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「役立たずのすすめ」と「小さな物語」3―是枝映画と「小さな物語」

伊藤徹
(京都工芸繊維大学教授)

本記事は、2021年1月10日に開催された『《時間》のかたち』の刊行記念ミニ講演会「「役立たずのすすめ」と「小さな物語」」の原稿です。

【前回】2 「役立たず」という生き方
からのつづき


是枝裕和と「小さな物語」

さて本日の後半の話に入ります。テーマは「小さな物語」ですが、この言葉は是枝裕和を扱った第三章に出てきます。元をたどれば、1980年代に日本でも流行ったポストモダンの思想から由来するのですが、そのことは置きます。是枝裕和がこのタームを使ったのは、2018年《万引き家族》によるカンヌ映画祭パルム・ドール受賞に際し、ときの文部科学省大臣の林芳正が「日本の栄誉」として顕彰しようとし、それを是枝が辞退したときのことでした。本書にもありますが、再度引用します。

僕は人々が「国家」とか「国益」とかいう「大きな物語」に回収されていく状況の中で映画監督ができるのは、その「大きな物語」(右であれ左であれ)に対峙し、その物語を相対化する多様な「小さな物語」を発信し続けることであり、それが結果的にその国の文化を豊かにするのだと考えて来たし、そのスタンスはこれからも変わらないだろうことはここに改めて宣言しておこうと思う。

分断・排除の「大きな物語」

 この言葉を目にしたとき私は、寺山修司が日テルアビブ空港乱射事件(1972年)について語ったことを思い出しました。寺山は、日本政府をはじめ多くの人が、事件を引き起こした日本赤軍の行為を、日本人として謝罪したことに批判を加えたのですが、彼は日本赤軍を擁護しようとしたのではありません。寺山が指摘したかったのは、彼らが自立のために捨てたはずの「日本」という大きなくくりが、この「謝罪」によって主体的個人としての彼らを飲み込んでしまっているのに対して、謝罪した人々が無自覚であることでした(詳しくは私の前著『芸術家たちの精神史』(ナカニシヤ出版、2015年)をご覧ください)。それは、子供を自立させない母親に象徴されるような個人を一つのコマに解消してしまうシステムであり、寺山の「家出」とは、それに対抗する企てでしたが、「忖度」という言葉の流行が示しているように、自らの主体性を捨てて上の顔色を窺う状況は、このシステムが今日も存続していることを示しています。林芳正が挙げた「日本の栄誉」も実のところ同じ機能を隠しもっていて、たとえ「顕彰」というポジティヴな響きをもっていたとしても、排除を伴いうるものに思えます。中島みゆきに《4・2・3》という曲があるのをご存じでしょうか。これは、1987年4月23日ペルー日本大使公邸を占拠していた武装組織の鎮圧に関わる歌ですが、テレビ中継が日本人人質の無事解放を歓喜に満ちて報道している陰で亡くなったペルー人兵士の存在を改めて取り上げたもので、「日本」という「大きな物語」によって、そこに含まれる者とそうでないものが分断されたことに目を向けさせるものです。物語は、もちろん「日本」だけに限られません。Make America great againが分断を生じさせ移民などを排除していこうとしたことを、私たちは目の当たりにたばかりです。あるいは今香港で、支配者としての中国共産党と相容れない人たちを拘束し自由な空間から排斥している「国家安全法」も、もう一つの「大きな物語」です。もちろん日本赤軍も、それが派生したブントを始め諸セクトも、あるいはセクトに飲み込まれることに抗った全共闘も、運動直後のウーマン・リブの指導者田中美津が「大義のために私を殺す」と批判したように、それぞれ「革命」の大義、すなわち「大きな物語」を奉じたものであり、その限り連合赤軍の陰惨な事件が如実に示したように、排外性を免れえませんでした。そういう意味で「大きな物語」は、是枝もいう通り、左右関係なく生じてくるものですし、のみならず「成長」という神話、すなわち資本主義の神話もその一つで、しかもこれが左右関係なく、世界を支配し「格差」という排除を生み出していることは、本書第四章の終わりでも触れています。行為に目的を与える「大きな物語」は、人々を支配し管理するものであり、前半で扱った有用性の側に立つものであすから、他方こうした「大きな物語」に回収されない「小さな物語」とは、「役立たず」の具体相ということになるでしょう。第三章はそれを是枝裕和の《歩いても歩いても》という自伝的作品を通して考えてみたつもりです。

【次回】「役立たずのすすめ」と「小さな物語」4

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伊藤 徹(いとう・とおる)
1957年 静岡市に生まれる。1980年 京都大学文学部卒業。1985年 京都大学大学院文学研究科博士後期課程研究指導認定退学。現在、京都工芸繊維大学教授(哲学・近代日本精神史専攻)。京都大学博士(文学)。著書『柳宗悦 手としての人間』(平凡社、2003年)、『作ることの哲学―科学技術時代のポイエーシス』(世界思想社、2007年)、『芸術家たちの精神史―日本近代化を巡る哲学』(ナカニシヤ出版、2015年)、『作ることの日本近代―1910-40年代の精神史』〔編著〕(世界思想社、2010年)、Wort-Bild-Assimilationen. Japan und die Moderne〔編著〕(Gebr. Mann Verlag、2016年)他。


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