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「人が一日をどう過ごしたか」は、その人の人生を凝縮している

一日を、どう過ごしているでしょうか?
ほぼ同じようなルーティーンをただ、ぼんやりと繰り返していますか?

ついつい嫌な奴、むかつくアカウントの投稿に暴言を投げつけてしまった?

「可哀そうだな」「何とかしなきゃな」とは思ったけど、結局そのまま何もしなかった?

等など・・・・

その一日は、そのままその人の人生そのものを凝縮していると言います。
いつか、「雷に打たれたように」変化することなどありません。

「インド独立の父」として誰もが知る、マハトマ・ガンジーは、『私は毎日死に、毎日誕生する』という言葉を遺していますが、これは同じようなことを意味しています。

若い頃は、「人生80年としても、まだまだ折り返しにも至っていないじゃないか!」と考えてしまいます。
しかし、もう50歳を過ぎ、還暦に近づいてくる頃になると、「自分にできることなど、この先ほとんど何も無い。できたとしてもそれは微々たるものである」ということを嫌でも悟るようになります。

一日の中で感じ、思考し、選択し行動することは、その人の人生の在り方そのものなのです。

ですから、若い時にこそ、「今日一日が、自分の人生のすべて」と考えて生きることは、とても重要な意味があることです。


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