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G線上のあなたと私 第8話 救い、救われる

2018年5月に教室で出会って1年半。とうとう3コンまでやってきました。G線上のアリアを演奏する中の回想シーンは「最終回ですか⁉︎」と思う位の集大成感がありましたね。

これ必要ですか?

何だか今回は「あれ?」と思う演出が。芙美が「失恋の相が出てるから11月24日までは告白しちゃダメ」って理人に言うの必要だったかな…?

眞於の所に行った後、理人が也映子に早く本当の気持ちを伝えたいという流れが自然なはず。でも告白してしまうと物語上色々な状況が変わってしまうから “3コンまで告白は保留させる” という不自然な意図をあのシーンに感じてしまったんだよなぁ。

「3コン前に告白して上手くいかなかったら嫌だし、それまでは告白しないでおこう」と理人が自身で思うなら分かるのよ。芙美と占いネタって何!このドラマで初めて「そんなご都合主義な演出をぶっ込みますか?」と思ってしまったよ。

3コンに集った人々

木暮家(アキラ100%さんの陽オーラよかった!)加瀬家、北河家が一堂に会した3コン。3人の家族と友人が一堂に会するというのはなかなか感慨深い。也映子、理人、幸恵の3人が出会い、その3人を形作っている人達が1ヶ所に集まる。3人だけの小さな円と、その円を取り囲む更に大きな円があの会場に集約されているんだよね。だから「親愛なる人々へ」というタイトル。人間愛溢れまくり。

救い、救われる

そんなつもりはないのに、誰かの救いになっていることがある。私の存在は、多分家族の救いになっている。自分は家族、映画、漫画、音楽とか色々なものに日々救われている。でも家族が私を救おうとして暮らしているわけではない。作り手が私を救おうと思って作っているわけではない。その人の存在とか、その人が作らずにはいられない情熱とか衝動に勝手に胸を打たれてる。

眞於は也映子の言葉と3人の演奏を聴いて「あの3人に救われてしまいました」と言った。誰かがいつも救う側ではない。誰もが救ったり、救われたりを循環しているのが人と人の関係なのでしょう。

真っ暗な海に放り出される

打ち上げの幸恵が表情豊かで楽しそうで嬉しい〜。思いを伝えようとする理人の「俺達、バイオリンで繋がろうとしている場合じゃないですよね」の台詞は痺れたわ!でも何だか不穏な也映子のモノローグ。「真っ暗な海に放り出される」「神様はドSだ」婚約破棄という経験をしているからこんな風に思うのかな?

確かに「付き合い始めました。めでたしめでたし」では人生は終わらない。幸恵のように結婚してからだって色々あるし、思いが通じ合っても途中で関係が途絶えてしまうこともある。

でも也映子の心境はとりあえず置いといて、思いが通じ合いそうな今を祝いたいよ!お互い素直な気持ちを伝え合えるって最高じゃないですか。色々ある中で生活しているあの3人が好きだから残りの物語も見届けていきますよ。

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