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高い頑丈な壁の内側か、あるいは。

2023年7月号の雑誌「新潮」に、村上春樹さんのテキストが掲載されていた。

これはアメリカ・マサチューセッツ州のウェルズリー女子大学で行なわれた一般公演で発表されたもので、すでにメディアでも取り上げられている内容だった。

大筋は知っていたものの、通して読むことで(あるいは正真正銘、村上春樹さんが書き起こしたテキストということで)、非常に読み応えのある内容だった。やはり言及されていたのは、「壁」のこと。新作『街とその不確かな壁』との共振に、なんというか、ため息が出た。

講演のタイトルは「疫病と戦争の時代に小説を書くこと」。一部を引用する。

僕の書いた新しい小説の中では、主人公は壁に囲まれた静かな街の中にいるべきか、壁の外に出て現実の世界に立ち戻るべきか、決断に悩みます。(中略)街の人々はその高い壁の内側で心静かに、満ち足りた暮らしを続けています。彼自身もそこで、自我の激しい求めに追われることなく、長い夢を見るような安らかな日々を送っています。そこには時間の始まりもなく、時間の終わりもありません。すべては平穏のうちに循環しているように見えます。

しかし彼はその街の中に暮らしながら、「何かが間違っている」という重いを心のそこから追いやることができます。壁の中から排除された自我は、いったいどこに追いやられたのだろうと。彼はそこになにかしら自然でないものを感じ取っています。

(雑誌「新潮」2023年7月号、新潮社 P115より)

テキストには、新型コロナ・ウィルスやロシアのウクライナ侵攻、グローバルでの安全保障の問題、軍事費の増大、ソーシャル・メディアでのやりとりなどが記されている。

それらのモチーフ(そして取り巻く人々に触れながら)には、すべて「壁」が存在しているというのだ。

このテキストを読んで、村上さんが40年ぶりに書き直したかった意図に気付いた。彼は「もっと上手く書くため」ではなく、明確に「勇気を出して、壁の外へ行こう」と読者をリードしたかったのではないだろうか。(もちろん、それは小説を読んだからこそ、ハッと気付けたわけだが)

壁の中に留まるのは、非常に心地が良い。

AIがデフォルトになり、全ての労働をロボットによって代替される世の中。ベーシックインカムがばら撒かれて、人間は悠々自適に暮らす。いや、楽に暮らしているように見えて、自我やエゴ、野心といった「欲望」をも失ってしまう。壁の中は平穏だからといって、そこは、果たして良い場所だろうか。

もっと外に目を向けよ、足を使って他者と対話をしよう。

人間の肉声さえも、デジタルに変換されがちな世の中で、必死に足掻く。それが決して「みっともない」わけではないと、村上さんに力強く後押ししてもらったような感覚を得た。

さあ、また明日もしっかり生きよう。

#村上春樹
#街とその不確かな壁
#ウェルズリー女子大学
#疫病と戦争の時代に小説を書くこと

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