「区⾧選、区議選について、区独自で、候補者の公開討論会を開催します」
岸本聡子杉並区長が当選前に示していた公約<さとこビジョン>対話から始まる みんなの杉並構想には、このように記載されていました(未実施)。
後にメディアでも話題となり、最終的には頓挫する「投票マッチング(ボートマッチ)事業」が考案された発端は、ここから始まっています。
「投票マッチング(ボートマッチ)事業」について、すでに業務委託契約を締結し公金を支出していながら実施を断念したのは、昨年2月でした。
その後、決算も終え、12月には選挙管理委員会も改選となりました(4人のうち3人が交代)ので、ここで経緯を振り返っておきましょう。
公開討論会実施の代替として考案された「投票マッチング(ボートマッチ)事業」
令和4年/2022年7月11日の区長就任後、公開討論会の検討は、選挙管理委員会で進められていました。
実施に向けて具体的に区長サイドで検討を行ったとする状況を確認することはできませんでした。区長が自ら開催を検討したのでは中立性を欠く可能性が高いため、これは妥当な判断であったというべきでしょう。
そこで、選挙管理委員会での検討経過を確認してみます。
以下、その記録から順に抜粋します(少し長くなりますので、お時間のない方は、次に出てくるアケボノスギの写真まで読み飛ばしてください)
❶令和4年7月27日選挙管理委員会
公開討論会については、区長就任直後、その公約を踏まえて「検討課題」と位置づけている事実を確認することができます。
しかし、その後、調査を踏まえた議論においては、行政機関(選挙管理委員会)主催での開催に慎重な意見が相次ぐことになります。
❷令和4年8月24日選挙管理委員会
公開討論会について、公職選挙法に抵触しない方法をみつける必要があること、さらには準備期間が短いことなどが指摘されています。
仮に公開討論会を実施するとしても、選挙管理委員会が主催となるのではなく、民間ベースで立ち上がる実行委員会が主催者となり、これを支援する方向性に転じている状況が読み取れます。
❸令和4年9月1日選挙管理委員会
❹令和4年9月14日選挙管理委員会
公開討論会については、執行機関(行政機関)相互の総合調整権・予算編成権を持つ区長の意見を受け、選挙管理委員の間でも民間での実施を支援していくイメージが改めて再確認されています。
また、選挙管理委員会としては、従来の取組に加えてネットを活用した新たな試みを模索する方向に検討の主眼が移っていることもわかります。
ここで考え出されたのが、投票マッチング(ボートマッチ)事業でした。
❺令和4年11月16日選挙管理委員会
投票マッチング(ボートマッチ)事業については、選挙管理委員の受け止めに個人差があるようにも感じられますが、最終的には「啓発事業」の一環として実施することが決定されています。
❻令和4年12月1日選挙管理委員会
このように、杉並区議選における公開討論会の実施は、当選前の<さとこビジョン>に掲げられていた公約の一つではありましたが、早々に断念されていたことがわかります。
毎回70人前後もの候補者が登場する杉並区議選の執行において、選挙管理委員会(行政機関)が主催する形で公開討論会を実施するとなると、中立性・公平性・公正性を確保する観点から課題が多く、その実現が困難であることが理由でした。
一方で、区長が選挙前に示していた<さとこビジョン>の存在などを考えると、選挙管理委員会として新たな取組を進める必要性があることについては強く意識されており、それが投票マッチング(ボートマッチ)事業の実施決定に結び付いていったこともわかります。
公開討論会の実施を断念したまま放置するのではなく、積極的に代替措置を講じるところまでは決して悪くなかったと思います。問題は、この後でした。
ボートマッチの実施にあたり、なぜかプロポーザル選考なく特定業者と特命随意契約を締結していた杉並区
以上のような経緯から、選挙管理委員会は、特に若年層への啓発事業として「投票マッチング(ボートマッチ)事業」を企画することになりました。
その内容も画期的であったことから報道され、耳目を集めることになったわけですが、問題は委託業者の選定でした。
事業の実施にあたって、なぜか特定業者と不自然な形で随意契約を締結し、取組を進めていたのです。
自治体として実施した前例のない初の取組であることを踏まえると、プロポーザル方式による選考を実施するなど公正で透明性の高い選考手続を通じて適切な委託先・適切な実施方法を模索していくべき必要があったにもかかわらず、なぜかよくわからない経緯で選ばれた特定業者が最初からリードする形で事業が進められていたのです。
自治体には「投票マッチング(ボートマッチ)事業」を実施した経験がなく、そのノウハウも持ち合わせていません。
システム構築からWebサイトの運営まで民間の力を借りる必要がありますが、ここで公正かつ透明性の高い選考が全く行われていなかったのです。
安易に「口利き」で委託業者を決めるなかれ
この点については、JC(東京青年会議所)関係者と意見交換を行った際に、業者の紹介を受けた事実がわかっています。
この事業者は、政治家などへのアプローチも激しく盛んに営業活動を行っていることで有名で、関係者の間ではよく話題になる業者でした。確かにボートマッチに取り組んだ経験もあります。
しかし、ボートマッチは、この業者が先駆者だったわけでも長年の実績があったわけでもありません。
もともとは報道機関や学術機関において研究や取組が積み重ねられ、ノウハウが蓄積されてきたものなのです。
日本では、佐藤哲也氏(当時東工大助手/静岡大学元准教授)が2001年の参院選を通じた取組がその先駆けと言われ、その後、インターネットを通して日本版ボートマッチの取組が進むようになっていきました。
選挙に関心の強い方であれば、過去に読売新聞、朝日新聞、毎日新聞などが学術機関と協働するなどしてインターネット上で実施していたボートマッチを一度は目にしたことがあることでしょう。
日本版ボートマッチは、これらが草分けとなって実績を積み重ねられてきたものです。
ところが、このように長く実績を積み重ねてきたところが選考対象や検討対象に含まれることは一切なく、なぜか紹介を受けた特定業者のみと交渉し、委託契約が締結されていたのです。
その後、この業者に所属する者がボートマッチの設計における中立性には限界がある旨公言していた事実が明らかとなったほか、事後検証が必ずしも容易とは言えないアルゴリズムをマッチング率の算出にあたって用いる検討が行われていたことなども明らかになりました。
語るに落ちるとはこのことで、これらが大きな混乱を招く原因となっていきました。
総務省が通知を発出して技術的助言を行ってきたのも「むべなるかな」という状況に陥ってしまったのです(もっとも、技術的助言に法的拘束力はありません)。
安易に「口利き」を端緒に話を進めず、公募型プロポーザル方式による公正な選考を通して慎重に実施主体や実施方法を煮詰めていれば、また異なる結果になっていたのではないか、そう思わずにはいられない展開でした。
契約を締結し公金を支出しながら、あまりにも脇の甘い形で取組を進めてしまったために、最終的に実施に至らない不幸な結果を生んでしまいました。
新区政でも「不可解な業者指定」が続いている
この業者がなぜ選ばれたのか、長い実績のある報道機関や学術機関などが選考対象にさえ入っていなったことを考えると、JC(青年会議所)から紹介を受けたこと以外に決定打があったとは思えないところです。
(1)過去に自治体において全く実施した前例のない事業であるだけでなく、(2)民間で過去に実施した実績のある事業者が複数存在し、(3)しかも実施にあたって安易に随意契約とすることのできない価格水準の契約が必要であったことを考えれば(契約事務規則)、公募型プロポーザルなどを通して公正かつ透明性の高い選考を進めていくことが不可欠でした。
実施手法や実施主体さえ間違えなければ、ボートマッチは決して違法ではないと考えられるところ、安易な取り組み方をしてしまった結果、画期的な取組はすっかり台無しとなってしまったのです。
なお、中止を決定した令和5年2月15日時点で委員長職にあった與川委員(令和4年12月21日委員長就任)は、責任を取る形で、同年3月1日に選挙管理委員を辞職されています。
與川氏は元区職員。若くして管理職となり、山田宏区長時代の4年間に教育長を務めていた方でした(その退職から12年後、再び公職に復帰され、選挙管理委員に就任されていました)。長い間お疲れ様でした。
ところで、岸本聡子区長は、区長当選の直前2か月前まで外国在住であり(約20年間)、それ以前も杉並区民であったことが一度もありません。
このため、当時の選挙管理委員会においても現区長と関係の深い選挙管理委員はおらず、その中立性は従来に比べても高い状態にありました。
当時の選挙管理委員4人のうち議員出身も1名のみで、それも自民党の元区議(岸本区長と対立感が目立つ党派)です。区長のシンパに有利になるようにボートマッチを導入するというような不純な動機が選挙管理委員会にあったとは考えにくいところです。
しかしながら、今回の失敗は、今後に極めて大きな影響を与えるはずです。
法定の選挙管理委員会と異なり、実施内容や実施者について必ずしも透明性が高いとは言えない民間主催のボートマッチへの参加率は今回低迷し、ここにも大きな課題が残りました。
欧州の民主主義先進国でボートマッチを取り入れた取組は少なくないと聞いていますが、今回の顛末によって、日本での実施は従来よりさらに厳格さ(公正性・透明性・中立性・公平性・平等性)が求められるようになったと考えられ、実施のハードルが上がったといえるかもしれません。
委員4人のうち3人が交代 新たな選挙管理委員会
一方で、区長選であれば、候補者70人にも及ぶ区議選とは異なり立候補者数が少ないため(概ね3~5人程度)、充実した公開討論会の開催その他新たな取組が成立する可能性があるといえます。
次の区長選挙は、令和8年(2026年)夏。2年半の準備検討期間もあります。
もちろん、それも今回関係者の「口利き」によって安易に特命随意契約を締結した反省を踏まえたうえで慎重に対応していくことが不可欠です。
今後は、区長部局のみならず、選挙管理委員会をはじめとする独立行政委員会においても、健全な内部統制を機能させていかなければなりません。
杉並区選挙管理委員会は、ちょうど昨年12月27日、委員4人のうち3人が入れ替わる新体制となりました(区長に人事権はなく議会の選挙で選出)。
人事が刷新されたところで、課題解決に向け検討が加速することを期待しています。
今回も最後までお読みくださりありがとうございました。
震災を受けて元旦から慌ただしい日々となりましたが、無事に2月を迎えられそうです。2024年もよろしくお願いいたします。