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2018.4.28 恍惚のレイヤー

※縦書きリンクはこちらから https://drive.google.com/open?id=1VkQe7DBJgw4Dh447R562mHoplEPX7Abz

 現実というのを、幾つもの、不透明のレイヤーが重なり合って出来ているいるものだと思っている。
 例えば、職場のレイヤーにいるときの自分の現実と、家で家族と同じレイヤーにいるときの自分の現実は、微妙に異なっている。仕事場の人が言っても気にならないようなことを、家族が言ったらイライラしたりするのは、レイヤーが違うからだ。自分自身もレイヤーに影響されて、微妙に違うものに切り替わっているという感じがする。
 時間は、一本の線と捉えられることが多いように思う。僕には時間もレイヤーの重なりで、生まれた瞬間にできた一番上のレイヤーから、幾つものレイヤーが積み重なって自分というものの総体があるという感じがする。時々都合よく、過去の自分のレイヤーを引っ張り出してきたりする。中学生や高校生くらいのころのレイヤーで音楽を聴く。大学生くらいのころのレイヤーで小説を書く。一番上に乗っかった、柔らかい薄皮のようなレイヤーで仕事をする。
 空間のレイヤーもある。日本という小さな国の中だけだけど、結構色々なところで暮らしてきているからかもしれない。新幹線の駅を降りたときに、ああレイヤーが違う、と思うことがある。例えば、エスカレーターの右に寄るか左に寄るかみたいなのも、レイヤーが違うからルールが変わるのだ、と思ったりする。

 春の連休になって久しぶりに実家に帰ってきたら、じいさんが惚けて、施設に預けられていた。え、知らなかった、何で言うてくれへんかったん、と母親に言ったら、言うたってしょうがないやろ、という返事が返ってきた。確かに。
 
 どうも身体の調子が悪くて昼まで眠っていた。久しぶりに実家の布団で眠ったら、上手く寝付けなかった。ちゃんと実家の自分の部屋で眠っているけど、窓から薄いモヤのような空気が入ってくる、それが冷たい、という変な夢から目覚めると、施設から外出許可を得たじいさんがうちに来ていた。ばあちゃんと暮らしていた方の家は、里心がついてしまうからと、施設に入ってからは一度も帰れていないのだと言う。帰りたがったり、ばあさんがいるかどうかとりあえず電話だけでもしてみてくれないかと言うのを、ごまかしたりなだめすかしたりしているらしい。

「どうや、忙しいか」
 かつてばあちゃんを怒鳴り散らしていたじいさんは、痩せてはいたけど穏やかになって、僕の母親が手で小さく砕いたおにぎりせんべいを食べていた。
 なんやみんなでポスター作ってやったわ、おじいちゃんは虹を手で伸ばしてはった、幼稚園みたいやった。
 じいさんがにこにこしながらおにぎりせんべいを食べている横で、母親がそう言った。私のことはわからはるけど、名前はわからんみたい。でも施設に行くと、驚いた表情をして、「こんなところで会うこともあるんやな」とか言わはる。目の前にじいさんがいるところで、僕に向かってそう説明した。
 じいさんは施設のことを職場と勘違いしていて、介護してくれるスタッフに何か仕事的な命令をしたり、「あんまり無理して働かんでええよ」と声かけて回ったりしているとのことだ。
「偉いさんなったら、ようけ若いのがついて回って大変やろ」
 僕のことを覚えているのか、誰かと勘違いしているのかわからなかったので、「ほんまにそうやで〜大変やで」と適当に合わせておいた。ほうやろほうやろ。あんまり無理して働かんでええよ。怪我やら病気やらもあるしな。
 ああ、自分は昔から、こうやって冗談めかしながらしかこの人たちに向き合ってなかったな、と気づく。大学受験に滑ったときには、まあ天才やから大丈夫と言った。就職したときは、めっちゃ適当に働いて、いつか宝くじとかでボロ儲けするわ、と言った。結婚するときも、へらへら笑ってごまかした。東北に転勤が決まったとき、じいさんはすでに恍惚の入り口に立っていて、何度も何度も「東北にいる」と説明するのが面倒というか、それでいいのかどうかわからなくて、まあその辺に居てるから安心しといて、みたいなことを言った。
「どうや、忙しいんか」
 さっきも訊かれた質問に、「めちゃめちゃ」と返す。
「偉いさんなったら、ようけ若いのがぶら下がりよるやろ」
 平社員でしかない僕を、誰と勘違いしているのだろう。母親が昨夜、面白がって出してきていた僕の母子手帳を眺めながら、じいさんは「無理して働かんでええ」と言った。

 僕が物心つくころには、じいさんは仕事を引退していたわけだから、僕の中でじいさんと仕事は結びつかない。そのじいさんが、施設で誰かに指令を出したり、僕の仕事を仕切りに気遣ったりすることに、少しだけ違和感がある。僕の記憶の中のじいさんは、かつて住んでいたカナダかぶれの、ハンチング帽とチェックシャツの、ゆっくり歩く、心配性の、阪神ファンの、人に食べさせるのがとにかく好きな、じいさんだ。
 そのじいさんが、自分の知らないレイヤーにいる。もしかすると、すごく頑張って働いた人なのかもしれない。頑張りすぎたり、頑張りすぎた人を見たことがあるのかもしれない。

 ばあちゃんは腰が悪くて別の病院に入院してるよ。
 あなたのおうちに電話をかけたけど、誰も出ないよ。
 この人は今東北で暮らしてるよ。
 この人の弟も、働いて外に出てるよ。
 私はあなたの娘ですよ。
 ここはあなたの娘の家ですよ。
 あなたののお兄さんはもう死んでるよ。
 お葬式、出たでしょう。

 じいさんはいずれの事実についても、初めて聞くみたいに驚いた。
 僕は本当は別に、全然偉くなんかなっていない。本当と嘘、現在と過去、ごまかしと現実と恍惚のレイヤーが混合し、しかも急速に入れ替わったり消えたりする、マーブル色のレイヤーの上で、じいさんは惚けたように立っている。

 はよ帰らんと、そろそろ帰らんと、としきりに帽子を被りなおすじいさんの手を引いて、母親がまた施設へと車を走らせていった。最後まで、僕のことを孫とわかっているのかどうか判然としなかった。ありがとう。仕事無理すなな。

 僕の父親が着ていた青いシャツを指差して、「えらい派手なシャツ着てはりますな」と笑ったじいさんの顔が心に残っている。その日じいさんが言った、唯一の僕と同じ現実の中での出来事だった。
 俺もあれ、便座カバーみたいやなと思ってたよ、じいさん。僕たちは同じレイヤーにいる、と思って良いですか。

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