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dancing about architecture

※縦書きリンクはこちらから https://drive.google.com/open?id=0B7K8Qm2WWAURSUI1dlZuanQxbms

 建築について踊る、ということに実際に挑戦し始めてみてから、もう十数年が経ってしまっている。思い立った当時はまだ大学生だったのに、いつの間にか三十歳を目前としていた。よくある話だけど、もうジミヘンやブライアン・ジョーンズより長く生きているのだと思うと何だか妙な気分になる。

 ご飯の種を稼ぐ為と言ってしまうとなんだけど、僕もそれなりに色々な舞台の板を踏んできた。何でもやった。ショッピングモールの低いステージの後ろの方でバックダンサーをやったこともあるし、それなりに名前が売れてからは県民ホールや由緒ある芸術座の大きな舞台で公演をやったこともある。

 そうやって色々な場所で踊りながら、いつも僕は「その場所について踊るとしたら?」というようなことを考え続けてきたのだ。

 建築について踊る時、僕は何から始めるべきだろう?白い紙を広げて、線を引くこと?裸足のままで板の上に立ち、小さな深呼吸をすること?
 答えは考えることだ。考えて考えて考えぬくこと。どうすれば僕は、建築について踊ったことになるか。前人未到の境地。
 そしてその後にようやく、身体性を考える段階が来る。

「そもそも、そんなことしてどうなる」と、誰もが言った。
「そんなの無意味じゃないか」
「君が踊れば踊るほど、建築の本質からは離れていってしまうのではないか」
 その通りで、僕がどれだけ踊っても、僕は建築の周辺についてしか踊れず、建築そのものを踊ることはできないのだった。

 時々「そういうことも必要だよ」と言ってくれる人もいた。
「君が建築に対する愛を以て踊ることが、建築そのものを変えていくこともある」
 そういうことばがありがたくないわけではなかったけど、僕が目指しているのはそういうことではなかった。
 僕は建築という概念を変えたいわけではない。僕の踊りそのものが建築にならねばならないのだ。

 様々な建築がある。
 暮らすためのものもあれば、何か作るためのものもある。人が集まるものもあれば、ただ人が通り過ぎていくだけの建築もある。屋根がある建築もあれば、部屋のない建築もある。人々が木を削り出して作る建築もあれば、コンクリートを固める建築もある。

 僕は様々な場所で踊った。まずは建築とともに。
 ファサードを舐めるようになぞり、柱の一本一本を大地に穿つ。壁を演じ、タイルの目地の間をすり抜けていく。風が僕の間を通り抜け、太陽の光が僕の形の影を作った。
 踊る。踊る。踊り続けると、周りで何の音も聞こえなくなる瞬間がある。目を瞑っていても、周りに何があるのかわかるときがある。

 それは駅で踊った時のことだった。
 人々が行き交う夕方の改札口を正面にしながら、コインロッカーとコインロッカーの間、数メートルの隙間を、僕は踊った。
 複雑な駅の地形を頭の中に浮かべながら、緩やかでランダムなステップを踏んでいると、突然自分の身体の輪郭がぼやけた感じがして、頭の中で電車が入ってくるビジョンが浮かんだのだ。
 風を切りながら、環状線が僕の境界を突き破って電車がホームに入ってくる。
 一瞬のことで僕は呆然としていたのだけど、行き交う人々もまた、一瞬僕とは別の違和感を感じたようだった。
 「ここは、駅だ」と、行き交う人々が思い直すように、足を止めたり踏み出す場所を変えるのが、僕にはわかった。

「あなたは」と、建築事務所で仕事をしている恋人は言った。「とんでもないことをしようとしている」
 それは元々は建築について踊ることができるようになるために傍に置いた女だ。
 彼女の部屋のベッドヘッドの隅で小さな手振りをし続けると、僕はほんの一瞬気を失った。手振りをやめると、彼女が目の前で青ざめていた。

「本格的に建築で踊れるようになってしまったら、私たちはいらなくなってしまう」
 彼女は僕の手を握って言った。いつも図面大の上で線を引いている手だ。
「あなたはやはり、建築の周りのことだけを踊るべきだったのよ。あるいは、”あくまで建築を表現するため”だけに」
 建築について踊るなんて、おかしいわ。
 それでも彼女は「幾年も、あなたの中で暮らしているみたいだった」と言って涙を流すのだった。僕は人間の手で、彼女を抱きしめる。人間の体温がある。

 でも僕は後に引き下がれなかった。
 十数年踊り続けてきたのはこのためだったのだから。

 彼女に別れを告げて、一人で山に登った。北にある険しい山だ。誰も来られない場所じゃないと、僕が建築について踊ったということの証明にならないのではないかと思ったので、厳しい冬のその山を選んだ。
 帰る気はなかった。とにかく行けるところまで行こう。せめて誰も届かないような、人の手に汚されていない一番美しいと思える場所で踊ろう。

 吹雪の中は、思っていたよりもずっと静かだった。僕の体に吹きすさぶ、風の音は聞こえる。目の前がホワイトアウトしていく。耳たぶがちぎれそうだ。指も足も。
 感覚がなくても、僕はもう踊れるのだった。
 僕は踊る。ささやかな聖堂だった。大きなステンドグラスがあって、暖かい火が灯っていて、疲れた人々を癒す。その人がどんな神を信じていようとも、全てを赦してしまえるような。

 僕が建築について踊ることは、果たして無意味だったろうか?
 やがて小さな火が灯る。自分で点火した明かりに照らされながら、僕はゆっくりと意識を失っていった。
 火が揺れている。

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