「アンネの日記」のひとつの核心的な部分と言って、差し支えないだろう。
もし小学校から、大学のような教育機関において、「アンネの日記」を取り上げるのであれば、下の一節だけ取り上げて、論じてみるのも大変意味があることでは無いだろうか。
『 うちのおかあさんや、ファン・ダーンのおばさんや、その他大勢の女性たちのように、毎日ただ家事をこなすだけで、やがて忘れられてゆくような生涯を送るなんて、わたしには考えられないことですから。わたしはぜひともなにかを得たい。
夫や子供たちのほかに、この一身をささげても悔いないようななにかを。
ええ、そうなんです、わたしは世間の大多数の人たちのように、ただ無目的に、惰性で生きたくはありません。周囲のみんなの役に立つ、あるいはみんなに喜びを与える存在でありたいのです。
わたしの周囲にいながら、実際にはわたしを知らない人たちにたいしても。わたしの望みは、死んでからもなお生きつづけること! その意味で、神様がこの才能を与えてくださったことに感謝しています。
このように自分を開花させ、文章を書き、自分のなかにあるすべてを、それによって表現できるだけの才能を!。
書いていさえすれば、なにもかも忘れることができます。悲しみは消え、新たな勇気が湧いてきます。とはいえ、そしてこれが大きな問題なんですが、はたしてこのわたしに、なにかりっぱなものが書けるでしようか。いつの日か、ジャーナリストか作家になれるでしようか。
そうなりたい。ぜひそうなりたい。なぜなら、書くことにいって、新たにすべてを把握しなおすことができるからです。わたしの想念、わたしの理想、わたしの夢、ことごとくを。』
アンネは、この日の日記を、次のような文章で締めくくっている。
『 そこで思いなおします。たった十四で、ろくな経験もないのに、人生哲学についてあんたに書けるはずなんかないじゃない、って。
というわけで、わたしはまた勇気を奮いおこして、新たな努力を始めるのです。きっと成功すると思います。だって、こんなにも書きたい気持ちが強いんですから!』
アンネがこの日日記に綴った強い想いは、4か月後ゲシュタポによって逮捕連行された日、隠れ家生活を支えた一人であるミープ・ヒースによって拾い上げられた日記帳の中に遺され、今日私を含めた世界中の読者にインスパイアを与えている。
「死んでからもなお生きつづけること」。アンネの願いが叶っていたことは、大きな希望と言っていいだろう。