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飴を受け取るか問題。

昨日に続き、育児日記(のようなもの)を。

最近、よく買い物をする青果店がある。

市場から直接野菜を仕入れているので値段が安く、しかも素材も良い。ほんの少し混んでいるけれど、スタッフがキビキビ動いているので、それほど時間がかかるわけではない。非常に気持ち良く買い物ができる。

そんな青果店だが、ひとつだけ問題がある。

子どもと買い物に行くと、なぜか例外なくキャンディーをプレゼントしてくれるのだ。キャンディー、つまり飴のこと。飴を虫歯をもたらすものだと目の敵にしているわけではないけれど、そのサービスは僕にとって不要だ。対応に困るものと言わざるを得ない。

そもそも青果店とは、食卓を彩り、栄養面で貢献してくれる存在だ。それなのに、なぜ健康を損なう可能性のある飴をプレゼントするのだろうか。これがソフトバンクショップなら違和感もない(「ソフトバンクショップ」はあくまで例で、他意はありません)。

普段、僕は子どもに飴を与えていない。ただ5歳ともなれば、家庭によっては飴を解禁しているところもあるので、飴は「憧れ」の存在になりつつある。

そりゃ、飴は美味しい。美味しいけれど、他の甘味品や菓子類と比べると、だらだらと口の中に留まり続ける飴は感覚的にも虫歯リスクが高いように思う。

僕だって鬼ではないので、(積極的に買い与えることはないけれど)何かのイベントの折には飴をなめても良いと伝えている。本当は嫌だけど。

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青果店で飴を与えられることに、ネガティブな気持ちになっている理由は3つある。

ひとつ目は、前述した通り、「『なぜ青果店で飴を?』という気持ちが強い」からだ。飴そのものにもともと良い感情を抱いていないことは事実だが、飴と対比の存在のように思える青果店で飴が配られることに、なかなか穏やかな気持ちになれない。感覚的には、歯医者で飴が配られるのと同じようなものだ。

ふたつ目は、「本人の意思を蔑ろにしてしまう」からだ。飴は、親を通過して息子本人に手渡される。つまり青果店と息子の取引だ。そこに親が介在するのは、余計な干渉ともいえるだろう。それなりの良識(「良識」という言葉は便宜的に使っている)があれば、未就学児に対して飴を直接与えるという行動には出ない。ファミレスなどで配られるようなプチプレゼントが関の山だろう。親が「要らないです」ということにより、本人の意思を蔑ろにしてしまうのは、何ともやるせない気持ちになってしまうものだ。

みっつ目は、「『断る』ことのハードルが高い」からだ。どんなものであっても、何かを断るにはエネルギーが必要だ。それなりの理由なのに、好意を無下にしているような居心地の悪さも感じてしまう。(ちなみに断らずにそのまま飴を受け取り、息子に与えないでいたら、息子から「僕がもらった飴、どうなったの?」と聞かれてしまった。だから断らざるを得ない)

*

しかし問題なのは、これからもその青果店を利用することが続きそう、ということだ。

一番のポイントは、息子と一緒のときはその青果店に行かないこと、なのだが、それがベストなやり方なのかは分からない。

真っ当なやり方は「あらかじめ息子に『飴を受け取らない』理由を説明し、毅然と断り続ける」ことだろう。

まあ、ここまで書いたけれど、たまには飴を受け取るのも良いかもしれない。でもなあ、こういうのクセになっちゃうからなあ。

飴を受け取るか問題とは、「トロッコ問題」よりも現実的で悩ましいものだ。ぜひサンデル先生には、次回の白熱教室の授業で扱っていただきたい。

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