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経験としての旅から学んだこと

リアルな経験として味わえる旅が、日常から消えて久しい。

ウィルスが旅に制限をかけたことは言うまでもないが、グレタ・トゥーンベリさんが警鐘を鳴らしSDGsの流れが加速している昨今、飛行機移動の是非が問われている。

相応のコストが発生する飛行機移動は、特にビジネスシーンで選ばれなくなっていくだろう。

ただし、観光における飛行機移動を伴う旅はなくならないだろう。旅で得られた経験は、VRなどの技術革新では代替できないからだ。

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大学4年生の冬、僕は最後の学生旅行でグラスゴー、ロンドンを巡った。

街中でWi-Fiの恩恵に預かることが期待できなかった時代、僕はノートパソコンを持たずに旅をした。(考えてみればラップトップを持たずに旅に出た最後の経験だったな……)

クレジットカードは所持しておらず、かと言って手持ちの現金も十分でない。ガイドブック「地球の歩き方」を握り締め、現地の観光案内所を頼りつつ安宿を回っていく。そうすると自然と、共同キッチン付きのドミトリーに落ち着いていく。

そんなドミトリーで、怖い体験をした。

部屋でベッドに入っていると、別の宿泊者たちが何やら奇妙な煙をくゆらせていたのだ。深夜まで部屋の中で騒ぎ倒す。そもそも部屋の中で喫煙も飲酒も禁止だ。話し掛けられたが狸寝入りして、時間が過ぎるのをただただ待った。(結局彼らはその後部屋から出て行って、そのまま戻ってこなかった)

あの、キラッと輝いた煙は何だったんだろう。そのにおいの輪郭は、未だ脳裏から消えない。

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そんな珍道中、倹約第一だったものの、ほぼお金を使い果たしてしまつ。

最終日、ロンドンの高すぎるメトロに乗ってヒースロー空港に到着すると、手元には500円しか残っていなかった。

悲劇はここで起きる。出発の2時間前に空港に到着したのに、帰りの搭乗に間に合わなくなってしまったのだ。

長蛇の列に加え、途中で個別に呼ばれて荷物チェックをされてしまう。ノロノロと地上スタッフが処理していて、ついに飛行機に間に合わなくなった。

さすがに怒り、その場で強く抗議した。文字に書くのも憚られるような言葉で相手を罵り対策を求める。日本語ができるスタッフが連れてこられて、交渉の末、何とか次の便に乗せてもらうことができた。

あまりにお金がなさすぎて、ヒースロー空港でも、乗り継ぎ先でもご飯を食べることができなかった。機内食だけでは満足できず、機内でカップラーメンを求めたのを憶えている。(機内でカップラーメンは無料で貰えることを初めて知った)

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さて、いったい僕は何を学んだのだろう。

格安航空券とは言え、それなりの出費を許容し向かった先で、穏やかではない体験をした僕が得られたものは何だろう。

それは、たぶん、旅先では期待しているほど意義のある学びは得られないということではないだろうか。

もちろんフィジカルな体験として、追い込まれたら生存のためにあらゆる手を尽くそうと努力する、ということは身に沁みて分かった。けれど、それは大金をはたいて得られるほど価値があるとは思えない。

一方で、その気付きは、旅をしないと分からないということも、また真実だと思う。

それは「一生懸命仕事に取り組まなきゃ分からない」とか「フルマラソンを走らないと分からない」とか「燃え上がるほど本気で恋愛しないと分からない」とか、色々な状況に転用できることでもある。

未知の世界が、小さく限定された「自分」の世界観を拡張してくれる。それは時に痛みを伴うけれど、慣れてくると心地良い刺激になっていく。

その感覚なしには生きられない。

迷ったら、僕は大変そうな道を選びがちだ。そんな不毛な人生も、旅から影響を受けているかもしれない。

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どこだか忘れてしまったけれど、旅の途中に立ち寄った浜辺にて。

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