見えない敵とは戦えない

私には、母がいる。

母もまた、離婚をしている。


母にがんだと話した時、母はもっとおびえて泣いて取り乱すかと思ったら、案外、「きっと大丈夫」なんて言って、私を励ました。

でも、後になってラインが来て「今週末、温泉にでもいく?」と聞かれた。

私は、「申し訳ないけど、予定もあるし、普通に過ごしたい。」と言った。

私は温泉が好きだし、もう少しで胸の形も崩れる。

行っといたほうがいいのかとも思ったけど、それなら一人でゆっくりしたい。

自分のことでも精いっぱいなのに、顔色をうかがわれたくない。


そんな母が、がんと伝えてから初めて、うちに遊びに来た。

彼女はいつも通り、百貨店で買ったたくさんのミーハーな品を私に披露し、こたつから動かず、仕事から帰宅した私が作ったご飯を食べて、私に小さなごみまで捨てさせた。

(今日は、東京で人気の高いポテトチップスを何種類も持ってきて、地元で取れた高級いちごと、いちごのフルーツサンドを持ってきて、食後に食べさせられた。)


私は、母が好きだ。そういう、自分勝手なところが心底嫌いなのだけど、とてつもなく愛嬌があるとも思っている。母が嫌いだけれど、やっぱり魅力的で、私の好きな母はこうでなくっちゃ、とも思っている。

でもそのおかげで私は、ずいぶんしっかりとさせられ、ひとりで何でも抱え込むようになった。


そんな母が、今日、私が病院でもらってきた「これからがんを治療する方へ」の冊子(先生の手作り)と、私が買った国立がんセンターの乳がんの本にはじめて目を通した。

「むむみんは、何期なの??0なの?わあ、よかった。5年生存率、Ⅰ期なら100%だって!

あとね、なんかね、リンパを取る手術した人はね、腕を上げるのがとても大変そう…リンパって大事なんだと思った。むむみんも、そうならなければいいな…」

彼女はそう言って本を見て私に言った。


彼女は、個人病院で医療事務員としてフルタイムで働いている。

彼女の周りには複数人、乳がん経験者がいる。



私は先ほどの彼女のコメントを聞いて、「あ、彼女はそういう人なんだ」と痛感した。


私は彼女に告知する際、「ステージ0の乳がんです。温存手術と放射線治療をします。」と伝えていた。


今の時代、勉強しようと思えば何でもできる。インターネットがあり、綺麗に製本されたいくつもの本が簡単に手に入る。

「いったい、どんながんなのか。」

そう思ったら、調べることができるのに、彼女は私のステージもわからないままだった。

もちろん、「リンパを取る」手術には種類があることも知らなかったし、どういう場合にどんな副作用や後遺症が残るかも知らなかった。


彼女は、ただ、「自分の周りの世界」(同僚の体験談など)がすべての情報源で、いたずらにおびえているんだった。


私は現段階ではステージ0で、5年生存率は高い。

そして、リンパの転移も理論上考えられないので、少なくとも、腋窩リンパ節郭清は行わないだろうと思う。すなわち、彼女が「周りの世界」から聞いた大変な後遺症は今は起こらない。


さきほどの彼女は、国立がんセンターの本を渡され、開く前から、「難しいのはちょっと…」といっていた。

(そういう意味で、先生がくれた薄いガイドラインはどんな人でも読みやすく、さすがだと思った。)


ただ、娘ががんだとわかったら、本を読むくらいの試練をどんと乗り越えてほしかった。

でも彼女は、それをしない人で、それができない人で、「自分の周りの世界」の情報源がすべて。そのまま、何年も生きてきているのだ。


だから、「5年生存率が高い」と無邪気に喜ぶことができる。


ねえ、ママ。私は、5年なんかじゃ足りない。もっと生きたいんだよ。

だからそんなもの、喜べないんだ。(もちろん言えない)


彼女が狭い世界で生きているのは、私のせいもあるかもしれない。


ただ、私は、敵を知り、的確に対処し、後悔しないためには、必要なことは勉強したい。

ただ、いたずらに恐怖に駆られて何もかもすべての情報を吸収するのではなく。(だから、がんが治る水なんて死んでも買わないし。ていうかそんなお金ないし。)


敵を知る。じゃないと戦えないと思う。


母は、自分の胸にも石灰化したものを蓄えている。

彼女は、「取る人もいますって言われたから、いいかなーと思ってそのままにしているの。取ったほうがいいですよって言われたら、私も取ったよ!」と、言っていた。


彼女は敵を知らなくても、明るく楽しく戦わずに生きていける。

私はそういう意味で、気難しく、生真面目すぎるのかもしれない。

でも、私はこの生き方で生きていく。


(おまけ)

でも、実は少し前から、ブロッコリーを食べるようになった。

そういう自分を見ると、やっぱりがんが怖くてたまらないんだと気づく。


そして、がんのこともよくわからないままの母は、これからも高脂質・高カロリーなお土産を私にくれるんだと思う。

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