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見えない幽霊であって



空の青さが人とは逆に変わらないままでいるのは、いつかの落ちていった俺たちをあざ笑うためなのだろうか。
その青が深ければ深いほど、今の時期の寒さを想起させ、また一段と身ぶるいは大きくなる。
性に合わないな、早起きなんか無駄な努力だ。
そう思い、カーテンは閉めた。
一月。
昔馴染みの友達と会い、心身ともに満足、という訳には行かない人生で、それでも、SNSやらで「俺は成人式には行かなかった」といつまでもつぶやく大人にはなりたくなかったから、一生着慣れのしなさそうな晴れ着(笑)のスーツを着て、成人式に向かった。
が先に言ったように、どうにも馴染めず、司会が二次会に行く人を集める前に抜け出してしまった。
どうしてもっといい人生が歩めなかったのか。

今更悔やんでも仕方がないというのも、もう何度目なんだろうか。
思い出があるのは、強いて言えば会場であるこの小学校くらいだ。
と、昔の出来事を思い出そうと、フェンスの外から遠目に校舎を眺めていた。
「お前ならすぐ耐えられなくなると思ってた
よ。」
俺の肩に手を乗せて、親友は言う。
「...なんだ、拓海か。」
「悪かったな、拓海だよ。」
いきなり話しかけられたら、当然は驚くものだ
ろう。
でも多分、俺は拓海がこうしてくることをわかってたんだと思う。
そう自分に言い聞かせていないと、たかが拓海なんかに少しでも驚かされてしまった自分が悔しくて仕方がないからだ。
拓海。

俺が高校に行くまでを連れ添ってきた、いわゆる親友というやつだ。
昔から心配性で、そしてビビりで、「泣き虫拓海」って周りからは呼ばれていた。
ちょっとしたテストだったりでも泣きかけるくらいだったからな。満場一致に納得だろう。
だからこそか、仲のいい人間には、すごくいい奴でもある。
「変わったなツナ、まさかこんなにスーツが似合わねー大人になってるとは。」
ツナ、懐かしい呼び方だ。
確か俺がいつかの持久走大会の時に周回数を一つ少なく数えていて、ゴールしても止まらなかったことから、回遊魚のマグロ、英語でツナ。
そんなルーツがあったはずだ。
いやいや、今はそんなことを懐かしんでる場合じゃない。
聞き捨てならない事を言われたんだった。

「うるさいな、もう一生着ることはないんだから問題ないだろう。」
『というと?」
拓海は絵に描いたようにキョトンとするのが特徴というか、チャームポイントであった。
同時にそれが、中学の時怖い先輩に目を付けられた原因となったが。
昔の思い出から飛び出してきて、不思議と涙が出そうになるが、そんなことより今は拓海の疑問を解いてやる方が先だ。
「言ってなかったな、夢みたいな話だが、画家として毎日をしのぐだけはやっていけそうなんだ。」
「もちろん、バイトは欠かさないだろうが
な。」
拓海は、また絵に描いたような驚き顔をした。
今度は少しわざとらしかった。
歳こそ増えたが、それは誤差と呼ぶべきか。
「え!!!昔言ってたもんなツナ〜!!画家になるんだ!ってよ!」
「ツナ覚えてるか?俺の姉貴がお前にゾッコンだった時、ツナに裸のスケッチしてもらうって言ってたのよ〜!!!」
拓海は最後に、懐かしいな〜といた。
おいおいおいなんだそれは。
昔の俺はそんなとんでもないことに巻き込まれていたのか、一つも覚えていない。
すごく困惑しかけているが、今はその話は重要
じゃない。
「ま、まぁとにかく、俺はスーツなんかクソ喰らえって訳だ。で、拓海は?」
「クソ喰らえね...ツナらしいな。」そう言って拓海は、空を見上げる。
その目は今にも泣き出してしまいそうだった。
が、拓海ももう俺の知る「泣き虫拓海」じゃない。
そのまま、何か言い淀むような顔をして、決心がついたのかうつむきがちに俺の方を向
く。

「マヌケのツナ」であった俺も、その疑問が野暮であった事に気がつく。
昔、拓海が俺に夢を聞いて来た時、俺も逆に聞き返したことがあった。
その時の答えがなんだったかはもう覚えていないが、きっと拓海の場合夢は見るものにしかならず、そう上手くはいかなかったのだろう。
少しの間沈黙が続く。
何も考えなくて良かった時代はもうとっくの昔なのだ、という事をヒシヒシと痛感する。
「なぁ、覚えてるかツナ?」
拓海が沈黙を看破した。
「昔さ、夏休みの終わりくらいによ、肝試ししなかったっけ?」
記憶を辿ろうと中空を仰ぐ。
「ほら、ツナとツナの好きだったあいつと、俺とでさ。」
そうだ思い出した。
忘れる訳もない、それは小学6年生の夏だ。
俺が好きだった人と拓海とで、夜の校舎に忍びこんで、肝試しをしたんだ。
全教室を回って、結局何もなかったような..?
いや確か.....。
だめだ、何かあったはずだが、何があったかは思い出せない。
まあ、思い出せないのならそれほど重要ではないのかもしれないが。
「恵ちゃんだよな!確か。」
「ああ、伊瀬恵だ。」
少し恥ずかしくなってしまうが、当時の俺は小学生にしてはだいぶマセていた。
今では女性と目を合わせるのですらままならないというのに。
悔しい。
「なぁ、またやらないか?肝試し。」
拓海が提案する。
「ほら、恵ちゃんも呼んでさ!!仲良しトリオ
再集結だ!!!!」
俺は伊瀬恵にどういう面でまた会えばいいと言うのだ。
あの後、一時期は恵と付き合うことができたのだが、中学生で別れてそれ以来だ。
そんなことを言い訳として渋ってはいたが、悪くはないな、とも思っている。だから、「まぁ、いいんじゃないか?」と言うと息をつく暇もなく、「よし!決まりだ!じゃあまず恵ちゃんを呼ばねぇとな!」
と拓海は言った。
「お、おい心の準備ってもんがな...」
拓海の目は、既にあの頃の拓海と何ら変わりのない目をしている。
やはり成人式には来て正解だった。
まともな思い出の一つもなくとも、な。

伊瀬恵は、どうやら成人式には来ていなかった
ようだ。
「ツナ、お前は連絡先知ってるのか?」
「いや、知らないな。」
拓海がそう聞いてくるということは、拓海自身も連絡先を知らないということか。
連絡先くらい、昔の知り合いを辿ればすぐに見つかるだろうが、成人式を抜け出した身の上、バツが悪くなってしまった。
俺はいつもどうにもこういうところでうまくいかないな。
自分の選択がまた、自分を苦しめてしまう。
口が寂しくなり、カバンからペットボトルを出す。
「じゃあよ、本人の家、行ってみないか?」
なに?
いきなり言うもんだから、飲もうとしていたお茶を吹いてしまいそうになった。
それを拓海が察して少しニヤついていたが、「いや、他のやつらに聞けねーし、二人とも知らねーなら、それしか方法はないだろ?」
と続けた。
「いやいやいや、別にそこまですることじゃない、ただの肝試し、ダメなら別に俺と拓海で行けばいいじゃないか。」
伊瀬恵に会うならまだしも、恵の親にはもっと会いたくないのだ。
「いやいやいやいや、ツナ、俺、恵ちゃんでやるから意味があるんだよ!こういうのはさ。」
無論、深い理由はないのであろうからとやかくは言わないが、とにかく俺は恵ならまだしも、恵の親に会いたくない。
というのも、過去に恵との付き合いで、恵の両親と揉めたことがあってだが、詳しくはここでは割愛する。
俺がぶつくさ言い訳をしていると、拓海が体をこちらへ向けた。
「ツナらしくないぜ、そんな顔よ。」
そう言うと、拓海は俺の手を握った。
そして、いきなり走りだしたのだ。
急に引っ張られた体は倒れそうになるが、なんとか足がつく。
日は落ちかけ、今にも消え入りそうな赤い光で、薄暗くとも、地面に映る俺たちは前へと進んでいた。
「ほら!考える前に動けツナ!お前の得意分野
だろ!!」
走るのは、久しぶりだ。
「それは昔の話だよ!!!!」
思わず言う。
息を切らしながら、いつかの日もこうしていたことを思い出し、少しだけ笑えた。
結局、俺は伊瀬の家の近くで待っことにした。
玄関先で拓海が恵の母と話しているのを、少し離れた影から眺めている。
話は終わり、伊瀬恵の母は家に戻る。
拓海はゆっくりと、こちらに歩いてくる。
「どうだった?伊瀬恵の連絡先、もらえたのか?」
「いや、ダメだった。」
なに?
あんなに俺をほったらかしにして楽しそうに話していたのに、収穫無しか?
と思うが、少し早とちりしたことにすぐ気がつく事になる。
「恵ちゃん、死んだんだってさ。」
...なに?
「病死だってよ、しかもつい先月まで生きてた
んだぜ。」
唖然とする。
「俺たちが成人式を楽しめるようにって、葬儀も小さくしたんだとさ。」
「拓海、それマジなのか?」
「ああ、悪いがこんなつまんね一嘘付く人間じゃねーんだ俺は。」
成人式なんて、行かなければ良かった。

冬本番の夜風はまだまだ寒く、街灯に映された白い息は一定の周期を保って出続ける。
人が死ぬ、それも身近であった人が。
そのショックは、とてもじゃないが抱えきれないものだった。
拓海も表には出さなかったが、きっと同じ思い
だろう。
だからこうして行くあてもなく歩いている。
「ツナ、どうする?酒でも、ってそんな気分になれねーよな。」
「.............. 」
夜の暗さは、人の心の隙間を大きくさせる。
何もが見えなくなっていくなら、何もを気にしなくてはいけなくなってしまうからだ。
斜陽が崩れて光が投げられなくなっても、瞼を閉じたままならばそのままでいていられただろうに。
「おい、ツナ。」
拓海は歩みを止め、肩を叩き俺に反応を促す。
拓海は前に指をさした。
俺はよっぽど動揺していたようだ。
目の前には、地元のはずなのに気付きもしなかったが、俺たちの小学校があった。
「ツナが無理って言うのなら別にいいんだけど
さ、」
拓海は言う。
「やっぱり、肝試ししないか?」
г
...どういう意味だ?」
それはあまりにも突然であった。
混乱というほどに動揺はしていなかったが、心底疑問だ。昔の拓海ならと、俺は昔のことしか知らないが、拓海が昔のままなら、曲がりなりにも考え無しにどうこうするような人間じゃないということを知っている。
拓海は何を考えている?
「いや、嫌だよな、ごめんごめん。喪中というかさ、恵ちゃんのこと思い出せないかなーって、少しでもさ...。」
拓海なりに考えてのことだったのか。
恵のことを思い出す、悪くない。
言われてみれば俺の大事にしていた思い出のほとんどを時間に奪われてしまっていたような気がする。
どうやら、行くあてもなく、という考えだったのは俺だけだったらしい。
100パーセント立ち直れるかと聞かれたら、聞いたやつをブン殴るくらいの精神状態ではあるが、拓海に言われてまた、悪くはないなと俺は思い始めていた。
「わかった....行くだけ行ってみよう。」
目的は完全に変わってしまったが、そこは別にもう問題じゃない。
完全に忘れてしまう瞬間からすこしでも遠くへ逃げるため、今は思い出したい。
夜は影と自分の境目を無くし、門を登る二人の姿をかき消してくれていた。



俺の通っていた小学校は4階建てで、一階には一、二年生フロア、二階には三、四年生フロア、三階には五、六年生フロアと、上に行けばいくほど学年も上がっていくシステムである。
そして当時のルートを辿るなら、今俺たちのいる東側から入り二、四、六と登り、五、三、一と降りるルートとなる。
入り口の目の前に立ち、二人建物を仰ぐ。
「な、なぁツナ、あれだけ息巻いてたけどさ、やっぱり怖いな、大人になっても」その声は明らかに震えすぎていた。
拓海は、以前来た時も最初から帰ろうと言い出していた。
「流石は泣き虫拓海だな。もうビビってるのか」
拓海は、図星だったのか飛び眺ねるとも言えないこともないギクッというような動きをした。
「うるせーな。ツナこそ、間違えてもう一周なんかすんなよな」
俺も一応、ギクっというようなジェスチャーを演技臭くした。
「煽りのレベルが低いぜ、まだまだだな。ほら
拓海、決めたならつべこべ言ってないで、行く
ぞ」
中に入った第一印象としては、「暗すぎる」というのが街頭アンケートでは過半数になること請け合いだろう。
きっと拓海の予想では、探検のような形で俺の記憶を刺激したかったのだろうが、これじゃ無理だな。
昇降口から廊下に顔を覗かせる。
暗闇はまるでずっと奥まで続いているかのように、その目に形を捉えさせないでいた。
ふと拓海のほうを見る。
「お、おい、早く終わらせようぜ...。」
拓海は、膝が震えてアイドリング中であった。
「おいおい、何のための肝試しだよ。別に幽霊を見に来た訳じゃない。」
恵のことを思い出すために来たんだ。
まあある意味ではそれを、幽霊を追ってきたと言うのかもしれないが。
「そ、そうだよな、め、恵ちゃんのためだもんな...。」
スマホのライトを付けた。
文明の利器、ここぞという時に頼りになりすぎ
る。
多少なりとも、光は色々なものを見せてくれた。
今いる一階東昇降口から見てすぐ前、つまり北には階段があり、
西、つまり左に行けば二年生フロアに出る。
俺に続いて拓海が、少し焦りながらライトをつけた。
二年生フロアを探索してみる。
「うわっ!!!ツナ〜!!!!!」
「なんだ、拓海。」
「なんか動いた!!?あそこ!!!」
「ひえっ!!ツナ!!!!!」
「なんだ、拓海。」
「い、今音しなかったか?居るのは俺たちのだけだよな!!?」
『ぎゃあ!!!ツナァ!!!!!!」
「な・ん・だ、拓海ィ???」
「何かが俺の足踏んでるよ!!!!!」
「あ、俺か...。すまん拓海。」
いくらなんでもビビりすぎだろ。
「泣き虫拓海」は、いつもずっとしえていた。
まさかそれが健在だとは思いたくなかったな。
おかげでまだ、二年生フロアを抜けられていない。
「なあ拓海、もっと早く歩けないか!?」
「これでもがんばってんだぜ!?勇気振り絞ってよ!」
振り絞るにしてはあまりにもその勇気は小さすぎるだろう。
こうなったら仕方がない、思い出を思い出すために来たのに、こんなことはしたくなかった。
拓海の腕を掴んだ。
廊下の真ん中、足で地面に食らいつく。
そうしたら、頭の中でスタートはかかっていた。
風のように。少なくとも自分の中ではそのつもりで走った。
今の全力だ、何度もこけそうになる。
「お、おいツナ!止まれよ!!」
「うるせぇ!お前こうしねぇと早く来ないだ
ろ ! ?」
息は既に切れかけている。
でも限界じゃない。
今日だけで数年のブランクを埋められたのではなかろうか。それほどに走った。
「ツナ!前!!」
階段だ。
「ついてこいよ、拓海!!」
また、足を踏み込む。
その時間は、俺たちをいつかの日まで連れ戻してくれたようだった。
階段の窓からは日が差し込み、変わらない青空が映る。
地面には、二人の小さい影が、二段や三段を飛ばしながら階段を登る姿が見える。
目やがて頬には、しょっぱい涙が流れていた。
後ろには、なきむしたくみがいた。
いっしょに、とにかく上に、はしっていった。



結局拓海も慣れたのか、それからはスムーズに進むことができた。
が、ここに来てまだ引っかかることがあった。
三年生フロアから一年生フロアへと向かう
階段をゆっくり降りながら考える。
「なあ拓海」
「なんだ?」
先を行く俺が振り向くと少し後ろにいる拓海を見上げる形になり、止まる。
「あの肝試しの日、結局何があったんだ?」
「え?えっと確か、3人で逃げ帰って、父さんに怒られたことしか覚えてねぇな。」
それは俺も覚えている。だが一番の問題は、「逃げ帰るって、何から?」
「さあ、..なんだったっけな。」
どうやら、拓海も思い出せないようだった。
さっきも言ったが、思い出せないというのならそれほど重要なことじゃないのかもしれない。
それは分かってる。
でも、今重要なのは、何故それでも気になってしまうのかということだ。
逃げ帰るとは、その時俺たちは一体何から逃げていたのか。くメモ
「...まさか本当に幽霊がいたとかな!」
「お、おいやめろよツナ、笑えねぇぞ。」
適当な冗談のつもりだったが、拓海はこれでもかなりビビっていた。
一年生フロアに付いた。
実はここには一番思い出がある。というのも、一年C組教室、ここで俺は初めて友達と言える友達が出来たからだ。
小さい頃というのはまだ性格によるカーストなどもそう顕著には見られずに済むというのが世の常だろうが、俺はそうではなかった。
何故だか本当に分からなかったが、俺はどうやら生まれつきの超根暗人間だったらしく、幼稚園児にして友達ゼロ人、
100人でおにぎりなんか夢のまた夢のまた夢のまた夢のような人間だった。
そんな人間がまた一人、類は友をとはこういうことなのか、小学生にして初めて一人目の友達が出来た。それが拓海なのである。
どうやらその異常なまでに臆病な性格からこいつも友達が作れないでいたらしい。
だからシンパシー的にすぐに友達になれた。
目はとっくに慣れ、廊下の窓から見えた教室には壁に飾られた「おえかき」が見えた。ここから見える限りでは、なかなか興味を引き立てられそうな作品が立ち並んでいる。
やはり子供の描く絵はいいな。
かのピカソがあんな絵を描くようになったのにも納得がいく。
「拓海、提案なんだが、ここの教室入って行かないか?」
拓海は怪訝そうな顔をした。
「ツナ、まさかマジに言ってるのか?いや、ビビってんじゃなくてだな!普通は学校の教室には鍵がかかってるんだぜ?やらなかったか、ほら、毎回帰りの鍵当番」
ガラガラガラガラガラ
「開いたぞ」
「えええ〜〜~~~~ツ!?」
「俺たち任されてもやったことあったか?
それなら今だってきっと一緒だろう」
「いやいやそれじゃなくて、ビビるぜ!これは!幽霊超えの大ショックだ!!!!!」
?
「当番の職務怠慢でドアが開いたことがそんなに珍しく見えるのか?」
「いやちげーよ!!ほら見ろよ!!!」
そう言って拓海が指を指したので、その方を向くが、
そこには確かに、あったのだ。
拓海は嘘をつかなかった。
霊能力や念動力などの超常現象をはるかに凌駕する驚愕が。
ドアの下部の、薄汚れて普段見ないようなところには、塵のように小さな字で確かに
「たりめ」
と書かれていた。
「マジかよ!?まだ残ってたのか!!」
「あ、ああ、案外にも程があるな」
見つけた、忘れていた思い出。
昔、俺と恵と拓海でここに書いたんだ。
それぞれの頭文字を取ってたりめ。
それは俺たちの結束の象徴のようなものになっていた。
そしてそれは、たしかにまだ残っていたのだ。
きっとこのまま時を過ごしていけば、遠近法の彼方に置いていかれるような大切な記憶が。
ここにはたしかに残っていた。
「拓海、最初はこの肝試し、どうかと思ったが
お前の提案は正解だったな」
若干に熱くなる目頭を揉む。俺はこんなに涙もろかったか。
「お、おいなんで泣いてんだツナ?大丈夫
か?」
こいつめ。
「うるせぇ、大丈夫だから黙ってるよ」
腕で險を大きくこすり、ぼやけた視界を取り戻す。年は取りたくないな、どうにも
涙腺が緩んでしまう。
まだ二十歳なんだけどな。
頬を軽くたたき、気を取り直す。
開いたドアを通り、中を見渡してみる。
ビビリの拓海のために一応ドアも閉めておいて
やる。
こんなに低かったかと、かがみ込み机を触る。
「こんなに低かったか!?机よ!」
俺の思ったことを繰り返すな、エスパーめ。
さて、窓から見えた絵はどうだろうか。
教室の後ろの壁には、一面にっていうほどではないが、そこそこには絵が並べられていた。
ちょうど真ん中には明るいPOP体で「おもいで」と描かれていた。絵のテーマということだ
ろうか。
目に移るものから順に見ていく。
一見すると線の集合体に見えるものも、推測するに色んなものに見える。
子供の絵というのは面白い。
自分が美しいと思ったものをそのままに描く力は、言い方は悪いが知識に歪まされてしまった俺たちには無いものだからだ。
公式や定理に美しさがあるのは間違いではないと思うが、それ以外の美しさもあるのは事実であり、それを持たぬからこそ羨ましく思うものが子供にも大人にも、互いにあると思う。
右から左へ、そして次へとどんどん目を流していった。
やけに拓海が大人しいなと思ってふと横を見ると、拓海も絵に見入っているようだった。
その床に座り込む見方は独特だとは思うがな。
思い出も見つかったし、思い出すこともできた。
満足だ、そう言えるだろう。
スマホを開き時間を見ると、明け方に近づいていることに気がつく。
そろそろ帰るとするか。
とスマホをポケットにしまい、入り口側を見る。
なんだ、あれは。
入るときには気が付かなかった。
いや、無かったはずだ。
入り口のドアの窓には、青白いと形容すべき
か、とにかく光の塊のようなものが映っていた。
キレイにどしんと腰が落ちる。
「た、拓海」
呼吸を忘れていたのか、声が若干かすれてしまった。
「た、拓海!?」
隣を見ると、完全に気絶した拓海が倒れていた。大人しく座っていると思ったらぶっ倒れてやがったのか。
低い机に手をかけ、何とか体を起こす。
着ていたシャツは冷たく、嫌な汗をかいていたことに気がつく。
せっかくここまで来たんだ、面白い、幽霊の一つくらい居てもいいだろう。
立ち上がり、ゆっくりではあるがドアに近づく。近づいてみると、窓越しに見える青白い光
は、小さく3つあるように見えた。
青白い光、窓越しに。
なんだ、この既視感は。
......。
思い出した。
頭のどこかに居座っていたモヤモヤがスッと抜けていった。
逃げ帰った理由がわかった。
あの時だ、小六の肝試しの時。
最後に俺たちは、一年生のフロア、教室の入り口から、たしかに見たんだ。
青白く光る幽霊を。
それで逃げ帰っていったのか。
このドアを開ければ霊が、いる。
しかし、あの時の幽霊とは違う。
あの時見た幽霊は、大人くらいの大きさのが一つだったはずだ。
だが今回は違う。ドアの向こうにいる幽霊は、少なくとも俺から見て三つに見える。
しかも小さい。
あの時の霊とは違うのか?
いや、まさか。
刹那、幽霊の内一つが、こちらに近づいてくるのが見えた。
手を、手らしきものをドアにかけようとしている。
まさか。
体は反射的に後ずさる。
既視感は単霊を見たという事だけじゃなかった。
この図霊は、信じがたいが、あの時の俺たちなんじゃないか?
たしか、あの肝試しでは、俺が幽霊のいるドアを開けた。
今このドアを開けようとしている幽霊は、俺自身なんじゃないか?
まさか、は身体中を駆け巡り、その全てを目の前の現実が否定する。
今目の前でドアを開けようとしている霊は、過去のドアを開けた俺自身なんじゃないか?
あり得ない情報量と思考が入り混じり、パニック状態に陥りかけている。
過去と未来の幽霊。
あの時、俺は霊に、未来の、今の俺にあった
んだ。
だから俺は画家になれた。
幽霊に何か言われたんだった。なんだったか。
そして俺のおかげで俺は今の俺になれたんだ。
ならば、このままでいいのか。
そう考えが落ち着くと、体の緊張は徐々に抜け始めていた。
いや、待て。
だが、拓海や恵は?
俺と違って幸せになれるのか?
俺はこのままでいるだけで夢を叶え、幸せになれる。
でも、
関係ないかもしれないが、もし俺と関わってなかったら、俺が霊と出会ってなければ、拓海は夢を叶え、恵は生きていたのか?
幸せになれたんじゃないか?
バタフライ・エフェクトか、未来と過去が繋がっているなら可能性はゼロじゃない。
俺は今、俺のために動こうとしていた。
が、それは今本当にすべきことか?
落ち着いている場合じゃない。
「ガタッ」
ドアの少し開く音。
俺が今一番すべきことは、それは、
逃げることだ。
少しでも未来を変えられる可能性があるのなら
ば、親友のためにそれをするべきだ。
重たい拓海を急いで担ぎ、窓を開け、走った。
走って、走って、走りまくった。
それでみんなが幸せになるのなら、俺はどんな不幸も厭わない。



目が覚めた。
体が痛い、床で寝ていたのか。
寝ぼけまなこをこすり周りを見渡す。
俺の家の玄関だ。
帰ってこられたんだ、無事に。
学校は今頃きっと騒ぎになっているだろうか。
何も取られてないんだ、すぐほとぼりは冷める
だろうが。
なるほど、着いた途端倒れたわけだな。
体が重いと思ったら、拓海が背中に覆いかぶさっている。
それをどかし、部屋に上がる。
体の痛みはジンジンとまだある。これは筋肉痛だ。
1日に走りすぎた反動というわけか。
キッチンに向かい、給湯ポットに水を入れ、沸かす。
昨日の事ははっきりと覚えている。
あの幽霊はなんだったんだ。
過去と未来を繋いだ幽霊、聞いたことがない。
棚からコップを二つ取り出す。
ただ、わからない事だらけの中で、ひとつだけ良いと言えるのは、ああした形でも、また恵に会えたことだ。
きっと、小さい霊の中で、一番でかいのが俺で、その次が拓海、髪が長かったのが恵だった。恵はもう帰ってこなくても、最後に見ることができた。
その顔は、ぼんやりとしてよく見えなかったが、記憶していたものとなんら変わりのないものだったと思う。
沸いたお湯で湯煎のコーヒーを淹れる。
ふと、スマホを見るとメールが来ていた。
... 。
俺の画家としての仕事は、無くなったようだ。
悔しいが、つまり俺の選択は正しかったということにはならないだろうか?
あの時逃げなければこんな事にはならなかった
が、逃げなければ拓海や恵を幸せに出来るチャンスを自らの手で捨てることになっていた。
それなら、これでいいのだ。
俺は過去にきっかけを落とした。
それが小さなことでも、年月をかければ、運命を変えうる力を得ることになる。
拓海の夢はなんだったかまだ思い出せないが、きっと近い未来、俺の代わりにすぐわかることになると思う。
その可能性は、少なくともゼロじゃなくなった。
そのために俺は、見えない幽霊でなくてはならなかった。
コーヒーに手を伸ばし、ゆっくりと口に運ぶ。
「熱っ!!!」
多分やけどした。猫舌なのを忘れていた。
100度で沸かしたすぐのお湯を湯煎コーヒーに使うもんじゃないなと、今更ながら思った。

まだ中学生です