テキストヘッダ

カクバリズムと今の私

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 畏れず正直に言うと、角張渉という人のことを、大学のサークルのめちゃめちゃ面白い先輩――いや、とても仲のいい同級生の友達くらいに思っている節が、自分にはある。
 軽んじてそう言っているわけではないのだけど。

 その「社長」を初めて見とめたのは、自分がちょうど浪人していた頃に見たSAKEROCKのツアードキュメンタリー「ぐうぜんのきろく2」、ツアー車を縁石だか電柱にぶつけて警察に事情聴取を受けている姿だったと思う。
 ええ、レーベルの社長ってバンドワゴンの運転もするんだ。大変だな。しかもめちゃめちゃいじられてるし。
 ぼさっとした髪の毛とモッズコートのその人は、肩書きとしての「社長」ではなく、ただのあだ名として「社長」と呼ばれているように見えた。

 バンドをやるんだ、毎日色んなライブハウスに行って色んなバンドを見るんだ、気の合う奴らと朝まで酒を飲みながら色んな話をするんだ――などと、浪人していた頃から夢見ていた、というよりも「決めていた」自分は――本当にいけ好かない奴だったと思う――やっぱりほとんど大学に馴染むことができず、いつもすごく浮いていた。大学にいる間まったく声を出さない日なんてざらで、今思い返してみると、やっぱりちょっと頭がヘンになってしまっていた時期もあった。二人以上の人の群れを避けて歩いた。授業が終わるとすぐにヘッドホンをつけて誰にも話しかけられないようにしていた。毎日同じ学食の席で壁に向かって蕎麦を食べ、いつか自分がつけた蕎麦つゆの形を眺めながらじっと音楽を聴いていた。

 「慰安旅行」良い曲だな。ずっと聴いていられるな。

 その当時流行っていた言葉に「共同体」というのがあって、「仲間」とか「友達」みたいなどこか幻想めいた関係性よりも、「個人としての営みがいつの間にか結びつき合っている」みたいなことにすごく憧れていた。
 シンプルに言えば、バンドというのはみんなバラバラの楽器を演奏しているけど、それがひとつになって音楽になっているという意味でやっぱり「共同体」で、更に過剰に誰かに合わせようとしているように見えないSAKEROCKやYOUR SONG IS GOODはそれがすごくかっこよく見えた。
 かっこよく見えただけではない。うらやましかった。
 俺も何かやりたい。

 ユアソンもカクバリズムってレーベルじゃん。ええ、二階堂和美もなんだ。あれ、イルリメも今度カクバリズムから出すの?

 僕はまだ「レーベル」というものについて「似ているバンドを括るもの」ぐらいの捉え方でしかなくて、どうしてサイ上ロベ吉みたいないかつい人たち(今は全然そう思わないけど)がSAKEROCKと同じレーベルから出すんだろう、と思っていた。イルリメもやるってことはこれからヒップホップも扱う的な?
 後々マタドールとかラフトレードのことを知ったし、今でこそ二階堂和美とMU–STARSがレーベルメイトなのもなんとなくわかるよねみたいになっていますが、そんなのヘンだ、どうしてこんなヘンなことが出来るんだろうと思っていたわけです。

 キセルもカクバリズムに移るんだ。
 
 角張渉という人の名前は、東京から離れた地方都市で暮らしていても、好きな音楽を追いかけているだけで自然と耳に入ってくる。僕は大学三年生くらいになっていて、当時流行っていた音楽よりも、今作られた音楽がどういう経緯を経てそこに生まれているかということに興味があった。元町の高架下や京都の市内をぐるぐる回って、古いレコードやCDそして昔の音楽情報誌などを山ほど手に入れ、化石みたいな部屋で暮らしていた。ちょっとZINEを作って売ってみたりしたら、それがそこそこ売れたりして、そういう関係の友達も少しだけ出来たりした。
 あ、ここでも角張さんの名前が出てくるんだ。お、カクバリズムから新しいバンドがデビューするぞ。ああ、カクバリズムから出てるレコードは間違いないから聴いておいて損はないよ。

 ceroか。今これ買ったら、今月はもうご飯食べられないな。

 そこに来て、ceroが影響を受けたとしているバンドは夢中になっていたポストロックやオルタナとは全く流れを汲んだもので(ユアソンはパンクだと思い込んでいた)、またほしいレコードが倍々ゲームみたいに増えていった。大学を留年するほどバイトしていたはずなのに、一回生の頃よりもずっとひもじい暮らしをするハメになってしまった。

 10周年イベント、最高だったな(昔の彼女と行った)。

 いつの間にか僕は大学を卒業して、社会人として組織の中で仕事をしている。
 上にも書いた通りの暮らしだったので、誰にも負けないくらい音楽が好きだと思っていたけど、あくまで僕の場合それを仕事にしなかったのは、やっぱり勇気がなかったからということになるのだと思う。かっこいい、と自分が思うものを仕事として突き通していく自信がなかったんだということに尽きる。当時仲良くなれなかった友達たちに、もっと優しく包み込むような感じで、自分の好きな音楽の話が出来なかっただけなんだと思う。楽器が上手くなっていくビジョンも、かっこいいアーティストを乗せて全国津々浦々を周る自分の姿も、想像すらする勇気がなかったのだと思う。
 ここらへんのことはいくらでもだらだら書けるだろうけど、一言で言えば本当にただ勇気がなかっただけなのだ。自分が良いと思うことを、自分なりに発信していく自信。

 関西から東京に出て就職活動をしていた頃、カクバリズムの事務所を調べて、その前まで行ったことがある。大きい出版社の、三次面接の帰り道だった。
 もしこのスーツ姿のまま、カクバリズムのドアを叩いたら、人生が変わってしまうかもしれない。変わって、しまうかもしれない。変わる。変わるかも。変わるだろうか?本当に?
 もう当時自分がどこまで本気で考えていたのか思い出せないのだけど、カクバリさんはおろか、JxJxやハマケンが出てくるようなこともなく、僕は扉を叩くことも誰にも会うこともないまま、また深夜バスに乗って関西に帰った。

 思い出野郎Aチームってすごいバンド名だな。七人とも全員が「このバンド名で行こうって」なったのかな。

 僕は結婚して、それまでこそこそ書いていた小説を人に見せることができるようになった。別に奥さんに見てもらうわけではない。じゃあ何の関係があるのだと聞かれると上手く答えることができないのだけど、自分の中で結婚と小説は結構リンクしていることなのだ。
 
 正確に何のライブか思い出せないのだけど(多分京都の磔磔だったと思う)、学生の頃角張さんに握手してもらったことがある。自分が何て言ったのかも覚えていないのだけど、多分SAKEROCK聴いてます、好きですとかそんなことを言ったのだろう、角張さんがにこにこしながら「いいよね」と言ったのは覚えている。ありがとうとかこれからもよろしくではなく、「いいよね」と言ったのだ。

 ええ、文藝誌 園の編集長の江原茗一さんって、カクバリズムからCD出すんだ。

 ロック画報「カクバリズム特集」を読んで、何だか自分が好きだったクラスの卒業文集を読んでいるような気持ちになってしまった。ビールをかなり飲んでいたせいもあるのだけど、15周年イベントの集合写真を見て何故か目頭が熱くなってしまった。

 僕は身勝手で、頭のおかしいリスナーなのでしょうか。

 かっこいいと思うものをただかっこいいと言うのにも、結構な勇気がいる時代だと思う。あるいは大人になっていくにつれて素直にそれを言えなくなったり、もしかすると自分の目もだんだんくすんでいってしまうのかもしれないなと思う。僕は本当に一人で音楽を聴いていたので、それを言う必要が別にないことも、でもそれがなんとなく寂しいような気がするということも、両方知っている。
 週末はソウルバンド、じゃなくて小説を書くようになった僕は時々、大学生のころはこんな風に自分の心象風景みたいなものをぼやかしたりすることなく、もっとありのままミクシィに書いていた気がするなあと思い出したりする。当時と同じように、自分の気持ちと向き合っているのだと思うようにしているけど、やっぱり当時みたいに壁に投げつけるみたいな言葉は書いたり言ったりできないなと思う。
 角張さんが、新作リリースの度に音源にさらりと添える文章は、昔からずっと本当にただの音楽好きがビール片手に知り合いに向かって話しかけるような素直な文章で、「聴いてみてよ~すげ~良いよ~」という声が聞こえてきそうだ。

「この人のそばにいれば面白いことが起きる」というようなことを、誰かに対して簡単に言ってしまいそうになる。それは人を褒めるときに使う言葉なのだろうけど、やっぱりその「面白いこと」は勝手に起きているわけではないのだと、「ロック画報」を読んで痛感する。
 カクバリズムに一生ついていきます!というようなことも簡単に言えないなと思う。当時はよくわからなかったけど、お金や勇気をしこたま振り絞って、この人たちは何かを起こしているのだとわかるからだ。結局リスナーというのは、余計なことを考えずただふと気になったレコードを買って帰って、またふとした時にそこに針を落として耳を傾けることだけしか出来ないのだと思う。好きか好きじゃないかも、大切に聴くか何となくそのままレコードボックスにしまってしまうのかどうかも、何もかも聴いてみてからしかわからないのだ。

 でも「ロック画報」と一緒に自分の人生を振り返ってみたときに、ランドマークみたいに思い出と一緒に浮かんでくるあのアルバムやあの7インチ、それは多分永遠にそこにあり続けることについての御礼くらいは言ってもいいのかもしれないなと思う。

 明日、カクバリズムからキセルのアルバムが出る。
 特設サイトに貼られているサウンドクラウドのリンクから再生ボタンを押してから靴を履き、玄関の扉を開いて仕事に向かう。音楽が流れ出す。
 ポケットの中で、手のひらに静かな汗をかいた。

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