懲役刑の満期日が過ぎました。

こんにちは!今日で8月も終わりますね。私も今年は無事に夏を無事故で乗りきりました。

去年はお盆休み前に実家で両親の前で飛び降り自殺未遂をして警察を呼ばれて救急隊で近くの病院に緊急搬送されました。

そこは精神科の病院ではなかったので地元の警察署まで行って相談した結果、入院出来る病院が見付かるまでネットカフェとビジネスホテルで1週間、大人しくしてました。

お盆休みは精神科の病院の先生もほとんどが休みを取るので東京都立広尾病院の社会福祉士さんに頼んで空きのある病院を探してもらいました。そして、紆余曲折を経て今の掛かり付けの地元の病院に無事に入院する事が出来ました。

普通なら警察沙汰になって精神科の病院に入院する時は措置入院と言う扱いになって最初は閉鎖病棟の隔離室から生活が始まって少しずつ病棟の共有スペースに出してもらえます。

そこでお昼ご飯を食べたり新聞や本を読んだりテレビを見たりして、同じ患者さんたちと過ごして症状が安定してきたら皆と同じ病室で入院生活を送るようになります。

私の場合は今の担当の主治医の先生と入院前の診察の時に

主治医「○○(私の苗字)さん、普通に受け答えが出来るので任意入院にしましょうか?」

と言う優しくて明るいトーンで言われたので私は最初から単独で【院内散歩】に【外出】に【外泊】まで出来る任意入院処遇になりました。
しかし、入院して間もない私はそんな事をつゆ知らず、不安な状態で本格的な閉鎖病棟での入院生活を始めました。

私が最初にいた閉鎖病棟はN4病棟と呼ばれ急性と短期の患者用の病棟だった為に、ずっと病棟内を周回してるおばさんや共有スペースのテーブルに座って独り言をぶつぶつと唱えてるお婆ちゃんがいて、これがガチの精神科の病院だなあと戦慄しました。

そして、そんな私をすぐに救ってくれたのが紙タバコでした。

病棟内と病院の敷地に喫煙所があったので指定された時間に看護師やケアスタッフから預けたライターを受け取って同じ病棟の患者さんと一緒に煙草を吸ってコミュニケーションを取りました。
私は、ある程度の日常会話が出来る程度にはコミュ力が運良くあったので入院して数日で病棟の喫煙患者さんと上手く馴染む事が出来ました。今でも、たまにLINEのグループチャットや通話で連絡先を交換した患者さんと連絡を取ってます。

今ではすっかり電子煙草ユーザーになりましたがこの時ばかりは喫煙者で特をしました。煙草のコミュニケーションは重要で患者さんの顔と名前だけでなく、その患者さんの主治医の先生の情報も得られるので、インターネットでも検索しても出て来ない貴重な情報源を得られて担当の看護師(プライマリーナース)やケアスタッフにどんな人がいるのかもすぐに覚える事が出来ました。

精神科の病院についてはまた後々、書き綴ります。

私の刑の満期日は平成31年8月23日なので、それまでの間は担当の保護司に連絡して7日以上の居住地以外の場所で外泊する為の許可証を貰いました。

2月から真面目に毎月2回、近所に住む保護司のお宅へ訪問して30分ほど近況報告をして保護観察を受けていて良かったと感じました。保護司にも恵まれていたと思います。

いちいち私生活について口出しをしない年配の方だったので優しくて穏やかで地元の自治体や町内会の役員もこなし、役所にも地元のイベントにも精を出して参加しているアグレッシブな1面もある方で今年もSMSで無事を報告しました。

何事も役所は紙っぺら1枚で事が進みますがそれは刑務所でも病院でも一緒です。閉鎖病棟の外に出る時は名前と要件を書いて提出しなければならないのです。

院内散歩の時は病棟の入り口にある2枚の扉の間のロッカーの上にある用紙にスマホやライター等の持ち物と出る時は出る時間、帰った時は戻った時の時間を書いて看護師から簡単なボディチェックを受けて荷物を預けて病棟に戻ります。

外出・外泊の時は指定の届けの用紙を看護室で受け取り、所定の事項を記入し提出して主治医の許可を得てからの外出・外泊になります。

私は保護司から受け取った許可証を病棟でサインし、親に渡して保護司を通じて横浜保護観察所の保護監察官に無事に受理されて病院で刑の満期日を迎えました。まさか刑のの満期日を実家の居住地ではなく精神科の閉鎖病棟の病室で過ごす事になると思いもしませんでした。

満期日の当日は朝の5時くらいに早起きして病室からの暁の空を見て不思議な気持ちでいました。病棟の起床時間は基本的には朝7時なので朝陽が昇るまで、しばらくの間だけ空を見上げて物思いに耽ってたのを覚えています。

今後はまた気が向いたら病棟にいた面白い患者さんについても書いて行こうと思います。まる

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?