テキストヘッダ

コヨーテたち

※縦書きリンクはこちらから https://drive.google.com/open?id=12NswQ9DNPhpv2wdIHT0UDCcbUaBK6tTS

大丈夫別にそのままでいれば
割とうまくいく  
いつも通りやるだけ                 
                   
シャムキャッツ 「 Coyote 」

 大学の部室棟、と言ってもただブロックをコンクリートで塗り固めて作っただけの外にいるみたいに寒々しい建物なのだけど、まあ当時の僕たちはどこにいたって同じようなものだったし、誰かの窮屈なアパートに集まって騒いだり飲み食いして汚すくらいならと、よくそこに集まった。綺麗好きなのが一人か二人ちゃんといて、僕らがひねもす部屋でうだうだした後にちゃんとジュースや発泡酒の缶を集めて袋に入れて講義棟のゴミ捨て場まで運んだり、晴れた日にマットレスを誰かの原付に立てかけて干してから演習に出たりした。先輩が就職して引っ越して行く度に要らなくなったスピーカーだのビデオデッキだのを運んでくるので、いつの間にか誰の部屋よりも充実した場所になっていて、僕らはますます堕落していった。

 そう、充実は堕落をもたらすのかもしれなかった。僕の大学時代の記憶と言えば、その部室のことばかりなのである。

 誰かが長く付き合った恋人にフラれて手首を切ると騒いでいたと思ったら、誰かがライブハウスで会ったどこ女子大の女とその日のうちにヤった話で盛り上がったりとか、あるいは誰かがお金がなくて生協の脇に生えていたキノコを食べて気絶したと思ったら、別のやつはうまいバイトを見つけたとか言って大学には来ず月に数十万稼いで毎日すき家のステーキ膳を食べていたりとか、なんというか、そういう風に僕らはみんなが混ざり合って一つになって暮らしていた。誰も命が途切れるほどのダメージは受けなかったし、極端に何かに満足もしないのだった。
 今では誰がステーキにありついていたのかも思い出せないし、そういう野草とか花とか食べてちょっと意識が飛んだことがあったのは自分だったような気もするし、結局誰がどうだったかみたいなことは上手く思い出せないのだ。みんなそうなんじゃないか、と勝手に思っている。
 それでも、そんな部室から離脱して一人坂道を下っている最中の、間違いなく自分の鼻の先がつんとくる感じとか、何にもないのに間違いなく自分の涙がこぼれそうな感じとか、そういうのははっきりと思い出せる。あれは間違いなく自分の鼻だったし目だった感覚だったし、うつむいた時に目に入ってくるバンズのスリッポンの靴も、ベルトラインのあんまり市場に出回ってない、僕自身が気に入って買ったピースマークの柄だった。
 そういうのも、アパートのドアノブの冷たさを思い出すとか、地鉄の小さい踏切の音聞くと思い出すとか、みんなそれぞれの何かがあるんじゃないかと勝手に思っている。

 そんな永遠に続きそうに思える時間が、決して永遠には続かないのだということの決定的な証拠のひとつに、今の僕らはなってしまっている。もしかすると僕だけは、そういうのを証明できるかもしれないと漠然と思っていたのだけど。
 下手したらあの部室棟だってないのかもしれない。ただでさえ隙間風が多い建物だったし。
 誰も怖くて確かめに行かないのだ。あるいは、確かめたとしても、報告しないのだ。

 部室には、野良犬が住み着いていた。
 誰が、いつ、どこから連れてきたのかも定かではない。過去のない犬だった。その犬の歴史は、僕らの堕落の歴史と共に始まったのだ。毛足の長くて汚い雑種で、舌がいつもだらしなく垂れ下がっていた。口を閉じていた試しがない犬だった。
 僕らはそいつを、各々好きなように呼んだ。スヌーピーとかウルフとかシロとかバックとか町田さんとか犬とか。茶色いそいつはどんな風に呼ばれてもへらへらしてこちらに近づいてきて、僕らが食べているスナック菓子やサンドイッチやらをねだるのだった。時々発泡酒を飲ませてみたりも。隣の部室だったダンス研究会のやつらより、その犬の方がよっぽどイケる口だった。そういう、自分の欲望に忠実なところが愛おしかった。素直なまま生きるのが難しい時代だったから、余計に。それで時々僕らも四つん這いになってみたりして、犬とお尻を追っかけ合うのだった。
 食べても食べても痩せている犬だった。結局僕らの中の誰よりも、そいつが一番食っていたはずなのに。パンだのフランクフルトだの、学食で買ったものを部室にいる連中に一口ずつ齧らせていたら、あっという間に自分の取り分も無くなってしまうわけである。だから僕らは犬を代表者にしたのだ。最後の一口を床に放り投げてやって、待て待て待てと言いながら待たずにそれにかぶりつく犬を眺めていた。

「俺たちは傷を舐め合ってるだけなんやないか」と、犬顔のTが言い始めたのは、この国で大きな災害があった頃だった。四年の春。犬が一番懐いていたのがTだった。
 被災地にインスタント食品や水を送ってあげるだのなんだのとボランティアサークルが躍起になっていた記憶がある。そういうのにも参加したし、犬にも僕らが買った食べ物の分け前を与えていた、ということになる。

 その頃、とはっきりと言えるのは何故かと言うと、僕は誰かが運び込んだ合皮の安っぽいソファに寝転がって、スニーカーの隙間からNHKの番組を見ていたことを覚えているからだ。それはこの街であった十数年前の災害と今回の災害の比較している討論番組で、かつてここいらの復興計画に関わった僕のゼミの先生が真ん中に映っていた。
 多分インターネットを使えば、その番組が何年の何月何日何時にやっていたのか調べることができると思う。つまり、Tが「俺たちは傷を舐め合っているだけなんやないか」と言い始めた具体的な日時も調べられるということだ。

 Tはちょっとかわいそうなやつで、両親を既に亡くしていて、バイトをしながら夜間の授業に出ていて、その頃彼女にもフラれたのだった。サークル内ではギターボーカルをやっていて、ライブ中に手拍子したりするとものすごくキレるやつだった。「全体主義的やん」とか「テンポが合ってなくて気持ち悪いねん」とか「ステージ側から客が手拍子してんの見てると教祖になったみたいや」とか、まあごちゃごちゃと思いつく限りのことを言っていた。
 犬は、別にTがいつもコンビニをぶら下げているわけでもないのに、一旦食べたり撫でられたりするのをやめて、Tのそばにそっとかけよるのだった。犬の気持ちなんて誰にもわかりようはないけど、あれは「嬉しそうに」としか形容できないかけより方だった。

 その「俺たちは傷を舐め合っているだけなんやないか」記念日のことを、僕はとにかくよく覚えている。Tが言ったことに、何て返せばいいのかわからなかったからだ。Tも別に僕に返答を求めている様子ではなくて、はっはっはっと短く息を吐き続けるアホ面の犬——しばらくバリーとでも呼んでおこうか——の首を撫でながら、ただそう言っただけなのだった。
 カップラーメンかコーヒーでも作ろうとしていたのだろう、湯沸かし器が蒸気をあげながらこぽこぽ音を立てていて、煙が窓の青空に染み込んでいくところまで覚えている。
 犬は、息を吐きながらTの顔をじっと見つめていた。
 
 それからTは、僕らが夜になって音楽をかけて踊ったり、一人で見たら絶対笑わないようなバラエティ番組を見てげらげら笑ったり、ろくでもないゾンビ映画を観たり、卑猥な形に削ったスタイロフォームに誰かの元カノのブラジャーを着けて腰を振る真似をしてにわかに盛り上がると、必ず「俺たちは傷を舐め合ってるだけなんやないか」とつぶやくのだった。
 Tの縁なし眼鏡の奥の眼は、それを本気で言っているのか、それとも本気っぽく言うというギャグにも取れる目つきで、どっちなのか判断できなかった。
 ただ、バリーだけは何故か、千切れるんじゃないかというくらい激しく振っていた尻尾をしゅんとさせて、Tの言ったことを真面目に受け取っていたことに、僕は気づいていた。相変わらず舌は出しっぱなしにしていたけど。

 今そういうのを思い出すのは、どうしてなのだろう。傷?あの頃僕はそんなに傷ついていたのだろうか。そして傷を舐め合っていたのだろうか。
 Tが言っていたのは「傷を舐め合おう」でも「傷を舐め合っている場合じゃない」でもなく、間違いなく「俺たちは傷を舐め合っているだけなんやないか」という問いかけだった。
 水を差そうとしているのかどうか判断することも出来ない、というのは間違いなのかもしれない。僕らは判断するのが怖くて、無視していたんじゃないだろうか?

 バリーの話には結末がある。
 しばらく部室で姿を見ないなと、僕らは随分心配した。特にTは部室棟の部屋を全部回って犬を知りませんかと聞いて回ったり、ペットショップや保健所に電話をかけまくったりしていた。「お前ら薄情やな」みたいなことをTは言わなかったし多分思ってもいなかったけど、なんとなく後ろめたくて僕らも色々探し回った。
 もしかしたら、車に轢かれたり、道で変な物を食べたりしたんじゃないか。
 落ち着きのない馬鹿な犬だったので、誰もがそう思った。あいつアホで可愛かったよな、尻尾振ってさ、と思い出を話すみたいに誰かが言うとき、犬は死んだことになっていたのだと思う。
 繰り返しになるが、あの犬の歴史は、僕らの堕落の歴史と共に始まったのだ。だから、もしかしたら堕落の歴史が先細って収束に向かうのと同じように、犬も衰えて死んだのかもしれない。

 そう、僕らの堕落の歴史も、そろそろ終わりを迎えようとしていたのだ。

 と、そんなことをTも思い始めて犬を探すのを諦め、僕らと踊ったり教科書を燃やしてサンマを焼いたりするようになった頃、犬が見つかった。
 犬は、その坂道の多い大学の傍の、高級住宅街で暮らしていた。
 汚い毛は清潔に刈られ、服を着ていた。同じ庭に純潔の犬がいて、そいつとお尻を追いかけ回っているところを、たまたまバイトの帰り道にTが見つけたのだ。
「アホ面やったからすぐわかった」
 相変わらず舌出しっぱなしのままやったわ。大きくて白い純潔のメス犬の鼻をぺろぺろ舐めてたよ。
 T以外は誰も、ウィードでありマルクマスでありタカシでありハリーでありミスター・ボーンズでありプルートでありバリーでもあったその犬を見に行かなかった。Tは何度か見に行っていたと思う。どんな気持ちで、二匹の犬がよろしくやっているのを見ていたかは、想像するしかない。もしかするとやはり、「傷を舐め合ってるだけなんやないか」とつぶやいていたかもしれない。
 僕は広い庭を走り回る犬を見たら、そう呟いただろうか?

 何か特別な力が、あの時代の自分たちにはあったのかもしれない。でも、あの半野良犬のことを思い出すと、実は最初から——そしてこれからも——そんな力はなくって、ただ大きな流れみたいなものに全て左右されているだけなのかもしれないと思い直してしまうのだ。

 僕はその大学を卒業してからその街を離れ、仕事をするために東京に出た。そしてまた仕事の都合で、その頃災害があった場所のすぐ傍——どこまでを傍と言って良いのかわからないけど——に住むことになった。
 街並みというのはどこも同じに見える。夜の光が多いか少ないか、それくらいのものだ。余裕があるときは、どこの街並みも美しく見える。
 そうしてかつての住まいから遠く離れた場所に住んでいることもあって、その頃の仲間とはあまり会えない。東京に仕事で行くときもみんながたくさん集まることは滅多になくて、二人とか三人とかで飲むだけだ。ああいう部室みたいな広々とした場所は東京のどこを探してもなくて、狭くてうるさい居酒屋で肩をすぼめて話さなくてはならない。踊ることもキャッチボールすることもうだうだと時間が過ぎていくのを待つこともできず、二時間ほど経ったらお金を払って帰る。

「俺たちは傷を舐め合っているだけなんやないか」
 すごく良い言葉だぞ、T、と僕は思う。傷を舐め合っているだけなんじゃないか、俺たちは。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
 お前は正しいぞ、T、と僕は思う。合っているかどうかに関わらず。
 昨年の春だったか秋だったか、結婚式で同じテーブルだったTに——結婚式だって、信じられないな——その話をしたことがある。お前が言っていたことは正しいよ、絶対正しい。

「そんなん言うてた覚え、全くない」

 Tはそう言っていたけど、僕は覚えているのだ。
 でもきっと、可愛がっていたあの犬のことは忘れていないんじゃないか、と思う。結婚式の時はちらりとも思い出さずにいて、確認していないのだけど。

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