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観客の誰もが、プロを代表する選手になるとは思わなかっただろう

スポーツ取材は長く経験してきたが、もっとも驚いた選手の1人だろう。初めて見た瞬間、「怪物ぶり」に目を奪われた面々は多いが、この選手に本当に驚かされたのは後々のことだった。夏の全国高校野球、昼間は満員だった甲子園球場の観客席に、空席が目立つようになった3回戦の第4試合。浜田(島根)のエース和田毅投手がマウンド上にいた。

1998年8月19日、この日は松坂大輔を擁する横浜(東神奈川)とPL学園(南大阪)が、延長17回の歴史的死闘を演じた前日だった。第2試合で横浜、第3試合でPL学園が勝ち、ともに準々決勝進出を決めていた。観客のお目当てだった両校の戦いが終わり、ネット裏にいた私も、注目して見ようという気持ちではなかった。薄い記憶にあるのは、対戦した帝京(東東京)のバッターが首をかしげながらベンチに戻っていく姿。そして試合後、3ー2で勝利した浜田を称える、少なくなった観客が、総立ちで拍手喝采していたネット裏の光景だ。

松坂投手の140キロを超える豪球と比べ、当時は120キロ台のスピードだった和田投手。今もソフトバンクで現役を続ける左腕の良さは球速の速さではないが、松坂投手の投球を見た直後、この公立校のエースが完投勝利したピッチングを見て、「後々はプロを代表する選手になる」と思った観客はいただろうか。進学した早稲田大学、プロに入ってからの活躍は誰もが知ることだが、当時の私には「和田投手」という名前さえもはっきりと記憶に残っていなかった。

プロ野球に入って1年目、プライベートで見に行った試合で、和田投手の快投に身震いした。5年前、甲子園球場で見た同一人物とは思えなかった。「人間は大きく成長する」。多くを教えてくれたことは、私の向上心につながっている。


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