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自分の親と同じ年齢だけど、私のことを「先生」と呼んでくれるお客さん

一体、どういうきっかけで私に仕事を依頼してくれるようになったのかは、忘れてしまった。

しかし、私の親と同じ89歳なのだけど、かくしゃくとして明るく、そして私のことを「先生」と呼んでくれるお得意さんがいた。

福岡県八女市の出身で、長崎市には嫁いで来ている。

旦那さんは、よく言えば豪放、有体に言えば外面だけよくて、家の中のことは、奥さんに投げっぱなしの人だったらしい。70くらいで癌で亡くなっている。

長崎・諏訪神社の近くに家を建てた際、新築祝いを自宅でやっていた時に、町の有力者みたいな人が、「床の間の大きさが小さい」と言い出し、調子に乗った旦那は、その場で「じゃあ、床の間を広げる」と宣言した。

その後、実際に設計を手直ししたのは、そのお得意さんである奥さんだった。


また、長崎の義理の父親も町の有力者で、原爆被爆後、被爆者認定を申請する際に、認定の覚え書きを出す立場だったらしい。
(「被爆者手帳」を取得できるか否かは、天国か地獄か!ぐらいの差がある。
同手帖を持つことが出来れば、その後の医療費はすべて無料になるばかりか、毎月3万円ほどの補助金まで手にすることができる。
だから、いまだに「被爆者認定」を巡って現在も訴訟が続いているのだ。)

義父は、当然その認定を頼まれることが多かったのだが、中には顔も知らないような人も多くいて、認定することをためらったらしい。
そんな時、義理の娘である、お得意さんは、「顔なんか知らんでも、どんどん書いてやらんね!困っとらすとでしょうが!」と進言したという。


そんな風な人だったから、赤の他人の私に対しても、「職人あつかい」や「年下あつかい」することなど無いばかりか、私が教師をしていたと話しただけで、以後ずっと「先生」と呼んでくださった。

こんなお客さんは、他にはいない。


その方が、この9月、いよいよ独り暮らしが難しくなるので、施設に入られることにしたというのだ。

私は、後日、菓子折りを持って、謝意を伝える挨拶に伺った。


庭仕事からおうちの内外の清掃、旦那さんの古書の整理など、何度来たかわからない。また、何人の他のお客さんを紹介してもらい、その中の何人かは今もお世話になっている。

ひとつの時代が確実に終わったことを悟った。
寂しい限りである。



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