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プロフェッショナルで描かれた庵野秀明さんの覚悟

クリエイターの生き様を描いたドキュメンタリーとして、とんでもなく貴重な映像記録だった。

エヴァンゲリオンを手掛けた映画監督、庵野秀明さんを追ったNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」である。

──

1995年に放送された「新世紀エヴァンゲリオン」。

当時小学生だった僕はエヴァに触れることがなく、初めて観たのは新劇場版が公開されてから。周囲から「エヴァは観た方が良い」と言われていたこともあり、後追いでテレビシリーズや旧劇場版、新劇場版をフォローしていった。

尋常ではない熱量が込められていることは素人ながら理解できた。しかしリアルタイムでエヴァに接していた人と比べると、思い入れはなく、ある意味「流行り」を消化していった。監督・庵野秀明を意識することもなかった。

そんな僕でも「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」は衝撃的だった。テレビシリーズと全く乖離したストーリー。「碇シンジ」という気弱で鬱屈とした思いを抱いている少年が、次から次へと押し潰されていく。

何のオブラートにも包まれていない心象風景。「もしも僕が碇シンジだったら」という想像は、怖すぎて拒絶している。

それから「シン・ゴジラ」「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」が公開されたわけだが、リアルタイムで目撃できることは幸せでしかない。他のどんな作品とも違うオリジナリティ。すごい。

次第に変わっていったことがある。

世の中に数多ある解説記事を読み漁るにつれて、作品よりも、庵野秀明という人間のことに興味を持つようになったのだ。

*

そんな中で、庵野秀明さんの「プロフェッショナル」だった。

印象深かった点を要約すると、以下の3点になる。

・表現の追求者である(予定調和を最も嫌う)
・「壊れる」ことを受け入れる覚悟
・自分自身のことを信用していない

それぞれが独立しているわけでない。それぞれが行く手を阻むような感じで重なり合っている。

予定調和を嫌う庵野さんの発言・行動は、番組序盤で頻出していた。

例えば、主要メンバーが集まった合宿で、彼は何も決めようとしない。

スタッフが「こういう方向で進めていきますかね」という問い掛けに対して「分からない」を繰り返す。「アイハブノーアイデア」と冗談交じりに語っていたけれど、制作するスタッフにとっては何の冗談にもならない。そもそも画コンテも描かずに映画を作ろうとしている。正気の沙汰ではない。

庵野さんは語る。

最初にみんな決めたがるの。何をするか。安心したいから。現場には画コンテがない方が良いと思う
(NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀:庵野秀明スペシャル」より引用)
自分のイメージ通りに作ったって面白いこと何もないですよ。自分の考えたことなんてそんなにおもしろいものじゃない。それを覆す方が良いので。
(NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀:庵野秀明スペシャル」より引用)

分かる、分かるよ。言いたいことは。

だけどエヴァの関係者は、数人のチームで構成されているわけではないのだ。

まして1ヶ月で興行収入が70億円にものぼる規模な作品なわけで。ただでさえ映画というクリエイティブの塊のような表現方法において、人も金も、ある程度の予定調和を共有しなければ完成には至らない。

なのに庵野さんは、9ヶ月間の成果をひっくり返す。

あんまりうまくいってないならAパートごと書き直そうかなと思って。要するに僕の台本が全然できてないっていうのがこれでよく分かった。イチから書き直したい。できればゼロから書き直したい。Aパートが必要かどうかっていうところから立ち直って。もういきなりB(パート)で良いんじゃないかと。
(NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀:庵野秀明スペシャル」より引用)
(ちなみに「ちゃぶ台返し」はこれだけでなく、番組後半にもDパートの脚本やり直しという場面が出てきた)

この意思決定の影響を、人件費・制作費で換算したブログも見掛けた。だけどこれは、単純に数値で割り切れるものではない。

映画作りは「ひと」が関わるのだ。

力を尽くして作り続けてきたものを「ごめん、最初からやり直すわ」と言われたときのショックは想像に難くない。

それでも庵野さんは、スタッフを巻き込みながら、予定調和を壊し、表現を追求していく。

やっぱり頭の中で作ると、その人の脳の中にある世界で終わっちゃうんですよ。その人の外がないんだよね。自分の外にあるもので表現をしたい。肥大化したエゴに対するアンチテーゼかもしれない。アニメーションってエゴの塊だから。
(NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀:庵野秀明スペシャル」より引用)
もう何十年もアニメを作ってるんで、みんなもうルーティンなんです。それはもちろん僕も含めて。今のアニメの作り方でエヴァを作ったら、たぶん今までの3本の延長のものにしかならないと。何か似たようなものがもう1本できたねって。新しいものになる可能性がすごく低い。それがもう僕の中で、もうそれが嫌だ。
(NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀:庵野秀明スペシャル」より引用)

そんなプロセスを何度も続けると、組織は疲弊する。

そして庵野さん自身も「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」の後で、鬱状態になったと告白している。

ドキュメンタリーでは、庵野さんを献身的に支えた、妻・安野モヨコさんも登場している。「誰も支えないのならば私が支える」という決意。美談にしては、満身創痍が過ぎる。

*

だが「壊れる」ままで終わらなかったのが、庵野さんだ。

もういいかなとは思えなかった。作れないってのはあったけど、作りたくないにはなかなかならなかった。
(NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀:庵野秀明スペシャル」より引用)
始めちゃったんで終わらせる義務がある。それは自分に対しても、スタッフに対しても。まあ1番大きいのはお客さんに対しても。
(NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀:庵野秀明スペシャル」より引用)

この覚悟こそが、庵野さんの能力を超えて、エヴァが作品性を高めていった本質だと僕は思う。

*

そして、ようやく番組の終盤で、庵野さんは自らの「成長」を認めている。

今回はちゃんと終わると思います。っていうか終わるし終わらせられる。それはなんか自分が少し大きくなれたからだと思います。
自分の状況と作品がリンクするから。ポジティブな方向に行くので。自分の中にそれがないといけない。じゃないとそれは嘘になっちゃうから。自分の中にあるものが作品の中に入っているもので、それは本物になる。
(NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀:庵野秀明スペシャル」より引用、太字は私)

不思議なことに、悲観論者は賢く見えるし、彼らの言葉はもっともらしく聴こえるものだ。

「終わらないエヴァ」を続けたって、そこまで大きな批判にはならない。むしろ従来のように謎を謎のままにしておくことが、エヴァの楽しみ方とも言える。

そんな中で、庵野さんが描いた碇シンジの旅立ちは、それ自体が庵野さんの挑戦(予定調和の破壊)だった。マリというパートナーを携えて、現実世界へと踏み入れる碇シンジは、かつての「シンジくん」ではなかった。

さようなら、全てのエヴァンゲリオン。

この言葉を書き足した庵野さんは、表現者として死力を尽くし物語を考え抜いた結果、エヴァにピリオドを打ったのだ。

──

「庵野さんと仕事をしたいか?」と問われたら、僕は言葉に詰まるだろう。

庵野さんと付き合うのは(制作スタッフとしての立ち位置でなかったとしても)、心身が大きく削られることになるからだ。

よほどの大義を見出せない限り、難しい。

それでも、モノづくりを志向した人にとって、誰もが一度は憧れを抱く。100年先も残る作品を作ってみたいと。

その旅路は、当たり前だけど、ものすごく険しい。

その覚悟があるかと、僕らは問われている。

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