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スルース 大阪 感想 (という名のツイまとめ) 2021/2/4~7

 スルース見てきました。感想を書きたいんだけど何から書けばというか何を書けばいいかわからないので、この記事は本当に自分用の感情の備忘録です。(毎回言ってら)
 ちなみにあらすじは書きません!!!めんどいので!!!


話の構図とセットの話

 まずこれだけは書いておかないと。話の構図が綺麗すぎる。

 アンドリュー・ワイクとマイロ・ティンドル。上流と下流、イギリス人とイタリア人、老人と若者、などなど、どこまでも両極端で分かり合えない存在。そんな二人が「ゲーム」という同じ舞台で戦う。いやこれみんな好きな設定では??一幕と二幕でそれぞれゲームが始まって仕掛ける側と仕掛ける側、勝者と敗者が入れ替わる。そしていずれも「ゲームオーバー」というセリフで終わりが告げられる。まとまりがよい…。

 で、ここでちょっと気になったことがあって、セットの上手と下手の端にそれぞれ彫像があるんですけどどうもヤヌスっぽいんですよね。ヤヌスは「物事の始まり」とか「内と外の境界」とか意味するやつ。この演目にぴったりすぎないか。一幕二幕それぞれ別のゲームが始まるし、ステージ上に境界引いてその枠の内側にセットを置いていて、またそのセットの床はゲーム盤のように見える…。そして最後のドンドンと戸を激しく叩く音はセット奥の玄関扉ではなくセット外の下手から聞こえる。ゲームじゃない。現実。

 というか、そもそもゲームなんて現実の中にある小さな箱庭的なものにすぎないんですよね。ヤヌスの像を置く発想は天才過ぎる。ありがとう。

 で、これツイートしたときに「東京公演はセットに沿うようにステージも形が変わっててリングのようでした」的な内容のリプライをいただいたんだけど、これ本当に面白いよね。地方は融通利かないから仕方なくステージの上にセット載せてるんだろうけど、それはそれでさっき書いたような味がある。東京はまさしく二人の試合を観戦してるような気分になるけど、地方は一歩離れた視点から二人のあれこれを見ることが出来る。東京はハラハラドキドキしながら展開を見守る感じだけど、地方ではちょっと滑稽に思ったりしそう。ぜひ東京公演も見て色々比較したかったですね…。(期末試験と感染症許さねぇ)

 あと床の話。さっきゲーム盤に見えるって言ったけどあれエッシャーのだまし絵なんですよね。正面から見るとめっちゃ綺麗に立体的な段々に見える。なんでだまし絵なんだろう。ゲームで相手を騙すからってのもあるけど、「特定の一つの視点から見た時だけ成立する」っていうだまし絵の要素が一番大きいのかなと。例えばマイロは「愛があれば云々」言ってるけど、それはアンドリューにしてみればお話にならないものなわけで。自分が基盤にしている考え方なんて、自分の視点から見ているものだから成立しているだけであって、傍から見ればアホらしくて理解できないものにすぎないのかなと思ったり。そしてそれを表すために使ったのがだまし絵であると。


 うーん、境界といいヤヌスといい床といい、めっちゃ良いセットですよね。この解釈間違ってたら笑うけど。(舞台裏映像の配信まだ見てない民)



階級制度は与えて奪うっていう話

 この演目、二人の戦いを手に汗握って見るだけでも本当に楽しいんですけど、二人の背景とか考えるとまた悲しくなったり考えさせられたりと、展開や結末を知ってても何度でも楽しめるんですよね。とはいえやっぱり初見の衝撃に勝るものはないので、未見なのにこの感想読んでる変わった人はすぐに読むのをやめて愛知公演観に行くかホリプロに再演のご要望を出してください。

 冒頭でも書いた通り、この二人はイギリス階級社会の上と下を象徴するような存在で何もかもが違う。階級社会とそれを凝縮したようなアンドリューの作品を激しく非難するマイロ。彼の気持ちは非常に切実で、それほどまでに何もかも階級制度に奪われ追い詰められたからこそ、自分の命を懸けてまで、階級の上に立ち何もかもを持っているアンドリューに一矢報いようとした。

 こう書くとマイロが社会の犠牲となった良い者で、それに対するアンドリューは社会を牛耳る悪者かのように思えちゃうんだけど、実際のところはそうでもなさそう。

 アンドリューも実際は階級社会の犠牲になってるんですよね。彼は上流階級のイギリス人男性であるというだけで、特権的な立ち位置にいて全てを持っている。けどそれは社会から与えられたものであって自分自身で手に入れたわけじゃない。だからこそ自分の力で女を手に入れたマイロのことがうらやましくて憎くてたまらない。

 マイロが階級社会に奪われた悲しみを体現する存在なら、アンドリューは階級社会に与えられた(もしくは与えられすぎた)悲しみを表しているんじゃないかなと思ったりしました。互いに対するコンプレックスを植え付けた階級社会こそが憎むべき敵…。(これ書いてる時に「アンドリューの邸宅じゃなく社会そのものがゲームの場なのでは」という考えが浮かんできて怖すぎてダメになったよ)



マイロがめっちゃええ役だったという話

 もう見出しの通りです。私は20年の再演フランケンシュタインで柿澤さんに落ちたド新規もド新規のファンなのでお前に何が解るねんってツッコまれそうなんですけど、それでも僭越ながら言わせてもらうとマイロはめちゃくちゃハマり役だと思いました。喜怒哀楽全部見せて、大人の色気と子供の純粋さを一つの身体に内包して、狂気も下品さもあって、脱いで歌って踊って器用に別人を演じ分けて…。ご本人が自分で仰ってたようにまさしく全部盛りの役だった。キャラの性格も似てる部分があって。もうとにかく贅沢でしたね。

 もうちょい詳しく書こう。

 まず1幕の冒頭は相手の様子を伺って牽制しつつ防御しながらもちょいちょい煽って攻撃する感じ。生意気で夢見がちな青い雰囲気が好き。
 アンドリューの計画に乗りたいけど疑って踏みとどまろうとする。余裕ぶってヘラヘラしてるけど、彼女の悪口を言われると徐々に表情が険しくなって、強い言葉も発してしまう。こういう感情の揺れ動き良いですね。
 そしてピエロになってからは最高に楽しい。マイロくん本当にクルクル表情変えてやりたい放題。無邪気な子供が大好きなお父さんと遊んでるみたい。アンドリューに自分の父親を重ね合わせて昔をやり直してるように思えて仕方なかったです。
 そしてその後裏切られてベシャベシャに泣きながら床とお友達してるのも最高。死にたくないね。

 2幕。超ビビった。別人やん…。声も所作も歩き方も何もかも全然違う。役者って凄い。二人芝居って事前に聞いてなかったら多分私も騙されてた。実際、変装解く時に客席から驚きの声上がってたし。
 そして酒と狂気に呑まれてさらなるゲームを仕掛けていく。アンドリューを嘲りながら2階でしてるあれこれからはフランケンのジャックが思い起こされて内心沸き散らかしました。2/6マチネ死ぬほど下品だったの忘れない。
 次はタップ!タップダンス!タップのできる人間は最高にカッコいい。私18年のメリー・ポピンズで柿バート見たはずなんですけど記憶喪失してるんですよね() 噂によると2度とやらなさそうとのことですが何卒再出演のほどよろしくお願いいたします…。
 で、殺人のネタばらしからの2階の2人の場面。アンドリューに縋りつかれるマイロ、色気の塊だった。マイロにしかないアンドリューの欲しいもの。
 そして階級社会と推理小説に対する憤り。柿澤さんって激しく感情を爆発させるのが上手いというか似合いますね。けどその後毛皮のコートを羽織って話をする時にはひどく穏やかで。感情がジェットコースターのような振れ幅なのにきちんと地に足ついてるというかまとまってる。破綻してなくて説得力がある。良い。
 で!もうラストの話するんだけどあの死に方めっちゃ好きです。少し前から「あー、腹刺されるか撃たれるかして流血しながら苦しんで死ぬ姿が見たい…」って思ってたんですけど、ガチで実現されちゃってビックリしました。夢かと。しかも血まで吐くという大盤振る舞い。腹撃たれて血流してそのうえ口から血吐いて苦しそうに息しながらも、真っ赤に染まった口を大きく開けて舌突き出して勝ち誇ったように笑う。もう死ぬのに。死んだら勝っても終わりなのに。ちなみに2/7(大阪楽)はセネトの駒をチェックメイトみたいに指してからの「ゲームオーバー」でした。最高。

 ここまで書いてて改めて思ったけど良さが詰まりまくってますね。こんなご時世じゃなければもっと多くの人が目撃できたはずなのに。もったいない!!再演お願いします!!!



細々としたこと色々

 時代と価値観のズレ(?)について。
 ちょっと苦言みたいになっちゃうんですけど、今回のは1970年代じゃなく今この現代が舞台なんですよね?PCとかスマホ使ってるし。でもその割には価値観が昔すぎるような気がして、若干時代設定と噛み合ってないように感じました。男として云々とか愛人がどうのとかってもはや今ではあまり問題にされないというか重要視されない要素だと思うんですけどね。階級、格差、人種差別、性差別の問題は未だに残り続けてるしむしろ深刻さを増してるからこそ、現代に結びつけたようにも捉えられるんですが、その割にはマウントを取り合う直接の原因が古めかしい気がしました。時代と思想は結びついてるからそのまま現代に置き換えるのはやっぱり難しいのかな…。(私がきちんと理解できていないだけという可能性も大いにある)


 カテコについて。
 2/7の3回目のカーテンコールでの鋼太郎さんの言葉が凄く心に残ってて。
 「この場に立っていて皆様からの色んな思いがヒシヒシと伝わってきます。今日の拍手は一生忘れません」
 こんな感じの内容だったんだけど、心通じあってんじゃんって思っちゃった。私も今日見せてくださった芝居を一生忘れません。

 演劇っていいね。一時の時間を一緒に共有出来る。形としては残らずにすぐに消え去ってしまうけど、記憶としてずっと残り続ける。儚いのにしっかりと重みがある。尊いな。

 柿澤さんは「ホテルのハンバーガーとカレーしか食べてなくて飽きました」って話をよくされていて本当に気の毒に思ってしまった。せっかく地方まで来てくれたのに…。ご本人も仰ってたけど次また来るときはお酒も食べ物も楽しんでほしいな。
 あと「演劇の火種を絶やさないように」とか「大千秋楽まで出来るように」とか前向きな言葉が聞けて嬉しかったです。「今日が最後かもしれない」なんて本当は誰もそんなこと思いたくないですからね。


 多ステの話。
 今回大阪5公演全部行きました。ここまで短期間で同じ演目続けて見たのは初めてで親にもドン引きされたんですけど、でも行ってよかったと心の底から思いました。4日間とかいう超短い期間なのに毎日いや毎公演変化してる。初日と楽とじゃ何もかも違うし。

 特に印象に残ってるのが2/6マチネ。ちょうど大阪折り返しの回だったからなのかカメラが入っていたからなのか、それまで見た2公演とは方向性やそもそもの色が違っていて何か別のものを試みてる感じがして見ていてドキドキしました。2幕2階での「それは八百長なんじゃない」のセリフをマイロがとんでもなく冷たい表情で言ってて衝撃だった。見下げ果ててた。その後アンドリューに「頼むよ」って言われて抱きつかれて、(どうしようもない人だな…)みたいな感じでどこか優しげな表情で抱きしめ返すんだけど、すぐまたクソ冷たい表情に戻った。怖い。急に変えるやん。しかもそこまで全然違う雰囲気纏ってたの大阪の中ではこの一度だけだったし。舞台は生き物…。

 そしてこの回から鋼太郎さんも積極的に仕掛けてきてて。マイロの「蜂の毒を頭に注射する」案を肯定するアドリブまでふってた。マイロは蜂探してキョロキョロした後うずくまって凹んでそこらへんに落ちてる服掴んでいじけてました。で、それを見たアンドリューが優しく慰めてました。可愛い。

 その日の夜と翌日の楽は熱量エグくて終演後放心状態に。

 楽の1幕ラストのアンドリューがね…本当に怖くてね…。「仮面をつけろ、つけろ、つけろ」の声が未だに頭に響く。なのに2幕の2階では「共に生きていく相手がこうして見つかったんだ」の部分でマイロの目をじっと見ながら指さしたり手振りつけてじっくり丁寧に語りかけてて。それを受けてマイロは「それは八百長なんじゃない」を額突き合わせながら言ってて。濃密で妖艶。この場面は本当によく変わる。2/6昼の冷たさはどこへ…。やっぱり同じ演目でも同じ芝居や同じ公演なんて無いんだよ。多ステ楽しいですね!!!



 疲れたのでとりあえずこのあたりで切り上げよう。名古屋終わったらまた何か書きたいな。1年ぶりの一人遠征楽しみです。




 (前の記事で匂わせたハルシオンについてはDVD発売後に何か書くかも。フランケンは学校の課題との兼ね合いで多分二度と何も書かないです…。)

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