば視界が広がる、というのはまやかし」と彼女は言った。「確かにそういうこともあるかもしれないけれど、それは日常の中に全く意味を見出す可能性がないというのとは違う」
 そういう決意表明をわざわざして自分を縛ることにどれくらいの意味があるのだろう、と僕は思った。と同時にそれは、文脈上僕が何かのきっかけで再び山形を離れることになったらこの関係はおしまいになるという意味でもあって、実際的な問題を考えると、僕にとってはそっちの意味の方が大きかった。
「それでもいいから」と僕は返事して、まだ住み始めたばかりの自分の部屋に彼女を招いた。
 迷うことなく市民公園までの道を辿った彼女の横顔を見ながら、そんな風に僕たちが関係性を確かめ合ったときのことを思い出した。彼女はこの眼差しで、この日常の風景の中から、どんな風にどんな意味を見出しているのだろうと、興味深く思った。それは明らかに他所からやってきた者の傲慢さを内包した興味だった。決して土地に根付いた人を見下すような目線ではない。ないけれど、それは後に、自分のようにどこかから来て再びどこかに流れて行ってしまうのであろう自分のような人間と彼女のような人々を無意識に隔ててしまう目線なのだと自覚するに至る。彼女がハンドルを握って辿った線、僕が初めてみる風景を、彼女は既に何度もなぞっていて、その度に隣には違う人がいたのだろう。定規で引いたような線ではない以上、それはフリーハンドで引かれた震えて掠れる線だ。その微妙な重なりの誤差の中に、僕には見い出し得ない彼女なりの意味を見出してきたということだろうか。

 市民公園には、どこから集まってきたのだろうと思うくらいたくさんの人がいた。駐車場の隅に数台のキャンピングカーを停めてその間にビニールシートやパラソル付きのテーブルを出し、他の車に邪魔にならない程度に陣形のようなものを作っているグループが複数あって驚いた。そんな風にしているのを、僕は初めて見た。芝生の広場には色とりどりのシートや折りたたみ式の小さな椅子がひしめいていて、皆一様に同じ方向に向いている。だからどこに花火が上がるのか僕にもすぐわかった。
「ここらへんは屋台とか出ないから静かだし、比較的みんなマナー良いんだよね」
 打ち上げ会場付近は学生も多く、マナーが悪いらしかった。それはそれで楽しいんだけどね。流石にもう大人になると疲れるし、もうコンビニとかでゆっくり買ったビール飲みながら観たいじゃん。
「あ、そうか。お酒飲めないね。ごめんね」
 都会人は車なんて乗らないからしょうがないですよ、と言って彼女は笑った。いいよ、帰ってから家でゆっくり味わって飲んだ方が美味しいし。
 目の前に敷かれたビニールシートに、若い男女が座っていた。女性は薄いニットを羽織っていて、男の方だけが灰色っぽい浴衣姿だった。男が芝生に付いた手には、うっすらとした痣のようなものが浮かんでいて、それをぼんやり眺めていると、僕らとその二人の狭い間を赤い鼻緒の草履を履いた小さな足が横切った。ニットの女性もそれに気づいて振り返り、幼い女の子を見とめてにこりと笑った。
 幸せそうな顔をしているな、と思った。中学生か高校生か大学生か。そのどれにも見えて、自分が歳を取ったのを感じた。
「俺、中学生以来かも、わざわざ花火をこうやって見るの」
「人ごみ嫌いそうだもんね」
「好きな人いないでしょ」
「そうね。でもほら、地方は遊ぶ場所が少ないから」
 だからこうやって何かあると、ひとところに人が集まるんだよ。…よくよく考えたら、なんだかんだ私も毎年この花火見てるかもしれない。
 毎年ってどれくらい毎年なんだろう、と目の前の男女を眺めながら思った。彼らと同じくらいの幼さの、今よりは目尻の柔らかな彼女が、花火の光に顔を照らされているところを想像した。
「山形にこんなにたくさん人がいたんだなって私も思うよ」
 くるりと周りを見渡しながら彼女が言った。
「もしかしたら死んだ人も集まってるのかもしれないな、とか思う、お盆だし」
 浴衣着てる人とか、みんな何百年も前に死んだ人かもよ。
 その瞬間に、まだ黒の一歩手前、藍色の空に、花火玉が打ち上げられる軌跡が滲んで見えた。しかし、軌跡は雲の壁に遮られて途切れる。
 どん、と音がした後に見えるのは、花火の光に照らされた雨雲のふもとだけだった。
 市民公園はざわつく。それでも花火は上がり続け、どん、という音と、それからその音に合わせて雲がカラフルに染まる光景が、途切れ途切れに繰り返されていく。
 周りが立ち上がってシートを畳む中、彼女はじっと光る雲を眺めていた。それに合わせて僕も雲の陰影を眺めていると、少しだけ綺麗に思えてくるような気がした。
 ふと気づくと周りに人はほとんどいなかった。みんなどこかに消えてしまったみたいにも思えた。目の前のシートにはニットの女性だけが座っていて、浴衣の男はどこかに消えていた。

 それから僕はやはり仕事の都合で山形を出ることになって、この街で暮らしている。ちょうどあれから一年ほどになるのだけど、夏の暑さが増すに連れて、あの時の風景と彼女のことを思い出すわけだ。


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