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愛ってなんだよ!!!【性欲と愛の違い編】

愛ってなんだよ!!!

って、思っているそこのアナタ。まぁ私もそうなんですけれど。
愛って意味わかんないですよね。本当に。
めちゃくちゃ意味は広いし、概念的にも大きい。何でもかんでも愛だし、どんなことをしても、愛。

「愛してる」ってどういう状態なんでしょう。心から「あ~愛してるなぁ~」って思う時ってどんなときでしょう。
恋と愛の違い論争で、一番メジャーな決着といて、
恋は、自分本位な好きな気持ち
愛は、相手本位な好きな気持ち
っぽいことがいわれています。恋は一時的、愛は永遠なんてのもありますね。

自分に恋人がいるとして、恋人に対して恋をしているのか、はたまた愛をしているのか、もしくは何とも思っていないのか、自分の行為や思想はカテゴリー分けすると何にになるのか、気になったことは一度や二度くらいあると思うんです。

相手のことをずっと想っているのが愛なんでしょうか。執着じゃなくて?
執着と愛の違いは? 相手と親密な関係になることに愛があるならば、それは欲望とは何が違うのか。
などなど愛について考えていくと、愛ってなんだよ!とキレてしまう。
全部愛で、全部愛じゃないとでも言いたいのかよっ!つって。自分でも何が言いたいのかわからなくなってきました。

一応“愛とは”でググってみると、以下の言葉が出てきます。

愛とは、文学、道徳、哲学、宗教、いずれの観点からいっても、もっとも根本的な観念の一つ。
https://kotobank.jp/word

はい、ワケわかんないですね。何の根本的な観念なんでしょうかね?
多分人間の根本的な観念とかだと思うんですけど、そんなフワッとした感じで言われても、困っちゃいますわ。
好きと愛するは違うものなんでしょうか?
恋するのと愛するのは何が違うのでしょうか?
恋は自分本位、愛は他人本位とは言われているけれど、果たして本当なのかよと。

結局、愛もどんな行為や考えのことを示すのかもわかんないのにさ!よく言うぜ!
と、恋愛ってこう言うことだと思う!つってキャッキャしている人たちのかなり後ろの方でケッと不貞腐れていた。無様である。

そこで、愛とか、恋とかを調べようと思い立ったわけです。
私は愛についてをさっぱり理解していない。愛についての知識がまだまだ足りていないのだ。ということで、色々調べてみたところ、先人の哲学者、心理学者達は愛について色々と考察していたことがわかってきましたよ。

愛ってこうみたいです!!!(一例)

古代ギリシャでは、愛の種類は大まかに分けて四種類あったそうです。

アガペー  神からの無償の愛
エロース  人間が人間に対する情熱的な愛
ピリア   友達に向ける愛(友愛)
ストルゲー 家族に向ける愛(家族愛)
https://information-station.xyz/5589.html

アガペー。神から人間に向かう愛。
神がいるかどうかは置いておいて、人智を超えた大きなものからの愛がまず一種類目。神の証明は色々とあるんですが、これはまたもうちょっと勉強してわかったらまとめたいなぁ。
無償の愛はその名前の通り、見返りを求めない愛です。
人間は絶対に見返りを求めてしまう生き物のため、これができるのは完全体の神のみだと言うのが見解になっているみたい。

絶対に見返りを求めてしまうって本当かよ?って思うけど、よくよく考えてみればちょっと納得。ボランティアとか、寄付とか、無償の愛っぽいけど、それをしている自分に満足感ややりがいが少なからず発生しているため、これを“見返り”とみなすこともできるっちゃできると。
確かに見返り、求めちゃってるなぁ……。やらないよりやったほうがいいとは思うんですけど。

そして、エロース。
なんか下ネタっぽいけど、これは神様の名前から来ています。
恋愛と性愛を司る神様で、親はアフロディー。聞いたことあるかもしれないですね。アフロディーは美と性を司る女神様です。
このエロースが恋愛に関係してくるんですが、シンプルに言ってしまえば「触れてぇ……!」って思う衝動ですね。性的衝動とでも言うんですかね。燃え上がるような恋愛。ってワケです。

三つ目がピリア。友達に対する愛情です。
『走れメロス』とかまさにそれなんじゃないかなと。古くからの友達のために一日中磔になってるとか正気の沙汰じゃないわって思うけど、友達を信じているからこそできたことなんだろうな。
信じるって言うのも愛情に入るんですね……。

そして最後に、ストルゲー。家族愛ですね。これはわかりやすい。
親が子を想う、子が親を想う、映画版クレヨンしんちゃんが泣けるのはこの家族愛をひしひしと感じるからでしょうか。
令和のこの時代、家族の定義は少しずつ変わって言っています。血のつながりだけが家族じゃない。じゃあ何を家族とするのか。

人間は他の物が自分よりも内側か、外側かで気持ちの種類が微妙に変わっていくそうです。
友達や恋人は外側、家族、神的なものは内側に。
自分より外側、つまりは外交的に新しく繋がりを求めていきたい。
自分より内側、つまりはもうすでに繋がっている関係をより親密にしたい。
自分より内側の存在が家族ってことなんですね。もうすでにある繋がりって訳です。
そこに血縁はそこまで関係なさそうです。そもそも夫婦は血が繋がっていませんし。

と、こんな感じに神的なものからの愛と、人間同士の性的な愛、友達に向ける愛、家族へ向ける愛があることが分かりましたね。愛は四種類に分類分けが出来ると。そういうわけです。

性欲と愛は何が違うんですか?

ここで情熱的な愛(エロース)に注目したい。
結局、愛と性欲は何が違うのかいと。
情熱的な愛、すなわち「触れてぇ……!」な訳ですが、それは性欲ではないのかと。
性欲だって「触れてぇ……!」的な気持ちは持ち合わせているわけです。何が違うんだいと。

面白い本を読んでいるのですが、ヒントになりそうな事が書かれていました。
この『愛の思想史』、まだまだ読み始めですが、導入からめちゃくちゃ面白いので愛の考え方に困ったら読んでみると何かヒントがあるかもしれません。

愛は、性と精神の間に生まれるものらしいです。ほほう。
ちょっと『愛の思想史』から引っ張ってくると、

性:死へと向かうもの。母胎へ帰ろうとする退行衝動。欲望
精神:他者と区別するもの。自己を成長させる前進的力。理性
『愛の思想史』伊藤勝彦

だそうです。性と精神は相反する力を持ってるって事がわかればOKです。
ちょっと深掘りすれば、精神は、自分が他の人と違うことを求めています。性は相手の存在の中に自分を入り込ませようとする衝動を持ち合わせています。
つまり、精神は自分と他人を区別させ、性は自分と他人を一体化させようという力を持っているんです。

で、この二つは反発したり、引き寄せ合ったりしています。性が強く出過ぎると欲にまみれた本能のままに生きる獣になってしまう。精神が強く出過ぎると人間関係から遠ざかり、孤独に苛まれる。性と精神がどっちかだけっていうのも良くないことがおこるみたいです。

そして、この精神と性が近づいたり離れたりすることによって愛についての思想が生まれるのだと言うわけです。
愛が「触れてぇ……!」だとすると、性は「一つになりてぇ!」で、精神は「お前と俺は違ぇ!」っていう気持ちですね。愛は性よりも積極的じゃないし、精神よりも消極的じゃない。

この考え方をたどっていくと愛と性欲の違いはわかってきますね。
性←←←愛→→→精神
こんな感じの図式でしょうか。
こう見ると、性欲と愛の関係もわかってくるし、なんなら精神との関係もわかってきました。
つまり、愛は性欲と精神の狭間にあるものなので、愛と性は全然違うジャンルにあるっぽいですね。
『愛の思想史』はこれを導入にいてもっと深いところまで切り込んでいくので、もっと愛、知りてぇ!って方は是非。

これも全部愛の一部

色々と調べてまとめてみましたが、これもまだまだ愛の一部なんですわ。なんと。
愛って摩訶不思議なんですねぇ。三種類あって、性と精神の狭間ってことはわかったけれど、まだまだいろんな人が愛について考察されているし、奥が深い。

脳の反応によって恋と愛を区別してみたり、愛は幽霊だったり(by
フーコー)、恋の結晶作用だったり(byスタンダール)、とにかく色々あるんです。
調べたら切りがないくらいたくさんあるんです。

これからもうちょっと勉強して、愛についてもうちょっと考えて行けたらなと思います。
愛の三角理論なんてものがあるんですが、これがまた面白かったのでまた紹介したいです。

人と愛さないからといって、何かを愛さないからといって、愛について考えないのは、ちょっともったいない。
人を好きになるっていうことと、人に恋をすること、人を愛することはちょっとずつ違うし、その違いを考えるのは面白いんじゃないかなぁと思います。
人が人を好きになるってめっちゃすごいことだと思うんです。自分と似たところがあっても完全に同じではない他の人に好意を持って、「触れてぇ……!」と思う。どえらいことですわ。

また恋愛についてわかったことがあったらまとめていきたいです。
ではでは。


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