森保ジャパンについての連想

サッカーのワールドカップ、今回もとても楽しませていただきました。日本チームもドイツ・スペインを破っての決勝トーナメント進出、さらに強豪クロアチアとPK戦にまで至っての惜敗と、素晴らしい活躍で私たちを勇気づけてくれました。

これだけの実績を残した森保監督の貢献の大きさは、称えられるべきでしょう。私も感謝の思いでいっぱいです。
一方で、自分なりの視点から、森保ジャパンにおける選手のマネージメントがどんなものだったのかについて分析し、その記録を残しておきたいと思いました。

結論から言うと、中根千絵が『タテ社会の人間関係』で記した集団運営の方法を、現代的に修正して徹底して実践し、それが成功したのが森保ジャパンだったと言えます。
その特徴を、次の3点にまとめます。
①「チームの情緒的な中心」からの近さ/遠さが、そのメンバーの序列のあり方に非常に大きな影響を与えます。
②「タテ社会」的な序列が非常に重視されます。メンバー間に競争や葛藤が発生した場合には、基本的に対等な状況、あるいは多少不利な状況でも、序列が上の人が優先されます。
③上記の①・②の外部の、サッカーの実績や実力も考慮されますが、それが①・②の影響を上回らないような調整がなされます。

どんなに優れた戦術や戦略があったとしても、それが選手たちに受け入れられ、実行されなければ効果を上げることはできません。ここまでサッカー日本代表になった外国人監督などで、選手の自由さや自発性を強調した人々が、あまり実績を挙げられなかったことを思い出します。それと比べて、上の①~③にまとめた森保ジャパンにおける選手の統制方法は、日本人には直観的に理解しやすく、馴染みやすいもので、そのために非常に有効でした。(しかし、「タテ社会の序列」で評価されにくい実力や実績・プライドを持つ人は、このシステムに適応しにくいという欠点もあります。)

準備された場への情緒的な一体感を重視するのが、「タテ社会」のマネジメントの肝です。森保監督が選手を抱きかかえている写真を報道されているのを見る機会は、何回もありました。死力を尽くした戦いを通じて、苦楽を共にした戦友たちとの熱い心の交流を感じることができる瞬間は、人が生きていく中で感じることができる最も幸福な時間の一つかもしれません。この歓びを与えられた時に、選手たちはそれに応えるために、死力を尽くして戦うようになります。

そのような熱い情緒的なつながりを有する集団に所属している時に、厳しいペナルティーとして感じられるのが、無視されること、そこまでいかなくとも軽視されることです。代表チームであれば、そもそも招集されないというのが、監督から選手に行使される最大の「力」となります。その手前に、招集したけれど試合に出さない、試合に出して活躍しても交代させる、という手段があります。私の印象では、森保監督は実に巧みにこのような「力」を利用して、選手の統制を行っていました。プライドや実績のある選手たちが集まって、それぞれが勝手な言動を示し始めれば、チームは瓦解します。外の実績よりも、内側の序列・一体感が重要なのだということをくり返し浸透させ、プライドの高いだろう選手たちを、見事にまとめあげることに成功しました。

現代的だな、と感じたのは、森保監督が選手を直接叱責することをあまりしなかったこと、逆に、そうした場合でも選手があまり影響されなかったことです。予選リーグのコスタリカ戦のハーフタイムで、前半の戦いを見た森保監督が激怒していたというニュースも目にしました。しかし、そのことは後半の選手の奮起にはつながらなかったようです。「お父さんのカミナリ」は、戦前の日本人が最も恐れたものの一つですが、現代ではその威光は徹底的に失われているのだな、と実感した次第です。しかし森保監督は無力ではなく「いざという場合には、お前がいくら活躍しても無視する」という懐に潜ませた刃は、十分に選手たちを恐怖させていたことでしょう。

「序列を重視する」というのは、自分たちだけではなく、敵に対峙した時の意識にも大きく影響しているようでした。格上であるドイツ・スペインと大した時の必死さ・真剣さと比べて、コスタリカ戦はどこかで「格下」だと思ってるのではないか、と疑わせる面がありました。クロアチア戦に油断があったとは思いませんが、その後にクロアチアがブラジルが勝った時に、日本の格まで上がったような嬉しさや誇らしさの感情が生じた、ということもありました。

素晴らしい実績を残してくれたのですが、課題を書き記すとなると、次の二点になると思います。
①実績や実力があっても、序列に入れない選手たちの力が生かされにくくなってしまう。
②短期に力を集中して出し切るシステムであるために、長期的な成長の方向性が見出しにくくなる。

くり返しになりますが、私は森保監督が今回示した手腕、達成した業績は素晴らしいと思っています。また「タテ社会」的なマネジメントについても、「それの限界や問題点は理解できるが、それ以外に日本人をまとめて実績を作れる具体的な方法は、まだ見出されていないのではないか」という理由で、評価しています。
それでしかまとまって力を発揮することができないのならば、そこからはじめて、そこに個性の強い選手で巻き込んでいくこと、長期的なビジョンを掲げて実現することを、付け加えていくことを目指すのが正しいと考えています。

ここで少し、日本以外のワールドカップの風景も見ておきたいと思います。日本もそうですが、クロアチアやモロッコのようなチームが、旧来のサッカーの強豪国間の序列を脅かしたことは、特徴の一つでした。
そもそも、カタールでワールドカップが開催されたこと自体が、イレギュラーな印象を与えます。また、ワールドカップを開催するために、移民労働者たちが過酷な労働を強いられて、多くの被害が生じたという報道もなされました。ドイツチームが、日本戦の前にそれに抗議するパフォーマンスを行ったことも話題となりました。このことについてドイツチームを揶揄する声も聴かれましたが、基本的人権のような近代的な理念は、このような流動的な時代にこそ、その価値をしっかりと認識される必要があると考えます。

サッカーのことを離れても、いろいろな場面で、西欧を中心とした枠組みが少しずつ崩れ、世界が多様化していることを感じます。そのような中で、日本人の意識が旧来の序列に縛られ続け、「格下」と根拠なくみなした相手に質の低いパフォーマンスを発揮するようなことをくり返したら、危うい事態が生じるのではないかという不安も、やんわりと感じました。

最後になりますが、世界が不安定で、さまざまな不安を感じざるを得ない日本に、勇気と自信を与えてくれた、サッカー日本代表の選手たちと森保監督をはじめとした関係者の皆様に、心からの賞賛と感謝の思いを伝えたいと思います。

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