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ほとんど誰にも知られていない、悲しみの原爆の碑

長崎市浦上地区にある西町踏み切り。何気ない風景の中を多くの人や車が通りすぎていきます。
しかし、この画像の中に「ほとんど誰にも知られていない、悲しみの原爆の碑」があるのです。

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線路の脇に立つ、小さなお地蔵さん。

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・・・・気付く人さえいないかもしれません。

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このお地蔵さんには、原爆に関する、こういう悲しいエピソードがあります・・・・


『・・・そうして私たちは学校から帰ると、アメリカの兵隊さんが大きな穴を掘って残飯を捨てますから、それを急いで拾いに行って分けあって食べました。
病気になっても、お金がないので病院にかかることができなかったのです。妹は苦しんで、体が腐っていきました。
うじ虫もたくさん湧きました。
電灯も何もない暗闇の中で、ぐちゅぐちゅと音がします。うじ虫が妹の肉を食っているのです。
「姉ちゃん、うじ虫がうちの肉を食いよるけん、取ってくれんね」と言いますが、昼間なら取ってあげられますが、灯りがありません。
真っ暗闇で取ってあげられなかったんです。
「我慢せんね、夜が明けたら取ってやるけん。」夜が明けて、立ち上がって妹の足を見ると、一晩中妹の肉を食べたうじ虫は丸々と太って、ぽたぽたと足元に落ちました。
私たちは頑張って生きていこうと、約束をしましたが、妹は苦しんで、「姉ちゃん、こげん苦しむとやったら、お母ちゃんのところに行こう」と泣きます。
「だめだ、せっかく生き残ったんだから、頑張って生きていこう」と私がはげますと、「うん、頑張らんばつまらんね。」と言っていた妹も、とうとう貧しさに負けてしまいました。

ごみばかりあさって、缶詰めの缶を拾ってきて、缶に残っている食べかすを食べて生きていかなければならない生活に負けて、妹はとうとう帰ってこなかったのです。
どこへ行ったんだろう、と探してみたら、「おーい、若か女の人が列車に飛び込んだぞ」という声がしました。
妹が帰ってこないので、大人の人の後ろに私もついて走って、大橋の線路のところに行ってみました。
びっくりしたんです。
お腹が腐って、うじ虫が湧いています。
顔は大きくぐじゃぐじゃに崩れて、腕と脚は切断されて、どういう風にしていったのか分かりません。
「あっ、妹です。」と叫びました。
「どうして妹と分かるとや。」と聞かれたので、「お腹にうじ虫の湧いているのが妹です。妹が帰ってこないんです。」と答えました。
その頃は1日に4人も5人も列車に飛びこんだのです。
なぜかというと、お父さんお母さん、友達もみんないなくなって淋しくて苦しくて、「死んだほうがましかなあ」と多くの人が思ってしまったからです。
そうやって、妹も列車に飛び込んで、ぐじゃぐじゃになって死んでいきました。

「なぜ死んだの、なぜもっと頑張らなかったの。」と声をかけました。
市役所の人が箱を持ってきてくださいました。
私は妹をしっかりと抱きかかえて、箱におさめました。
私の服は妹の血液で真っ赤になりました。
警察の人がいっぱい来て「なんや、この死体は。よっそわしか。腕のなかやっか。脚はどこさ飛んだとや。」といいます。
私は線路を行ったりきたりして、妹の脚を1つ、2つ拾い、腕を1つ2つ拾って箱におさめました。リヤカーに乗せて、一人でとぼとぼと稲佐山の下の火葬場に連れて行きました。


これは、ある被爆された方の手記(講話)の一部です。
長崎の語り部の中では有名なかたですが、ここでは名は伏せておきます。

戦争や空襲で受けた傷であれば、いつかは癒えていきます。しかし、原爆で受けた放射線は体の内部まで破壊してしまいます。

普通であれば、治っていく傷口もいつまでも化膿し続け、その傷口に蛆がわく。それでも病院へいくどころか、蛆を取る為に照らす電灯すらない。これが被爆後の長崎の街だったのですね。

今の時代、ちょっとニキビができたりしただけでも若い娘はため息が出るほど気にするものですが、傷から膿が出続け、蛆がわいているなんて想像を絶します。

それよりも悲惨なことは、そういうことも慮ることができず、「なんや、この死体は。よっそわしか(汚らしい)。」などと言ってしまうような世間の状況です。

誰も振り向きませんが、この小さなお地蔵さんはその悲しい原爆と人の心の記憶を今に伝えているような気がします。

修学旅行生や外国人旅行者に、こういう話を理解してもらうのは、なかなか難しいことだと思うのですが、長崎市民は、今の長崎の街はこういった多くの尊い犠牲の上に立っているということを忘れてはならないのだと思うのです・・・。

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