「あなたとの」という共通点、野田佳彦の追悼演説
9月下旬の国葬にて、菅義偉の弔辞についての感想をnoteに書いた。
1ヶ月後の、2022年10月25日。
衆議院本会議で行なわれた安倍元首相への追悼演説。
紆余曲折を経て(なぜ最初から野党所属の議員に打診しなかったのか)、立憲民主党の野田佳彦が演説を行なった。
自民党が下野していたときに首相を務めたのが野田だ。在任期間は1年ほどだったが、野田と入れ替わって首相の座に返り咲いたのが安倍である。
負けた野田と、勝った安倍。
世間からは、微妙な関係だと思われていただろう。なのに意外なことに、野田は国葬へ参列した。同じ立憲民主党の議員からは軒並み欠席表明していたため、「なぜか?」という疑問や疑念もも一部であがっていた。
そんな中、本日の追悼演説である。
例によって、演説の善し悪しについては言及しないが、SNSなどをみると概ね好意的に受け止められたようだ。
冷静に眺めると、好評を博した菅と野田の演説には共通点がある。ということで、思うところを雑記として綴ってみる。
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共通点はふたつだ。
ひとつは、「あなたとの」が明示されていたこと。
菅の弔辞でも、「あなたが電話をかけてきてくれた」「焼鳥屋で自民党総裁選の出馬を口説いた」といった、「あなたとの」思い出が述べられていた。ちなみに岸田の弔辞には「あなたとの」個別の思い出は述べられていない。
そして野田の演説にも「総理公邸の一室で密かに会った」「労いの言葉をかけてもらった」などのエピソードが述べられている。
個別の思い出を語ったことだけが、好評と不評を分けたとは言わない。
しかし、個人間のプライベートな思い出が共感を呼んだ側面は確かにあるようだ。考えてみれば不思議なものだ。その場に「僕たち」は居合わせていない。プライベートな「あなたとの」エピソードは、何らかのイマジネーションを掻き立てる力があるのだろうか
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もうひとつは、「聞く」ための場が整備されていたこと。
少し脇道に逸れるが、安倍が凶弾に倒れた翌日の土曜日、僕は、自由が丘駅で開催されていた立憲民主党の蓮舫の演説に足を運んだ。蓮舫は自分のアピールもそこそこに、安倍との個人的な思い出も語っていた。「戦うこともあったけれど、私の話も受け入れてくれた」と感謝の言葉も涙ながらに発している。
だが、残念ながら蓮舫への評価は芳しくない。野田の追悼演説の感想をツイートしただけで、目にあまるようなコメントが殺到する始末だ。
ちなみに、蓮舫と野田は立憲民主党内でも近い立場のはずだ。蓮舫が民進党で代表を務めていたとき、その幹事長は野田だった。いまは分からないが、少なくとも5年前はそれくらい近い関係にいたことは確かで。きっと政治信条が重なる点も多いのだろう。
なのに、この日の野田が絶賛される一方で、蓮舫には冷たい視線が投げられたままだ。
要職を外れた、いち議員の演説に注目が集まることはない。それは理解しつつも、間違いなくいえるのは、菅と野田の演説には、「聞く」ための土壌が整備されていたということだ。
きょうび、内閣総理大臣による所信表明演説でさえ、なかなか国民まで届かない。なのに一方で、個人が個人に対して思い出話を発する弔辞や追悼演説には、わざわざ「全文」と銘打たれたテキストや動画が飛び交っている。
「感動した!」「野田さんは人格者だ!」という言葉さえ飛び交う。野田の人格についてはよく知らないし、もしかしたら人格者なのだろう。だが、いずれにせよ、岸田や蓮舫との違いは何なのだろうか。
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菅の弔辞について書いたnoteの末尾に、僕は「発せられた言葉そのものに冷静に向き合うべきではないだろうか」と綴った。
改めて思うのは、政治家の役割とは何だろうか。僕たちは、感動とか、ポピュリズムとか、劇場型政治とかとは一線を画し、政治家本来の役割に冷静に向き合えないのだろうか。
共感を集めた菅や野田の演説の「テクニック」を理解することは簡単だ。足元がおぼつかないプレゼンテーションであれば、ちょっとした具体的な事例を交えることで聴衆の関心は格段に惹くことができる。模倣できるかはともかく、この程度なら、どんなプレゼン本にも書かれていることだ。
別に今回のことだけで、菅や野田の「政治家としての評価」は上がりはしないだろう。国民は常にシビアな眼差しを政治家に向けるものだ。
でも、どうも解せない思いに至っている。このモヤモヤを、心の中に、もう少しだけ引き摺っておくことにする。
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