見出し画像

命はきっと、いつだって私たちに差し出している。

朝起きる。
とてもいい天気。

家の前の畑のきぬさやを収穫する。
今日も生かされていると感じる。

画像1

実を収穫するとき、野菜は奪われたと怒ったりはしない。ただ謙虚に与え続けてくれる。

ただ、その恵みは無から生まれるものじゃない。

その"与える"が発生するために、野菜は土から栄養をもらっている。
土は、微生物を通して生き物の死んだ体をもらっている。
私たち生き物は、土からの恵みに生かされる。

いつだって、命は与えあい、受け取り合いの連鎖の中で存在している。

一人で生きているなんて、ひとりぼっちだなんて、そんなことは本当は起こりえないのかもしれない。
勝手に私たちがつながりを断ったように錯覚するだけなのかもしれない。
本当は全てつながっているのかもしれない。

私たちがスーパーに行けば、パック詰めされたお肉や野菜がたくさん並んでいる。
何歳だよと自分でつっこみを入れつつ、なんてすごい時代なんだと圧倒されることがある。
とても豊かで、与えられるのが当たり前で、連鎖の見えにくい時代なのかもしれないなあと思う。

つながりに思いをはせると、何が見えるだろう。
なんだか私はとても安心感を感じる。

命はきっと、いつだって私たちに差し出している。
たくさん受け取っていることを受け取ってみたいなあ。

そんなことを感じた朝だった。

画像2

とうもろこしの芽がかわいい

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?