見出し画像

「本気の目標達成の為に必要な思考」の「常識だけを見て、もう遅いと勝手に思い込まない」

43歳からホルンを始めて、たった1年2ヶ月でヨーロッパのナショナルオペラハウスのホルン奏者に就任できた僕の

「リアルに夢を叶える為の思考学」の第16回目です。

さて、今回は「常識だけを見て、もう遅いと勝手に思い込まない」をベースに色々と書いておきたいと思いますが、

少し専門の音楽の話が濃い内容となっておりますが、一般的に利用・吸収できる要素もそこそこあると思われますので、上手に必要だと思われるアイデアを汲み取りながら読んでいただければ嬉しい限りです。

「常識」だけだなく「特例」も調べてから決断する。

例えば、僕が典型の「常識外の特例」です。

何度も書いていますが、僕は43歳からホルンという楽器を始めて、1年2ヶ月後の44歳でヨーロッパのナショナルオペラハウスのホルン奏者になったという「常識外の特例」ですが、恐らくきっと

「誰よりも遅くホルンを始めて、誰よりも早くプロオーケストラのホルン奏者になった」

のではないかと思っていますが、この話(情報)から一般の方々が「汲み取るべき情報(学び)」はこれは僕が云々、ホルンが云々とかではなく

「年齢の常識の壁を打ち破った事例」・「人間の可能性の幅が少し広がった事例」というのがキープしておいても良い重要な点だと思っています。

よく思い返して考えてみて下さいませ。

例えば、僕ら45歳以上の方たちにとって、カール・ルイス氏が100メートル10秒を切った最初の人物(?)ですが、今は日本の方も10秒切って走れる人が現れて、勿論皆ではありませんが世界中でも沢山いらっしゃいます。

その他の競技でも、何年も破られていない記録というのは確かに存在するかもしれませんが、たいていの競技は少しづつ

「記録が更新されて続けています」

ですから、僕の「43歳でホルンを始めて云々」は「特例」ではなく、これからは、ただの「先例」になり、後に常識の部類になる可能性は十分あります。

ですから、一般的な「常識」だけで自分の可能性を「判断」するのではなく、人間が過去に達成した「特例」を、ただの「先例」と解釈して 自分の「目標達成」の「可能性の後ろ盾」にする事をお勧めいたします。

とはいっても、大きな決断の場合、その「先例の後ろ盾」意外に「何かしらの確信」も必要かもしれません。

僕が「ホルン奏者」を目指した「先例と確信」

僕は、とても臆病で「石橋を渡って歩く人を、遠くから観察する。しかも何人も」くらいのレベルで「慎重かつ臆病」です。

ですから、今回「ホルン奏者」を目指したのも、「先例」+「確信」+「保険」の3つを掛け合わせてからの「決断と行動」になっています。

では、まず「決断」の助けになった「先例」をご紹介いさせて頂きたいと思います。

「情報」と「妄信」の世界を生きてきた

まず自分の中での「先例」に置いた事の「注意点」を書いておきます。

今の世の中は「インターネット」というものがありますが、僕が学生の頃は、僕の生まれ育った四国のような地方都市でのクラシック音楽の情報といえば、専門誌が「人からの又聞き」位しかありませんでした。

特に「人からの又聞き」は、尾ひれが沢山ついてゆき冷静に考えたら「ありえない」ような「伝説」が沢山蔓延していました。

以下の「偉業」はその部類かもしれませんが、

「信じるものは救われる」

ありえない「伝説」も「妄信」して、信じた方が本当の「偉業」にしてしまう事も、時にはあります。

今から書く内容は、自分の「信じて妄信」して進む為のモチベーションに必要な「糧」ですので、「天ぷら」で言う「衣多目、むしろ衣だけの情報」かもしれません、あくまでも「僕がそう信じてきた偉業の伝説」であって、どこまで本当の出来事(伝説)かは未知数で、そして

あえて「本当かどうかの確認」と検証はせず、僕の信じたまま・信じていたままを書きますので、その点を留意して読んでいただければと思います。

1.マリー=ルイーズ・ノイネッカー女史の、僕が信じている「偉業」

ノイネッカー女史は、ドイツの世界屈指のホルン奏者で、現在も世界各国でソリストとして舞台に立ち、ドイツの音楽大学の教授として指導もされていらっしゃいます(ここまでは本当の話です)

「僕が「高校生の頃に又聞いた話」では、女史は、なんと大学に入るまでホルンは吹いておらず、音大の「副科(サブ的な)」でホルンを始めてみたら、なんと1年後にプロオケのホルン奏者になったという偉業「先例」を残されているときき、僕はずっとその話を信じてきています。

この話を信じる事で「ホルンは1年でもプロになれる可能性があるんだ」

という、僕の中での「可能性の先例」ができあがりました。


2.ダヴィッド・ゲリエ氏の偉業

ダヴィッド・ゲリエ氏は、フランス人の世界屈指のトランペット奏者であり、僕は、生演奏はトランペットの方しか聴いた事がありませんが、氏は同時にフランスの名だたるオーケストラの首席ホルン奏者でもあり、更に両方の現役の世界的「ソリスト」でもあります。

※日本のプロオケの方々は、本当にすばらしく何でも出来る「スーパープレーヤー」の方々ばかりですが、世界的には「ソリスト」と「オーケストラ奏者」は、まったく別の業種で、誰もが両方出来る訳ではありません。

ここで、僕の中で氏の偉業から

「人間は、トランペット奏者とホルン奏者を両立できるのだ」

という「先例(僕の中での常識)」が出来ました。


3.レーシングドライバーの井原慶子さんの存在

僕と学年が一緒である井原慶子女史は、ルマン24時間耐久レースに出場されるなど、数多くの輝かしい実績を残されていらっしゃるのですが、その偉業の中でも、僕の「目標達成」の為の「モチベーション」になっているのは、

レースクイーン時代に「カーレーサーになる!!」と決めた女史は、その時まだ「自動車免許すら持っていなかった」ってそこから目標を達成して行った点。

スポンサーに頼らずに自力で貯金してフェラーリを買い最初のレースに挑んだ点。

一旦レーサーになれるも極限のトレーニングや転戦からの激務で一度体調を多きく崩し引退を余儀なくされて、4年かけて健康な体調を取り戻したら、「また走りたい」と決意を決めて、4年のブランクから復活して「ルマン24時間耐久レースの舞台まで返り咲いた」点

などなど他多数です。

すぐ挫けて辞めてしまいたくなる僕は、この↓の TEDx の女史の動画を、今でも、心折れるときなどに何度も何度も繰り返して見て、「やっぱりがんばろう」という気持ちにさせて頂いております。

https://www.youtube.com/watch?v=w50ElZTtzXE

※あと↓植松努さんの動画も「やる気を再燃させる為」に良く見させて頂いています。

https://www.youtube.com/watch?v=gBumdOWWMhY


4.数多く出会った「楽器を始めたのが遅かったプロオーケストラ奏者の方々たち」

バイオリンって、何歳から始めないとプロオケのバイオリニストになれないと思いますか?

僕は正直「何歳から始めないといけないか」は、わかりませんが、その代わりに、僕が直接お会いして一緒にオーケストラで演奏した経験がある方限定でも、

少なくとも○○歳からだったら、先例あるよという意味では、

14歳までサッカー少年で、それまで音楽の経験が未経験だったスペイン人のプロオケのコンサートマスターを知っていますし、

同じく16歳まで、音符すらも読めなかった日本人の方で、若かりしカラヤンが音楽監督を務めていたドイツのウルム歌劇場の2ndバイオリンのコンサートマスターになっておられた方も知っていますし、

同じく16歳からチェロを始めて、22~23歳でヨーロッパのプロオケ奏者になっておられた方も知っていますし(※それまではピアノ専攻)

確か19歳までスポーツジムのインストラクターをやっていたけど、19歳からチェロを始めて、20代でヨーロッパのプロオケ奏者になっておられた方も知っています。(ご両親がプロオケ奏者)

他にも、確か30歳を過ぎてから楽器を始められたプロオーケストラ奏者の方もいらっしゃいました。

のような数々の「先例」の方々から頂いた「妄信」のエネルギーを満タンにした結果

現在、僕が知っている中でプロオーケストラ奏者で、ダントツ遅くの「楽器のスタート者」は

「僕」ですね。


次に

自分が「やれる」と感じた「確信」へ至る「奇跡」

「偉業」は時に「偶然の奇跡」が重なっている事が多いとは思いませんか?

そんな僕の「偉業」の前の「奇跡」について書いておきたいと思います。

1つ目の奇跡:
僕が最初に手に入れたマウスピースが、後に数百種類試してみたけれど結局最高のものだった(高級品という意味ではなく、自分に合っているという意味で)

ちなみに、このマウスピースには刻印などが一つもなく、メーカー不明のマウスピースで、ウィーン交響楽団の首席ホルン奏者のオリベチュカ(愛称)の家に遊びに行った時に「ホルンを始めたいんだけど」と言ったら、「なら、大きくて僕は使わないマッピがあるから1個あげるよ」と、別に選ぶわけでもなく棚に置いてあったマッピの一つをなにげなく只で僕にくれた。その「偶然のマウスピース」が、ぴったり最高だったという奇跡です。

マウスピースは、本当に本当に大切です、時に楽器よりも。

日本は「精神論」が強いので、楽器や部品より「練習」という観念が強い方も多いですが、僕は「どちらも大切」だと思っていて、楽器の上達で練習してもあまり上手にならないと悩んでいる方は「買う買わない・替える替えない」は抜きにして、あらゆる種類のマウスピースを試してみる事をお勧めいたします。一気に演奏面の問題が解決する場合もありますので。

次に、

2つ目の奇跡.
安くて良くない楽器を選ばなくてすんだ

年に一度半日しか開かないという、ヨーロッパで一番でかい楽器屋の「棚卸しセール」的なイベントと合体しているフリーマーケットの場所がたまたま近くてたまたま一緒にいたシュターツカペレドレスデンの首席ホルン奏者のゾルタン・マクサイ氏(愛称ゾリー)と氏の車で一緒に行って、本当は持ち運びが楽なベルカットの楽器が良かったからベルカットの楽器を買おうとしていたら、ゾリー氏が「このベルカットはイマイチだけど、こっちの方はかなり良いよ、うん、悪くない」と楽器を選んでいただいた楽器が、アレキの103と同じ形のコピーモデルで、新品同様の新古品を600ユーロ(日本円で7~8万位?)で購入、楽器を買った初日からモーツアルトのコンチェルトの4番が一番低い「Esの音」以外全部あたってすんなり吹けれたという軌跡が起こりました。

上にも書きましたが、特にマウスピースはかなり重要で、最初にこのマウスピースが手に入れられてなかったら、恐らく「いまいちしっくり吹けない、やっぱりホルンは難しいなぁ」と「ホルン奏者になろう!!」という気すら起きなかったのではないかと思われます。

これは、気のせいではありません、僕は基本的には「なんだかんだいって」と「結果が全て」だと思っているので。様々な検証の「結果ありき」でのお話です。

それくらい「重要」で、それ位「大きな違い」があります。

例えるなら、田舎のおばあちゃん家とかで、借りてはみたものの、大きさも違ったり、なんだか妙に「こぎづらい・乗りづらい「自転車」とかありませんでしたか?合っていないマウスピースや楽器お使い続けているのは、そんな「合わない自転車」で一所懸命長距離走り続けているようなものです。

そして次に、

「技術」と「音楽」は別のものである。

「技術」を意識しなくても、「音楽」を知っていれば、その「音楽」に寄せて演奏を試みて、結果「演奏出来ちゃう」という事もあるんです「イメージ先行」とでも言いましょうか、料理に例えたら「作り方知らないけど、出来上がりの味や見た目を知ってるから、イメージに寄せってたら、なんか似たようなのが出来た」みたいな感じです。

僕は、1997年にドイツのミュンヘンに渡りましたが、その1997~2000年の間に恐らく200回くらいはオーケストラの演奏会に通ったと思いますが、それはそれは幸せな日々でした。

最高の時でした、当時ミュンヘンフィルがレバイン、バイエルン放送響がマゼール、バイエルン歌劇場がメータ、が音楽監督の時代で、「学生券」や「立ち見席」はどれも千円もしないで大抵は手に入りましたし、なんと同じ日にこの3つのオーケストラが。この3人の指揮で演奏会をしているという恐ろしく贅沢な日があったほどな上に、世界各国のオーケストラが名だたる指揮者とソリストを引き連れてミュンヘンにやってきて、いろいろ名だたるオーケストラを聞かせていただきましたが、ミュンヘンの地元のオケが、やっぱり一番好きでしたね。本当に毎日選びたい放題の良質な演奏会三昧の街でした。

そんなオーケストラや指揮者の方々が一流中の一流に接していたなか、その中でも僕を特に魅了したのが、信じられないくらい素晴らし過ぎる「卓越したミュンヘンのホルン奏者」の方々達でした。

この時期に来た客演のオーケストラの数々を聴いても、ミュンヘンのホルン奏者の方々を超えるホルン奏者の演奏には、僕的には出会いませんでした。

まず、

「そこまでホルンで歌いますかぁぁ!!」と「唸らせられてしまう」バイエルン放送響の伝説の歌う首席ホルン奏者、ヨハネス・リツコフスキー氏!!

マゼールの指揮でのブラームスのセレナーデの1番は、冒頭の魅力的過ぎるソロに始まって終止「リツコフスキーの為のコンチェルト」と言わんばかり曲で、その日の演奏が脳裏に焼きついて未だに離れない名演でしたし、オベロンの序曲の美しすぎたあの冒頭のソロも未だにあの素敵なイメージは薄れることはないですね。

そして、

吹き始めた瞬間に会場が「バボ色」に染まっていくミュンヘンフィルの伝説の天才児、ラデク・バボラク氏!!

何度聞いても何度聞いても毎回感動して顔がほくそ笑んでしまうマーラーの9番のフルートと絡むソロ。これホルンコンチェルトですよね?と聴きたくなるような調べの「リムスキーコルサコフのスペイン狂詩曲」や、若杉 弘氏の指揮でブラームスのピアノ協奏曲第2番の演奏会。冒頭のホルンソロに感動しすぎて、どうしてももう一度、どうしてももう一度聞きたく公開ゲネプロと4回の本番すべて聴きに行ってしまった事を思い出します。

同じくミュンヘンフィルの「オーケストラでの輝かしいホルンとはこうあるべきだぞ」の手本のような、エリック・ティルビルガー氏!!

僕の一番の思い出の演奏はオーケストラ全体のフォルテシモをいとも簡単に一人きりで超えてしまった強靭かつ壮大なフォルテからの、その後のありえないほどのピアニシモの美しさがたまらなかったマーラーの5番、そして、ワーグナーの「神々の黄昏」のくそかっこ良過ぎる「ルーフ」、あの「ルーフ」はかっこ良過ぎた・・・・

そして、個人的には「こんな感じの演奏が出来るプレーヤになりたい」と思っている、バイエルン歌劇場の首席ホルン奏者のヨハネス・デングラー氏。

氏は上に書いた3名のように、目立ったり「ぐいぐいオケを音楽を引っ張っていく」という感じは一切なく、寡黙だが良い仕事をし続けている職人さんのような演奏で、僕的には「別枠」の感じのプレーヤーであった

とにかく、演奏中も演奏していない時も、一切の「無駄な動き」や、人間的な感情的な表情を一切見せず、「君は、精巧に作られた「ホルン奏者」というロボットなのではないか?!」と、今でも疑ってやまないほどクールな演奏姿勢から繰り出される精密機械のような精巧さの演奏は

「そうそう、そうあるべきでしょう」という見事なまでのオーケストラのパーツの「お手本中のお手本」のような演奏で、いつも感動・感心させられた

氏がバイエルン放送響にエキストラとしてブルックナーチクルスで吹いていたブルックナーの交響曲1番の演奏は、音楽・オーケストラの中の1部品に徹した渋い演奏が好きなオケ吹きにはたまらない演奏で冒頭にあるシンプルな「ぱぱん、ぱぱん」と只のシグナルの密度の高い音の質・精巧さと美しさの感動は、未だに脳裏に焼きついていて、僕の理想音と演奏だ。

更に特筆すべき氏の思い出の演奏は、同じくバイエルン放送響にブルックナーの7番でワーグナーチューバで演奏されていた時のワーグナーチューバの精密さとバランスの最高さはたまらないし、例のごとく出番まで一切表情一つ動かさない変えない、体は勿論動「ん?マネキン?置いた?」と勘違いしてしまうほど動かない。確か、上に書いたブルックナーの1番の演奏会の後に指揮者に立たされた時も、演奏中と同じく表情一つ変えず「すっ」と立って「さっ」とお辞儀して、無駄なく「さっ」と燕尾服の燕尾を払って「すっ」座った様が、あまりにも無駄のない動きで人形やロボットみたいに皆さん見えたのだろう、ちょっと「おおっ」と会場がどよめいた事を思い出す。

自分も事あるごとに、うまく演奏したときとかにデングラー氏の動きを真似てみたりしたものです。笑

などなど、この時期からトランペットを吹いてはいたけれど、ずっとホルンに憧れていて、そんな演奏会三昧の日々で、僕の中での「好きなホルンの音」「好きなホルンの演奏」の明確なイメージが、このミュンヘン時代に構築されていって、僕は誰に習うこともなく、ただひたすらに

僕の中での「好きなホルンの音」「好きなホルンの演奏」の明確なイメージに寄せて吹いて短期間で上手くなって行ったのです。

フリーマーケットで楽器を手に入れた夜、当時オーケストラの合宿中だったのだけれど、参加していたホルン奏者が全員で「誰が吹いているんだ?」と僕が練習していたリハーサル室に覗きに来て、「えっ?今日買ったばかりなのに?もうそんなに吹けんの?!」とびびっていました。

これが「奇跡のマッピ」+「奇跡の楽器」+「最高のイメージ」がそろった賜物です。どれかひとつでも欠けていたら成り立たなかったでしょう。

なぜ?20年も経って始めたか?

ここでやっと出てくるのが、僕のとても臆病で「石橋を渡って歩く人を、遠くから観察する」くらいの「慎重かつ臆病」の部分に大切な「保険・確約」みたいな所が影響しています

正しく言うなら「ホルンを始めた」のではなく、僕的には「ホルンを始めれた」というのがぴったりくる感じです。

プロオーケストラ奏者のポジションが得られるまでは、ホルンを始めてしまうと「どっちつかず」になってしまうのではないか?という恐れがありましたし、その不安をかき消してくる一旦プロオーケストラの職を得てからは、ホルンをずっと始めたかったのですが、次に問題だったのは

ホルンは「楽器が高かった」んです。

安月給のオケマンの僕にとっては、ちょっと試しにやってみたいでおいそれと簡単に手が出せる金額(30万円位からかなぁ)ではなかったのです。

それが、先ほど書いたように7~8万円で手に入れられた!!

そして、ダヴィッド・ゲリエ氏の偉業という「先例」を信じてトランペット奏者としての職を維持しながら、その職をきちんと全うしながら時間を作ってホルンの練習に当てて、いつでもどっちにでも行けるようにバランスをとりながら練習を重ねていきました。

この先にオーケストラ奏者になるまでは、既に記事にしてありますので、もし興味がありましたらこちらを読んでみて下さいませ。


最後に、

ちょっと昔を思い出して音楽の話が強くなりましたが、最初に書いたとおり僕の場合は、

「一般的な常識」よりも「先例の特例」を「可能性の上限」と位置づけて

+「確信」+「保険」の3つを掛け合わせてからの「決断と行動」をしたということです。

ということで、今回はとりあえず以上です。

では、

「千里の道も一歩から」小さな一歩が、結局確かな一歩!!

ということで、最後まで読んでいただいて、ありがとうございました!!

皆さんの「夢や目標」がリアルに叶いますように!!

堀江努

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?