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少女の日記としてではなく、一人の人格ある人間のものとして「アンネの日記 増補改訂版(文春文庫)」を読む ⑰ ささやかだけど、心豊かな誕生日パーティー

命がけの「隠れ家生活」であるが、ミープ・ヒースたち協力者の尽力もあって、ささやかながらも、隠れ家の住人や協力者の誕生祝いが催されていた。 誕生日というものは、その日を知る家族や知人以外には、まったく普通通りの日なのであるが、祝おうとする気持ちさえあるならば、置かれた状況に関わらずこれほどまでに豊かなものになるのだ。 願わくは、このささやかな祝宴が、その後もずっと続いていって欲しかった。

アートパネル 口角を上げて明るい表情になる為に 24cmスクエア 「おはよう!」

【 口角を上げて明るい表情になる為のアートパネルとは 】 副交感神経・免疫系など、ありとあらゆるホメオスタシスをつかさどる「脳幹部」に、顔の表情筋を通してダイレクトにアプローチするための「イメージ・パネル」です。 洗面所やWCなど、一日の中で、「お部屋の目に付きやすい場所」に掛けておいて、明るい表情のエクササイズを心掛けてみてください。 その表情をするたびに、「言葉や理屈の通じない原始時代の脳」である脳幹部に、『 あ、今いいことが起きている! 』という信号を送り、脳幹部が活性

NHKバタフライエフェクト「史上最大の作戦 ノルマンディー上陸」を観て

ノルマンディー上陸作戦が、現代において、どれだけ知られているのか?正確にはわからない。 しかし、昭和世代の人や、少し第二次世界大戦を調べた人であれば、アメリカを中心とした連合国軍が、フランスを占領するドイツ軍を打ち破り、決定的な反撃を開始した闘いとして認識しているだろう。 私は映画「プライベート・ライアン」の上陸シーンを観て、衝撃を受けた。 また、私の推奨する「アンネの日記」の中にも、この「ノルマンディー上陸作戦」は、希望を持って記述されている。 しかし、である。 同番組

追悼 フランソワーズ・アルディ ~ 松任谷 由実が「私のフランソワーズ」で歌い憧れたフランスのシンガー

2024年6月11日、フランソワーズ・アルディさんが亡くなった。 フランソワーズ・アルディを知らなくても、松任谷 由実さんの楽曲「私のフランソワーズ」を聴いたことがある方は多いだろう。 名曲を生み出し続けている松任谷さんが、楽曲のテーマにするほどオマージュされたシンガー。それが、フランソワーズ・アルディさんだった。 「内向的で、有名人の生活に幻滅していた」というフランソワーズ・アルディさん。 彼女のポートレートは、いずれも商業的な愛想笑いなど無く、自然なものである。 19

ハイジ アルプスの物語(原題:Heidi)

私は、昔流行った「アルプスの少女ハイジ」をそんなに見ていたわけでもないし、ちゃんと本を読んだわけでもない。 だから、この感想は、2015年に公開された、ドイツ・スイス合作の「ハイジ アルプスの物語(原題:heidi)」についてのみである。 NHKーBSで放送があったので、何となく録画しておいて観た作品。 感想を一言で言うならば非常によかった。 ハイジ役のアヌーク・シュテフェンが、とっても愛らしいこともあるのだが、それ以上に魅力的と言えるのが、預けられた先であるゼーゼマン家

太陽のように温かな母親の人柄が、チャップリンの才能を開花させた ~ 「チャップリン自伝ー若き日々」を読む ④-2

生活に行き詰まり、やむなく貧民院入りを決めた母ハンナだったが、よくある話のように、子どもの世話から逃れたかったわけではなかったことがよくわかる一節。 子どもと別れた部屋に住んでから一週間で、チャップリン達が驚くほどやつれて老け込んでしまったのだ。 それでも、子どもの顔を見たとたん、顔がパッと輝き、親子で涙した後の光景は、短い文章ではあるが、どんなに心温まる素晴らしい光景であるかは、容易に想像ができる。 編み物をして、やっと手に入れた小銭で買った売店のキャンディーは、二人にとっ

F.P.レシェトニコフ 「Deuce Again」

作品のタイトルである「Deuce Again」は、「再試験」とでも訳せばいいだろうか。 家族から一斉に冷たい視線を浴びせられる中、飼い犬だけは帰宅した男の子を「大歓迎」している。 無垢な動物の存在が人にとって、いかに重要なものであるかを旨く表している作品である。 私が幼い頃住んでいたアパートでは、犬を飼うことが禁止されてはいなかった。 「ペロ」という名のダックスフントを飼っていたのだが、やはり彼は重要な存在だった。 夜眠る時、兄と交代でペロと一緒に寝ることが許されていたし、

NHK 映像の世紀 バタフライエフェクト「東京裁判」を観て

現在までの世界史で、最も被害・犠牲規模が大きかった第二次世界大戦。 その終結後、戦勝国である連合国が敗戦国である日本に対して行った「東京裁判」(正式には極東国際軍事裁判)。 そもそも「戦争」が、裁判によって裁かれ得るのか?という大前提は、今なお論議を呼んでいるところである。 これについては、日本の被告側を弁護したベン・ブルース・ブレイクニーが以下のような発言を遺している。 この問題定義こそ、当時の日本がどうだ?とかいうことではなく、未来に語り継がれるべき「言葉の遺産」であ

馬場 雄大 選手に捧ぐ 

長崎ヴェルカが昨年、B2プレーオフを突破して、B1に昇格した。 私は、佐賀市の佐賀アリーナで、佐賀とのプレーオフ決勝を観に行ったが、正直B1でのヴェルカには何の期待も無かった。 第一に、昇格を決めた後のマネージメントに腹が立った。 市内をパレードした後に選手が年間何十万円もする高額なチケット、いわゆる「年パス」を販売するチラシを手渡し配布していた。 その直後、半分近い選手が契約解除もしくはB2、B3リーグへの移籍となったことが発表された。 つまり水面下では首切りとなっていた選

少女の日記としてではなく、一人の人格ある人間のものとして「アンネの日記 増補改訂版(文春文庫)」を読む ⑯ アンネの一番の望みは、彼女の死後実現したということ

                                                                                                                                                                                                                                                

「マヤの一生」を読む

「マヤの一生」を、この歳になって初めて読んだ。 SNSで「戦時中、飼っていた犬を供出せよと回覧板が廻ってきて子ども達が連れて行った。犬はどこかに散歩すると思って嬉しそうに尻尾を振っていたが、連れて行った先で、子ども達の目の前で絞殺され、泣きながら帰ったことを一生忘れられない」という投稿を読み、その中のやりとりで「マヤの一生」の話題が出たからだった。 もっと幼い頃、若い頃に、この本に出会うことが無かったことを悔やんだ。 私は教師であったが、この書を「戦争を考えるためのもの」とし

ストロベリーフィールズ・フォーエバー ~ ジョン・レノンが幼い頃遊んだ、自宅近所にあった救世軍孤児院

もし一度でも、リバプールに行くことができたら、最も行きたいのが、表題のストロベリーフィールズ孤児院跡(現在は、学習困難者の若者を支援する施設となっている)と、すぐ近くに合ったジョン・レノンが5歳からミミおはさん、ジョージおじさんと住んだ家があった場所(通称メンディップス)。 ジョンは、友達とこの孤児院の庭で遊んだといい、庭で行われるパーティーの音楽が聴こえてくると、ミミに「はやく、行こう!」とせがんだという。 母が比較的近くに住んでいたにも関わらず、5歳から叔母と暮らし始

少女の日記としてではなく、一人の人格ある人間のものとして「アンネの日記 増補改訂版(文春文庫)」を読む ⑮ 母親の、娘に対する「あまりにも低い見積もり」

*** アンネの花、エーディトは同居する青年ペーターとアンネが親しくすることに、懸念あるいは不快を示し、アンネにそのことを忠告している。 母親としてそれは当然と言えば当然かもしれない。 しかし、母親に対して「ちっとも悲しいと思わない」と述べた後、ペーターに関する長い想いを比べてみると、それがあまりにも喰い違っていることがわかる。 やはりエーディトは、14歳の娘に対してあまりにも低く見積もっているとしか言いようがない。 外見の幼さ、若さと経験の長さは、精神の高さとは一致しない

モンテッソーリ式教育である純心幼稚園で、ルーツが中世騎士団という説もある「フレール・ジャック」を習った

Frere Jacques. Frere Jacques. Dormez-vous? Dormez-vous? Sonnez les matines. Sonnez les matines. Din din don! Din din don! フレール ジャック、 フレール ジャック ドルメ ヴー、ドルメ ヴー ソネ レ マチンヌ 、ソネ レ マチンヌ ディンダンドン、ディンダンドン カトリックだからなのか、当時の幼児教育の流行りだったのか、わからないが、純心