日記 2/24〜2/28

2月24日(木)

日記を再開しようと思う。
つい先日「シラノ・ド・ベルジュラック」が終わった。しかも唐突に。東京の千秋楽を無事に迎え、この後は大阪だという時にコロナの感染により公演中止、なんだか宙ぶらりんで投げ出されてしまったような気持ちだった。と同時に、正直東京公演を完走出来ただけでも相当運の良いことだったのでは、なんてことも考えてしまう。キャスト・スタッフ合わせて40人近いカンパニーだったもの。それだけ感染のリスクは高くなる(単純計算的に)。このことに関しては踏み込んでカンパニー内部のことは書けないし、そもそも「シラノ」に関しては書けないことが多くてだから中途半端な形になるならとこの日記もストップしていた。その分、次の僕の舞台、「ゴドーは待たれながら」に関しては開けっ広げで行こうと思う。
それにしても演劇が生き延びていくには、一歩進んで僕みたいな俳優が生き延びていくには、と考えた時、その一つのモデルケースに「偶然と想像」はなるんじゃないか、なんてことをここ数日考えている。「偶然と想像」は映画だけど。でも少人数のキャストとスタッフ、低予算、そんなプロダクションでも、スリリングで魅力的な会話があれば、それだけがあればヒットするということ。もちろん濱口監督の知名度や海外での評価や受賞があってこそだし、配給会社の方は必死で宣伝の手を考えたのだろうからそれ抜きに「偶然と想像」のヒットのことを考えることは出来ないのだけど、それでも何となく希望が持てる。同じくらい面白い会話を演劇でやったとしたら、それを3000円で観られたとしたら。そしてそれこそ3000円のチケットで関係者に十分ペイ出来るくらいに少人数でその作品を創作出来たら。そんなことをここ数日、ことあるごとに考えていた。
というこの文章を僕は今「ドライブ・マイ・カー」のサウンドトラックを聞きながら書いている。普段映画のサントラを聞くことはほとんどないのだけど、「ドライブ・マイ・カー」に関しては石橋英子のその音楽が僕はとても好きだし(バンドメンバーにはジム・オルークもいる!)、それに「ドライブ・マイ・カー」が演劇に関しての映画というのも大きくて、端的に言えば気合が入る。今日から「ゴドーは待たれながら」のセリフを入れ始めたのだけど、この分量のセリフを覚えるというのはなかなか大変な作業だから気合を入れないと気持ちが折れそうになってしまう。僕はセリフ覚えは頭脳労働じゃなくて肉体労働だと考えるように最近していて、とにかくセリフは頭じゃなくて身体に入れるという意識でやるようにしている。結局頭で考えないと出てこないセリフになんて何の価値もないわけだし、最終的に身体に落とし込むことが必要なんだったら、最初から”身体に刻む”って思ってセリフを入れていった方が気が楽だ。「何で次のセリフが出てこないんだ、いつになったら覚えられるんだ……!」なんて考えずひたすら反復して読んで、口に出す。そこには感情も思考もいらなくて、ある程度のイメージを置いていく必要はあるけど、理想を言えばそれすらなくしてただ口が、喉が、身体が覚えるまで繰り返す。このやり方を僕は西村壮悟さんのマイズナーWSを受けてから徐々に始めて、ここ最近は完全にこのやり方に移行したんだけど、それは「ドライブ・マイ・カー」の劇中で行われる(そして濱口組の現場でも採用されていることが知られている)”本読み”という行為にも似ている。だからこそ「ドライブ・マイ・カー」のサウンドトラックを流すことは僕のセリフ覚えに対するモチベーションを上げるのに繋がっている。もちろん大前提として僕があの映画のことをめちゃくちゃ好きだというのがあるのだけど。
何日か前に「ゴドーは待たれながら」第一幕をいくつかのブロックに分けて、セリフ覚えの目処を立てていた。それに従って今日は最初の10ページをひたすら素読み。途中集中が切れたりもしたし、思った以上にセリフが入ってくるのに時間がかかった。寝て起きたら、少しは身体に刻まれていることを期待しよう。読みを繰り返す中で、いくつかこれはこういうことなんじゃないか、ここはこんな風に演じたら面白いんじゃないかなんてことをふわふわ思いつくも、今は全てペンディング。セリフを入れ終わる予定の3月中旬までは極力何も決めきらないでいきたい。
今日はフライング・ロータスの「Flamagra」を聴いた。


2月25日(金)

今日はお昼過ぎからいくつかの事務連絡と作業をした後で、セリフの”読み”を始めた。まずは昨日の分の復習から始めて、そして今日のセクションへと移っていく。まだまだ集中しきることが難しくて、一度読んでは携帯を少しいじり、もう一度読んでは寝転がり……なんていう風に進めていたから時間がかかってしまった。そうでなくても、そこそこの時間はかかるというのに。
そんなわけで今日はセリフを読んでいたら一日終わったという感じだった。本当にこの「ゴドーは待たれながら」という戯曲に僕の2ヶ月を捧げる覚悟が必要だ、と改めて思った日でもあった。
ロシアによるウクライナ侵攻のことも気になってしまう。
セリフの読みの合間に、セロニアス・モンクの「Genius of Modern Music Vol.1」を聴いた。


2月26日(土)

今日もひたすらセリフの”読み”。今日読んだ箇所がどうにも頭に入りづらく、うんうん唸るも途中から諦めて入らないなら入らないで仕方がないと思うようになる。これが本番までそんなに時間がないだとかそういう状況ならそんな悠長なこと言ってられないのだろうけど、幸いそんなこともないから、頑張るだけ頑張ってそれでも出来なかったらそれは諦める、セリフ覚えのリミットは3月20日ということに設定しているから、そこまでには入れていく、という風に考えることにする。
読みの合間の息抜きとして、南博さんの「白鍵と黒鍵の間に」を再読し始める。これは鳥取の面白い本屋・汽水空港で買ったもので去年の9月に読んでいた。本棚にあるのがふと目について、今読むのにちょうど良いんじゃないかなんてページを開いたら、やっぱりぴったりで、どんどん読んでしまうことになった。油断するとセリフそっちのけで読んでしまうから注意しないと。南博さんというのはジャズピアニストで、その方が銀座(など)のお店のピアノ弾きとして過ごしていた、まだジャズピアニストとして世に出る前の生活を綴ったのがこの本。帯にはかの菊地成孔がコメントを寄せている。「この本は、僕のどの本より面白いです」。南さんは菊地成孔のバンドでもピアノを弾いていた。
今日は昨日からの流れで順当にセロニアス・モンク「Genius of Modern Music Vol.2」を聴いた。
それから10日ぶりぐらいにビールを飲んだ。と言っても発泡酒だけど。


2月27日(日)

今日も相変わらず「ゴドーは待たれながら」を読む。そしたらふと不安な気持ちに襲われ、本当にこれは面白くなるだろうか、僕なんかが演じて大丈夫だろうか、僕の一人芝居をお客さんはじっと見てくれるだろうかと、そんな考えがどんどん出てくる。とりあえず一幕をほぼ本域で読んで、それの時間をはかる。42分。42分間、僕は観ている人の気持ちを引き付けられるだろうか。本当に俳優だけを見る、俳優しか見るところがない、そういう上演にするつもりだった。42分間。
強烈なもの、それは不安なのかもしれないし怒りなのかもしれないし喜びなのかもしれない、それは分からないし変化し続けるんだろうけど、そういうものが身体の中で常に回り続けているような、そんな風に「ゴドーは待たれながら」という作品を演じてみるのはどうだろうか。ともすれば飄々としたものを演じたくなってしまう演目ではあるけれど、今の僕がこの作品に立ち向かうためにはそういうやり方がいいんじゃないかと、突然湧いてきた焦燥の中で思った。
つい1週間ほど前まで山崎努の「俳優のノート」を再読していて、これはもう舞台俳優は全員バイブルとすべき本なんじゃないかと僕は思っているんだけど(解説で香川照之も似たようなことを言っている)、そこで山崎努が繰り返し「感情のアクロバットを見せる」ということを言っている。面白いというのはそういうことじゃないか? 強烈なものに押しつぶされそうになりながら、引き裂かれそうになりながら、それでも何とか運転をして、あるところでポーンと別の地点に飛ぶ。そんなことを繰り返す中で、物語がいつの間にか高まっていく。そんな風にこの芝居をデザインすることが出来たら、と考えている。
今日はバド・パウエルの「The Amazing Bud Powell Vol.1」を聴いた。


2月28日(月)

今日はまずArts for the Future!2(通称:AFF2)の説明会に参加。去年大変お世話になった文化庁の補助金制度で、僕が去年コロナ禍にも関わらず7本もの舞台作品に出演出来た1/3は、このAFFのおかげだと思っている(残りの1/3は鳥取のおかげで、最後の1/3は周りの人のおかげ)。というわけでオンライン説明会はなかなかに集中することが難しく、そもそもこういう話が僕はとても苦手なんだけど、でも去年はかなり人任せにしてしまったということもあり、今年はもうちょっと理解するよう頑張ろう、そしてこういう制度に関しても主体的になろうと思った。そういえば確定申告にだってまだ手を付けていない。そういうところだよ……。
「ゴドーは待たれながら」は一幕前半のまとめ。戯曲を見なくても9割方セリフは出てくる。思ったより定着していて一安心だけど、これがこの先抜け落ちないようにしなきゃいけないし、出てくるスピードがまだまだ遅い。本番でセリフを言うスピードと同じ速さで出て来ているんじゃ遅い。その1.5倍、あるいは2倍で、何も考えずともセリフが口から出てこないと覚えたとは言えない。来週に入ったらセリフを録音して、それを移動中に聞こうと思っている。2週間続ければ、かなりガチガチにセリフが身体に入るんじゃないかと思っているけど、どうだろうか。というか入ってもらわなければ困る。
その後は自分用、あるいは関わってくれる方のための上演台本の作成。同じく一幕半分まで。カット箇所もあるし、「ゴドーは待たれながら」の書籍はかなり”読み物”ということが意識されたト書き、段組になっているため、それを上演の際に必要なものだけに削ぎ落とし、余計な情報は入れないようにする。例えば、

行こう。
だが、どこにだ?

と書かれているのと、

行こう。だが、どこにだ?

と書かれているのでは、内容は同じでも印象が違う。読み物としては上の方が色々伝わるものもあるし、それにそもそも見やすいのだけど、演じる時は下の書き方でいい。演技の上でこの二つの文章の間で、”改行”するかどうかはやっていく中で決めればいいから、文字の上ではそこに対する情報がない方がいい。……なんて考えて、この考え方は何ていうか"俳優中心"のそれなんだろうなぁと思う。いや、でも俳優中心でいい。少なくともこの「ゴドーは待たれながら」に関しては。そして僕はいつの間にか、自然と"俳優"の側に立つ人間になったんだなぁとも思う。大学進学とともに上京した頃は、物書きになりたいと思っていたのに。
今日はバド・パウエル「The Amazing Bud Powell vol.2」。モンクよりバド・パウエルのピアノの方が好きかもしれない。ピアノを弾きながらわーわー唸るのもまた良い。

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