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長崎/人物・歴史・エトセトラ

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#写真

長崎市の風景 中町教会と聖体行列

長崎市には、異国を想わせる場所がいくつかあるのだが、私にとって中町教会のある通りが、そのひとつ。 原爆被災時には、この辺りも写真のように壊滅的な被害を受けたが、中町教会の尖塔は、かろうじてその姿をとどめている。 長崎原爆の写真として、よく知られる写真が、下の一枚で、これも中町教会付近で撮られたもの。ちなみに、この女性の笑顔は派遣されてきた従軍カメラマン、山端 庸介による完全な「演出」であった。 その後、復興した長崎の街では、大黒恵美須市場とともに、「復興のシンボル」とも

またひとつ姿を消した故郷 ~ 大黒・恵美須市場撤去

昨年3月末をもって閉鎖された大黒・恵美須市場。その後長い間立ち入り禁止という状態が続いていましたが、平成25年になってから遂に解体・撤去されました。(元記事作成:2013年) 行政に関しては今更このトピックで云々言う気はありません。 でも、一年前の同地はこのようになっていたわけで、どちらが「長崎」の街として親しみが持てるかなぁと思ってしまいます。 まぁその論争も他に譲るとしても、下の画像にあるように、ここには長年「ヒトの暮らし」があり、雨が降れば、家族の傘が並ぶ・・という日

長崎市の風景 「長崎原爆資料館に続く道と夏の入道雲」

建物は、戦後の小さな資料館から、国際文化会館、今の資料館と変わっていったが、浜口からこの丘に続く坂道の感じだけは変わらない。 夏の入道雲が立つ頃、「チリンチリン・アイス」の姿が見え始め、8月9日を迎える、そわそわした気持ちになる。 昔、このロータリーの一角に犬猫病院の名医がおり、皮膚病にかかった我が家のダックスフントを連れてきたことがあった。 教員時代には、資料館内のホールで生徒たちと話し合いをしたこともあった。 自分の学生時代には、長崎から遠く離れた地方に住んでいた

今もなお 立ち続ける証言者たち ~ 長崎の被爆樹木に会いにゆく ②

若草町を後にし、今回爆心地よりわずか800mという至近距離にある被爆木を探します。800mという距離はちょうど山王神社の大クスと同じ距離にあたります。 竹の久保町にある引地さん宅の柿の木とカシの木です。引地さん宅は活水学院中・高等学校と長崎西高校のグラウンドの間に位置しています。 カシの木の方は、比較的すんなりと見つけることが出来ました。 このカシの木は被爆時、中ほどからへし折られたそうなのですが、2年ほど経ってからまた芽吹いたそうです。向かって右側が爆心にあたり、やはりそ

ポルトガル人とカトリック信徒が礎を築いた天然の要塞都市「長崎」に来てみませんか!?①

近代的な長崎の街のもとが形成されたのは、武将たちが武力で領地争いを繰り返していた戦国時代のことです。 詳しい歴史は割愛しますが、当時の「長崎」はキリシタン大名であった大村純忠(大村藩)の家臣でもあった長崎甚左衛門が領主としておさめる小さな寒村にすぎませんでした。 (画像は、長崎氏の居城があった桜馬場中学校周辺) 桜馬場中学校の裏手にはポルトガル人宣教師、ルイス・デ・アルメイダが1567年に渡来し、布教したことを記念したプレートがあります。 スペイン人宣教師コスメ・デ・トーレ

長崎・坂の小径さるき(歩き) のススメ

次の方に、特にオススメです・・・・ ・ツアーもいいけど、自分ひとりで、気ままに歩くのが好き ・車の排気ガスや騒音がダメ、群衆のワイワイも苦手 ・その土地のヒトやモノとの、思いがけない出会いが楽しみ ・昼間がっちり歩いて(カロリーを消費して)、夜に美味しいものを食べたい ・自分だけの風景や光景を発見したい ・お決まりの観光コースには、もう飽きた 【 このコースのさるき(歩き)方 】 ①まず長崎の街のどこでも、構いませんので、何となく「好みの?」小径へ入っていってください。