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かいりょくらんちん

天と、地の緑の二つ原に挟まれ、少年田中聡は寝惚けかけている。

田中少年はこの田舎の村の、中等学部に通ってはいるが、職務たる勉学が輪をかけて不得意であり、修心ですら落第を取るような男であるから、担任教諭も手はつけられないでいる様子である。
さらに素行も悪いんじゃ鬼に金棒で、いわゆる不良というやつらしく、今現在すら授業にも顔を出さず真昼間から河原でふんぞり返っているという訳である。
学徒の風貌をしてはいるが、袖口から私服の袢纏がはみ出ていることに気が付かないのは着ている本人だけだ。

真昼間とは言ったもの、鬱屈と低い曇天が空を狭くするばかりであるから、あんまり心地の良い昼寝日和ともいえないであろう。
しかしながら田中少年にとって空など、ひっくり返ろうったってどうだって良く、この時間の河川敷は彼にとってまた時間の潰せる丁度良い場所でしかないのだから、日当たりなぞ雨天でさえなければまたどうだって良いのだ。

そんな彼だが、さすがにこの日の陰鬱さは堪えたらしく、思わずな大欠伸をひとつし、仰向けからうつ伏せに移る。

「こうも空が低いと、いかん」

あんまりの退屈に思わず一人ぼんぼやく。
すると、腹の音もごるりと鳴く。
その音は寸前の草わらに当たり、耳に帰る。

「腹が減った」

途端、どこからともなくどんがらと音がした。
あんまり大きな音だったので、地がぐらりとし、びりびりと空気、鼓膜が震えていることが分かった。

「なんだ!地震でも起こしたか」

落ち付いていた空気を一変させる異変は、田中少年もびっくりさせていた。
あたりを見回そうと体を仰向けにごろり戻すと、


気が付かない訳がないのだ。



先ほどまでの曇天が嘘の様に、どこまでも深く青々とした晴天が、まさしく霹靂としているではないか。

何もおかしいところはない。まさしく普通の、青天井である。

しかしたとえば映画のフィルムの、切り取った、貼り付けた、その処置の後のような、

そこだけを切り取ったとて気が付かないかもしれない、小さなことかもしれないが、田中少年、それこそ先ほどまでの曇天を知っている我々にとっても、この普通とは、異常である。

彼とて、言葉は出なかった。
何せ何がとがわからぬのだから、当然である。
唖然というやつだ。

ぼっとしていると、また途端、上から強い風が吹き付けるではないか。
あんまり強いので思わず乾いてしまう目を堪える。しかし、

上から?

そんな中、また確実な異常が現れた。


手である。
たとえどんな波乱を生きた人間だろうと、未だかつて見たことがないであろうと、自信を持って言えるほどの、大きな手が、

空の深い青を破って、視野を上下左右にぐんぐんと埋めていきながら、こちらに伸びてくるのだ。
この風とは、おそらくこいつが向かってきたからだったのだ。

近くの木々や、遠くの山々から、先ほどまではいたことすら気が付かないほど静かだった鳥や動物たちがあれよ何だと逃げ出している。

見たこともない、まるで理性では説明できないようなことが、理性もなにも確立されぬ少年の目の前で、起こっているのだ。

まさに、怪力乱神であった。

「なんなんだ、あれは」
田中少年は、怯えるとも、震えるとも、叫ぶとも、逃げるとも出来ず、ただ、見ていた。

手は、高く聳え立つ連峰の裏手に入って行った。田中少年のいる場所からでは、その先が死角となっており、手首から上しか見ることが叶わなかった。

少し間をあけて、また地を揺らしてずずり、と手は持ち上がった。その巨大な手には、大きな大きな卵が握られていた。

卵が握られていた?

ぱきり

いつの間にやら用意されていた、特大の油の引いたフライパンの上に、それはじゅうじゅう広げられた。

どさんどさんどさん

白い雪の、災害級の雪崩のようなものがまた放り込まれたと思うと、その香ばしくも水気ある香りで、とんでもない量の白米であることに気がつく。

ぱらぱら、ぱらぱらと音が聞こえてくるような勢いで、それは炒め上げられ、特大の皿に盛り付けられた。なお、ここまでの工程はすべて片手で行なっているのだ。

「ちゃ、ちゃーはん……???」

田中少年は呆気としていた。
何が起きたのかさっぱりわからないのだ。

手は、作り終えるとまたぐぐぐと空へ戻り、どこか遠く彼方に行ってしまった。
ただ、目の前の原っぱだった場所には、人生を何人分使ったって作れないような、ピラミッドのようなチャーハンが広がっているだけなのだ。

ふと、辺りが静かなことに気がついた。
たしかに少年の住むこの地は、ここはど田舎であるし、この時間帯だと働きに町に出ていてもおかしくはない。ここの原っぱだって村から少し離れちゃいるが、それでだって、

まさか、誰も気づいちゃ、騒いじゃいないのか。いくら何せ学校の、仕事のあるだろう平日とはいえ、地は揺れ空気は震えているのだから気が付かないわけがない。
こんなとんでもないことが起きているのにそれ以上に一体何をと、田中少年はこれはおかしいと考えていた。
彼は、今目の前で起きている混乱を、また夢か誠かと共有して消化したいのだ。


しかし、思い違いであることにすぐ気がついた。

途中から、妙に静かだった。
大体炒飯を炒めるには、鍋を振る音や金の打ち合う音がして当然、うるさくって当然だ。

耳にふと、手を当てがうと、穴の方から血がだらだらと流れていることに気がついた。
河原を登り、村との位置としては高台になるので、見える景色を見渡した。

村は、とても静かだった。

まだ中学生です