『出西窯と民藝の師たち』を読む
1947年(昭和22年) 島根県斐川町出西の地で、素人の青年たちが陶器づくりを始める。
地名をとって「出西窯(しゅっさいがま)」と名付けられた。
戦後の大きな価値転換を経て目指したのは「工芸共同体」だった。
柳宗悦・河井寬次郎・濱田庄司・バーナード•リーチらの民藝の師父たちに導かれ、今や島根を代表する窯元となった出西窯。
仕事の喜びとは何か。
生涯の生き甲斐とは何か。
創業者の多々納弘光氏が語る共同体としての軌跡。
(ブックカバーの袖より)
【著書略歴】
1927年(昭和2年)〜2017年(平成29年)
同郷の友人たちと農村工業の共同体構想を抱き、20歳で陶芸工房の建設に着手。
1950年(昭和25年) 河井寬次郎の来訪を契機に美術陶芸から実用的な器づくりに方向転換し「出西窯」を名乗り日本民藝協会にも加わり、民藝の普及に尽力する。
【出西窯/ウエブサイト】
【年表】
昭和22年8月 5名の同人(井上久人・陰山寿人・多々納弘光・多々納良夫・中島空彗)と2名の賛同者の協力を持って出西窯を創業する。
昭和25年 夏 河井寬次郎来訪
昭和26年 10月 柳宗悦来訪
昭和28年 5月 バーナード・リーチ山陰へ
昭和30年 「企業組合 出西窯」として今日に至る
【出西窯を導いた主な人々】
バーナード・リーチ
明治20年 イギリス領香港生まれ
幼少期は日本で育つ。
ロンドンでエッチング技法を学ぶ。
日本では、6代尾形乾山に陶芸を学ぶ。
昭和54年没
1887〜1979
柳宗悦
明治22年 東京生まれ
日本各地な手仕事を調査・蒐集、民藝運動を起こした。
昭和36年没
1889〜1961
河井寬次郎
明治23年 島根県生まれ
陶芸・彫刻・デザイン・書・詩・随筆など広い分野で優れた芸術作品を残す。
昭和41年没
1890〜1961
濱田庄司
明治27年 神奈川県生まれ
京都市陶芸試験場で河井寬次郎の後輩にあたる。昭和53年没
1894〜1978
吉田璋也
明治31年 鳥取県生まれ
民藝運動家 医師
新作民藝運動にて大きな業績を残した。
昭和47年没
1898〜1972
外村吉之介
明治31年 滋賀県生まれ
民藝運動家 染織家
平成5年没
1898〜1993
片野元彦
明治32年 愛知県生まれ
洋画家を志し木村荘八・岸田劉生に師事
岸田劉生の没後 染め物に専念する。
昭和50年没
1899〜1975
舩木道忠
明治33年 島根県生まれ
布志名焼の舩木窯4代目
昭和38年没
村岡景夫
明治34年生まれ
哲学者
平成2年没
1901〜1990
山本空外
明治35年 広島県生まれ
隆法寺住職
平成13年没
1902〜2001
尾野敏郎
明治36年島根県生まれ
袖師窯三代目
平成7年没
1903〜1995
相馬貞三
明治41年 青森県生まれ
東北地方の民藝運動の中心的な存在
南部菱刺しの復興に努めた
平成元年没
1908〜1989
鈴木繁男
大正3年 静岡県生まれ
民藝運動家 漆工芸作家
平成17年没
1914〜2005
柳宗理
大正4年 東京都生まれ
プロダクトデザイナー
柳宗悦の長男
平成23年没
1915〜2011
金津滋
大12年 島根県生まれ
河井寬次郎らの指導で民藝に開眼
料亭吉兆の道具方
工匠や茶人、郷土史家らに影響を与える
鑑賞眼には定評があった
平成8年没
1923〜1996
資料出典:『出西窯』ダイヤモンド社
2013年02月刊 巻末 あとがきより
【山崎亮さんのことば】
コミュニティデザイナー 山崎亮さんのことば。
「気に入った地域で、気持ちのいい仕事をしながら、気の合う仲間とつながって生きている。」
3つの「気」のある共同体(コミュニティ)バーナード•リーチは、出西窯をシュッサイ•ギルドと呼ばずに「シュッサイ•ブラザーフッド」と呼んだ。
(本文 pp.213〜219.より)
※ブラザーフッド(brotherhood)
兄弟。 また、兄弟のような間柄。
【出西窯トピックス】
意外に知られていない事ですが、出西窯のブルーは平成元年より製作が本格化しました。
それ以前は黒が代表的な色でした。
「縁鉄砂呉須釉皿」
「ふちてっさごすゆうざら」
柳宗理先生のご指導を元に無釉の縁に黒釉、白地釉の施釉から始め、呉須釉で縁の鉄砂引きを試みました。
平成元年に第 10 回日本陶芸展で優秀作品賞をいただき、以来、主な作品のひとつとして作り続けています。
呉須釉は改良を重ね、現在に至っています。
(出西窯ウエブサイト解説より)
【柳宗理ディレクション】
【日本陶芸展/歴代受賞作品】
【出西窯/賞歴】
【ブックレビュー】
2023.12.07.