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【特別公開】『なぜ基地と貧困は沖縄に集中するのか?』安里長従「はじめに」

まもなく『なぜ基地と貧困は沖縄に集中するのか?』が刊行されます。
本書では、共著者の安里長従さんと志賀信夫さんのお二人がそれぞれの視点で「はじめに」を執筆しています。今回は安里長従さんの「はじめに」を公開します。

はじめに 本書で伝えたいこと 安里長従

沖縄の基地問題や貧困問題について、次のようなことがよく言われている。

「中国に近いから、安全保障のために基地が集中するのは仕方がない」
「基地がないと沖縄は経済的にやっていけない」
「特別な予算をもらうために基地反対と叫んでいるだけの自作自演」
「沖縄は地縁血縁社会であり、その同調圧力や自尊心の低さが貧困問題の本質だ」
「沖縄は基地のことばかり。被害者意識が強いわりには、深刻な貧困の問題を放置している」

地理的、文化的な要素に注目して語られることが多い沖縄。こうした語りは、本土の人びとのみならず、沖縄の人びとにも受容され、内面化されている現実もある。しかし、これらの言説は果たして本当なのだろうか。本書では、巷に溢れるこれらの言説に真正面から批判を加えていきたい。

著者(安里)は司法書士として活動しながら貧困問題にも取り組んでいる。そのなかで全国の貧困をめぐる議論に参加しながら、「ある種の違和感」を感じることが多かった。つまり沖縄の深刻な貧困問題は、沖縄の基地問題を避けては説明ができないのではないか、「本土―沖縄」という権力構造に向き合わない言説によりこの問題の本質が隠され、沖縄は分断されているのではないかという思いを常々抱いていた。そのようななか、一冊の本に出合った。それが本書の共著者である志賀信夫さんの『貧困理論の再検討―相対的貧困から社会的排除へ』(2016)である。この本は現代の貧困理論である社会的排除理論についての研究書であり、その視点を通じて著者(安里)は、沖縄の置かれた現状を照らし出し、より構造的な問題として考察していくことが可能となった。本書は、貧困理論の研究者である志賀信夫さんとともに、沖縄の基地問題や貧困問題の一体的な解決の道筋を探るとともに、未来の沖縄を形成するための自己決定や社会参加について考える新たな取り組みの書である。

2022年5月15日で、戦後27年間の米国統治からいわゆる「本土復帰」して50年となった。筆者(安里)は復帰の2ヶ月余り前の生まれであり、「復帰」後の沖縄と歩みをともにしてきた。

前述したとおり、沖縄の基地問題と貧困問題に対し、「沖縄は基地のことばかりで、被害者意識が強いわりには深刻な貧困問題を放置しており、それこそが沖縄問題の本質」であり「沖縄に問題がある」という趣旨の言説が流布されている状況が散見される。

本書では、屋良朝苗初代県知事が述べたように、沖縄が基地問題に取り組むのは、県民の「福祉」のためであることを確認していく。

「福祉」というと、社会生活にハンディキャップを持つ人や生活が困窮している人に対する支援や社会保障制度のことを想像される方が多いと思う。しかし、ここでいう福祉とは、「幸福」や「豊かさ」を意味するものであり、社会が、「すべての市民」に「幸福」を追求する最低限の「自由」を保障していこうという「理念」を指す。この「幸福」や「豊かさ」は、自然を「開発」することや、消費により得られる「効用」だけでそのすべてを測ることができるわけではない。また、幸福のあり方は多様なものであり、他者が勝手にその人の幸福のかたちを決めたりできるわけでもない。その個人の「自己決定」が重要になる。つまり、すべての市民にこの「幸福」を追求するための「自由」・「権利」を実質的なものとする社会的援助を提供していこうという社会理念の追求こそが、ここでいうところの「福祉」の実践なのである

「復帰」の半年前、当時の琉球政府は、住民が望む復帰の姿を訴えようと、ひとつの文書をまとめた。「復帰措置に関する建議書」である。この「建議書」は、沖縄不在のまま日米間の返還交渉が進んでいることを危惧した琉球政府が職員や学識経験者、そして住民の幅広い要望を集約し整理したものである。

建議書で沖縄が日本政府に求めたのは、まず何よりも「県民の福祉」を最優先に考えることであった。建議書は、この「県民の福祉」という基本原則に基づく以下4つの具体化によって成立し、復帰後の新生沖縄の像を描いた。

(1)地方自治権の確立
(2)反戦平和の理念をつらぬく
(3)基本的人権の確立
(4)県民本位の経済開発

1971年11月17日、屋良朝苗行政主席は、この建議書を携え上京した。政府から「沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律」等関連法案の内容が示されたのが10月初め。これを総点検し、問題点を昼夜兼行のなかでまとめ上げ国会審議開始前に政府各機関、衆参両院の全議員に届けようとした。にもかかわらず、日本政府や国会からは無視されてしまう。建議書が渡されるより前に、衆議院の沖縄返還協定特別委員会で自民党により強行採決されたのである。

屋良は、宿泊するホテルに待ち構えていた報道陣からこの強行採決を聞かされ、「茫然自失―失望と混乱の状態で私は逃げるように部屋に入り、懸命に思考をまとめた」と記している。その後、彼は落ち着きを取り戻して記者会見をおこない、「沖縄の最後の訴えも聞かず強硬手段をとったのは言語道断。県民の不満が爆発するのではないかとおそれている」と抗議した(屋良 1985, 186)。

のちに屋良は行政主席から「復帰」後の初代県知事となり、1976年6月まで務めた。屋良は県知事退任の際、職員向け挨拶において以下のように述べた。

沖縄の今日まで置かれている立場は、遺憾ながらあくまでも県民の福祉を第一とするところの立場ではなかった。戦争というのは祖国防衛の盾という手段であったし、異民族支配に任されたということは(日本の)敗戦の処理の手段として(米国に)委ねられたのであります。アメリカが基地の当事者ということは基地を造る手段でありましたし、全部、手段的立場に立っている沖縄は、正しい人間社会の姿ではない。人間不偏の姿でなくして仮の姿であると思うわけです。

(琉球新報社 2017, 344)

「復帰」50年を経てもなお、沖縄への基地の集中と深刻な貧困が存在するのは、県民の「福祉」が「目的」とされておらず、すべてが「手段的立場」に立たされている状況が続いているからではないだろうか

「復帰」50年にあたり報道等で屋良が取りまとめた「建議書」が多く取り上げられたが、なぜか「県民の福祉」は焦点とならず、4つの柱や「基地のない平和な沖縄」ということだけが注目された。玉城デニー県政においても「復帰」50年にあわせて、あるべき将来像を描いた「平和で豊かな沖縄の実現に向けた新たな建議書」を発表したが、その内容は、「日本経済をリード」や「国家戦略として沖縄振興策を総合的かつ積極的に推進する方針を堅持」との文言もそうだが、「復帰」により沖縄の人びとの「福祉」はすでに向上したと位置づけ、屋良建議書で至上の価値とし目的とした「まず何よりも県民の福祉を最優先に考える基本原則」が抜けてしまったことは残念でならない。

本書では「復帰」50年を経てもなお、沖縄への基地の集中と深刻な貧困の共通の基礎となっているものは「差別」であることを明らかにしていく。そして、「差別」を人間の(深層)心理の問題に還元するのではなく、この差別を可能とする「構造」に正面から対峙しなければならないことを示したいと思う。

そして、沖縄の真の福祉を目指すために、「基地問題」と「貧困問題」の一体的な問い直しと、「自由の平等」を目的とした一体的な取り組みの必要性を訴え、公正で民主的な解決を求めていきたい。これが本書の特徴である。

参考文献

琉球新報社 編(2017)『一条の光 屋良朝苗日記・下』琉球新報社
屋良朝苗(1985)『激動八年 屋良朝苗回想録』沖縄タイムス社


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