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写真録 馬⑯ 長崎市において、馬車による資材の輸送


はっきりした年代はわからないが、軍服の男たちが荷馬車を曳いているところから、戦前の昭和17年から20年あたりの長崎駅前を写したものと思われる。

この当時、このような写真を一般人が写すことはできなかっただろうから、軍の指示により、何かプロパガンダの一環として撮られたものかもしれない。

いずれにしても、この一枚から、本土には輸送に使える石油はほぼ皆無であって、物資の輸送には馬に頼らざるを得なかったということである。
このような状態で、戦争を続けていたのだから恐ろしい。
最終的に人間の命を投げうってまで抗戦しようとする「特攻作戦」にまで行かざるを得なかったことがうなづける。

この一枚の写真から戦争について考えることのできるだろう。

日露戦争までの戦況がよかった時には、炭坑の坑道内で「死の労働」を強制され、太平洋戦争の壊滅的な「死への戦争」では、このように一般物資や軍需物資を運ばされ、挙句には原子爆弾により多くの馬車馬が死に追いやられた。


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