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長崎/人物・歴史・エトセトラ

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2020年10月の記事一覧

長崎の鐘

原爆により、一瞬で倒壊した浦上天主堂の2つの鐘の内の1つは、奇跡的に割れずに瓦礫の中から掘り出されました。 その後、投下された昭和20年年12月のクリスマスから、天主堂が再建される34年まで、写真のように瓦礫の残る丘で鳴らされてきました。 「アンジェラスの鐘」とも呼ばれ、今も新天主堂の鐘楼で現役として鳴らされており、毎日その音色を聴くことができます。

岩崎 弥太郎の魂 ~ 三菱長崎造船所

NHK大河ドラマ「龍馬伝」では、三菱関係者に「なりがあまりにも汚い」と不評だったという岩崎弥太郎。 その評価については、さておき、一代で三井・住友という伝統ある財閥に肩を並べる三菱を創設したという偉業を達成した弥太郎は、やはりすごいですよね。 その三菱の始まりとなった長崎造船所には、戦後間もない頃、弥太郎の不屈の精神をうかがわせるエピソードが残されています。 戦時中、軍需工場となっていた三菱の各工場は連合国爆撃機の攻撃目標となり、たびたび空襲に見舞われました。(写真は、

消えた島 ~ 大村市 箕島(長崎空港)

「大村市箕島(みしま)町」 ~ 長崎県の空の玄関口、長崎空港の住所です。 長崎空港は大村湾に浮かぶ有人島、箕島を開発した海上空港として昭和50年に開港しました。(写真手前は海軍時代からの大村空港です。) 海上空港であるが故に「騒音被害の少ない空港」としての長所が強調されていますが、もともと有人島であった箕島の部分は、上下の画像を見比べる限り、滑走路でも空港施設でもない「NAGASAKI」という巨大な植え込みのある辺りであることがわかります。 つまり、「箕島を開発した」と

深い情愛で結ばれた親子の記憶が保存してある二畳の家 ~ 永井博士親子の如己堂

長崎市名誉市民外一号である、故・永井 隆博士が亡くなる約3年前から親子三人で暮らしていた住居はたった二畳一間の家。 ・・・長崎に暮らす自分にとっては大いに誇らしいことであるし、その家「如己堂(にょこどう)」を今、未来ある子ども達が修学旅行の傍ら立ち寄って見学している姿というのは、なんともうれしいものです。 その思いは、名誉市民になるような人がこのような謙虚な暮らしをしていたという安堵感からくるものでも、今、裕福な暮らしをする人を妬む気持ちの裏返しからくるなどという、ケチく