100万人に1人


一ヶ月ほど前、ワクチンに関して「たとえ100万人のうちの1人であっても、何かが起こるときには起こってしまいます」という事を記載した記事(リンク参照)を投稿しました。不幸にしてそれが現実になり、アストラゼネカ製のワクチンでは100万人に1人程度の割合で致死的な血栓症が出てくるという事が分かってきました。

これに関して最近、アストラゼネカ製のワクチンによる副反応で命を落としたイギリスの方のご遺族が「ワクチンを打つことで死んでしまうリスクはゼロではないが、ウイルスに罹って死ぬよりリスクは低いから、それでもワクチンを打つべきだ」という趣旨のことを発言されていることが日本のニュースでも取り上げられたそうで、それを引用して「素晴らしい!」と称賛したりとか「この方の言うとおりだ」と賛意をSNSで表明している医療従事者がたくさん見られます。

このご遺族の方のおっしゃるような考え方を、医療業界では「リスク・ベネフィットのバランスを考えると、ベネフィットが上回る」と表現します。ベネフィットとはこの場合、ワクチンを打つことで得られる利益の事で、具体的には新型コロナワクチンに罹って大変なことになる可能性を低くできるという事を指します。

さて、このご遺族の方が様々なことを考えてこう発信なさっていることは称賛に価すると思います。ただ、安易にそれに乗っかるような態度を見ていると、やっぱり「いや、それはあかんやろ」と思ってしまいます。

ワクチンにケチをつけるような報道には基本的に反論し、「リスクよりもベネフィットが上回るから接種を励行すべき」と一方的に主張するのは、数年前の子宮頸がんワクチンのトラウマ故かとは思います。すなわち、本来医学的に因果関係が無い症状が子宮頸がんワクチンの重大な副反応であるかのように過剰に報道された結果、先進国の中で日本だけワクチン接種が事実上ストップとなり、結果として子宮頸がんで命を落とす人が増えてしまったという社会医学的な大打撃があったわけで、その轍は踏むまい、という意気込みは理解できます。

しかし、今回の血栓症に関しては、その子宮頸がんワクチンの事件とは決定的に異なるポイントがあります。今回はどうやら医学的に因果関係がありそうなのです。これは軽々しく考えるべきことではありませんし、簡単に「ベネフィットが上回る」というべきではありません。事実、欧州ではアストラゼネカ製のワクチンは30歳未満には非推奨となりました。これはすなわち、COVID-19による死亡リスクの低い30歳未満ではむしろリスクが勝る、という判断によるものと推測できます(根拠を明記した出典を参照していないので私の思い込みかもしれませんが)。

本当に、本当に、本当に、日本人集団において、リスク・ベネフィットのバランスをとるとベネフィットが勝ると言えるのか?年齢別に考えた場合はどうなのか?血栓症は接種後どれぐらいの期間まで発症の可能性があるのか?

こうした疑問に対する回答を与えることことなしに、安易に上記のようなご遺族のコメントを称賛するという態度には強い嫌悪感を禁じ得ません。ワクチンを推進することだけを考えていて、ワクチンを接種する一人一人の人間の想いにまで配慮が行き届いていない、医師としてあるまじき行為であると私には感じられます。

私はすでに1回目を接種し、再来週2回目の接種予定です。これに関しては何の疑いもなく、接種します。しかし、これから予防接種を受けようという人が不安がっていた時に、安易に「ベネフィットが勝る」とは私には言えません。

特に若年者で、本当に自分の身体だけのことを考えた時にリスクよりベネフィットの方が勝るのか?ちゃんとした数字が出せるのか?もし出せないのにベネフィットが勝る、と言いくるめてしまうのであればそれは不誠実に思えます。少なくとも、上述のようにベネフィットが勝るから打つべきだ、という意見を開陳している人のSNS上で、しっかりとした数字を出しているものには出会いません(もっと探せば、出している人もいるだろうとは思いますし、聞けば出してくれそうな人にも心当たりはあります)。

ただ、ワクチンの効果に関しては、もはや疑いの余地はありません。変異種についての問題はありますが、感染を抑制しきれなくても重症化は抑制できるようであり、それならば十分に有効で有意義であると言えます。ワクチンを打つことで変異株が増えるといったような意見も散見されますが、普通に考えてむしろ逆で、ワクチンを早期に普及させて患者を減らした方が困った変異株の出現確率は下がるはずです(ゼロにはなりませんが)。そういう意味で、人類全体としてワクチンは普及させるべきであるのは間違いありません。そしてそれは、現時点ではベネフィットが乏しいかもしれない若年者にとっても、若年者も高率に重症化させるような新たな変異株が将来出現してくるリスクを下げることになり、まわりまわってベネフィットになるでしょう。
さらに、「感染するかしないか」という純医療的な問題だけではなく、社会的な問題も伴います。経済を再開できない限りは、普通の生活が出来ません。オンライン技術もどんどん進歩していますが、人がホモサピエンスという動物である限り、オフラインでのつながり無しでは生きていけません。ワクチンは以前のような生活を早期に取り戻せる可能性が高い、人類が手にした唯一無二の切り札です。社会を取り戻すことだって立派なベネフィットです。その点も勘案するとやはりワクチン接種は間違いなく推進すべきです。

そして何より、医学的でも何でもないですが、ワクチン接種後の解放感というものは、得難いものです。それだけでも打つ価値があると私は思っています。私はこういう意識のもと、そしてまことに小さな社会のひとかけらとして、責任をもって予防接種を受けました。

しかし繰り返しますが、今回のワクチン接種は、純医学的なリスク・ベネフィットバランスだけでものを言うべきではありません。不安を感じている人を簡単にベネフィットが勝ると言いくるめてしまうべきではありません。そもそも、ワクチンを普及させるべきという考えの先にある目的、目標、ゴールは「社会の正常化」であって、もしかしたら個人個人の幸福の追求であるとは限らないのだという事に、無自覚であってはなりません。

所謂「インフルエンサー」の皆様には、なぜワクチンを打つべきなのか、「ベネフィット」の中には何が含まれているのか、もっと丁寧な情報発信を、そして不安に寄り添いつつの情報発信を、期待したいと思います。

どんなことをしていても、医師の相手は行きつくところ一人一人の人であると、私は思うのです。

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