日記 12/27〜12/31

12月27日(火)

昨日は久々にワインを飲んだらたったの一杯だけだったのに結構酔っ払ってしまい、深夜1時を過ぎた頃からは頭が痛くなり始めたため、ベッドに倒れ込んでそのまま寝てしまった。だから日記は書けなかった。仕方ない。
日中にカーヴァーの「大聖堂」を読み切ったのだけど、その短編集の最後に登場する表題作がとてもとても良くて、いや良いことは今回初めて読むわけじゃないから知っていたんだけど、ただ理性や感情による共感ではとうてい辿り着けない繋がりを生み出す身体的共感を描いたとも言えるこの作品は、自分は俳優なのだという自覚を持ち始めた(前にこの作品を読んだ4年前はその感覚をそんなに強く持っていなかった)、というかその自覚を持たなければいけないと考えている今の僕にとって、とても刺さるものであった。結局は身体なんだよなぁ、身体で向き合うことが大切なんだよなぁと思わされた。
今日は来年2月に出演する「シラノ・ド・ベルジュラック」の脚本を読んで、そしたら何だか年末年始にヘミングウェイを読みたい!という気持ちが湧いてきたので、川口図書館に行って「移動祝祭日」を借りてきた。これはヘミングウェイがパリで過ごした青春時代(と言っていいだろう)を回想して書いたエッセイで、「読書の日記」の中で阿久津さんがとても楽しそうに読んでいたので僕も読みたいと何ヶ月か前から思っていた一冊。本当は「武器よさらば」も借りたかったのだけど、貸出中で借りられず。年末年始で皆まとめ借りみたいなものをしているのか。
そういえば今朝6時半ごろに一度目が覚めてしまった時、カーテンを閉め切った薄暗い部屋の中で、それでも入り込んでくる朝の空気を感じながら読んだ「富士日記」は最高に心地よかった。「富士日記」はとにかく読んでいて気持ちの良い本だ。
昨日はエマ・ジーン・サックレイーの「Yellow」、今日はシオ・クローカーの「BLK2LIFE||A FUTURE PAST」を聴いた。たまたまなんだけど、ダンスミュージックにも繋がるような音楽性を持った現代ジャズトランペッターの作品を2日続けて聴いたってことだった。ここ何日間か最近のジャズミュージシャンの作品ばかり聴いているから、そろそろモダンジャズのアルバムも聴こうかな。


12月28日(水)

10時に起きて、渋谷のイメージフォーラムに12時10分からの「裁かるゝジャンヌ」を観に行った。サイレント映画の傑作と言われるこの作品を僕は中学三年生か高校一年生の時に名古屋のめちゃくちゃ小さい、20席とかそれぐらいのスクリーンが一つあるだけのミニシアターで観たんだけど、ジャンヌの強烈なアップのショット以外はほとんど記憶になくて、そんなわけだから楽しめるかどうかという不安もあったんだけど、それは全くの杞憂、はちゃめちゃに面白かった。”動く宗教画”というレベルで強烈な絵が続くんだけど、俳優の身体がそれに負けていないから全く飽きることがないし、法廷劇としても面白い(この作品はジャンヌ・ダルクの異端審問裁判を描いたものだ)。俳優の身体が波打ってるからサイレント映画のはずなのに会話劇を観るような面白さすらあるんじゃないかと思ったりもした。そしてドライヤーの演出のキレの凄まじさ。あぁ、こりゃ確かに映画史に残る傑作だ。イメージフォーラムでは1月の下旬までドライヤー特集がやっているんだけど、時間さえ合えば他のやつもぜひぜひ観に行きたい。面白かったなぁ。
その後は表参道まで歩いて、月光茶房で台本を読んだり、「移動祝祭日」を読んだりした。今日はボビー・ハッチャーソンやジャッキー・マクリーンなんて「あ、僕でも知ってる!」なんてジャズが流れたりして、それはそれで楽しかった。僕がお店を出る直前に流れていたミュージック・コンクレートめいた、でも多分ジャズなんであろう音楽が結構面白くて、なんてミュージシャンなのかレコードジャケットの文字を目をこらして読もうとしたけど、いかんせん距離が遠くて読めなかった。店主さんに聞けば良いんだろうけど、なんだかそれは恥ずかしかった。
夜は黒田卓也率いるアフロビートバンド・aTakのライブ。久々に行ったwww。最高に気持ち良かった。aTakのライブにはここ2年ぐらいずっと行きたいなと思っていたんだけど、一向に予定が合わなくて、今日が念願のライブ初体験だった。これからも予定が合う時はぜひ行きたい。しかしライブハウスに行くこと自体久しぶりだったんだけど、ブラックミュージックをベースにしているバンドのライブってこともあってか、空間がなんだかセクシーだったなと思った。演劇ではなかなか作ることのできない空間だよな、なんて思ったりもした。
歩いている時はキャノンボール・アダレイの「Somethin’ Else」と黒田卓也の「Fly Moon Die Soon 」を聴いていた。


12月29日(木)

今日は2月に出演する「シラノ・ド・ベルジュラック」のプレ稽古、というかWSだった。今回やるのは一昨年にイギリスで翻案された「シラノ」であって、それはラップが要素として強く入ってくるものだったから、ラップやリズムに関するWSをラップ監修の益田トッシュさんのもと3時間ほど行った。なんていうか純粋に楽しかった。稽古場では久々の再会がいくつかあったりして、演劇続けているとこういうことあるんだなぁってのは月並みな思いだけど、実際そんな言葉が頭に浮かんだ。
WSが予定より早く終わったから、いったん帰って昼寝してから、早稲田松竹で「アメリカン・ユートピア」を観た。最高。僕はそもそもトーキング・ヘッズが好きだから、「This Must Be The Place」のイントロが流れただけでもう涙ぐんでしまう。でもやっぱりこの映画を特別なものにしている曲は、トーキング・ヘッズの曲でもデヴィッド・バーンのソロ曲でもなく(もちろんそれらは最高なのだけど)、ジャネール・モネイ「Hell You Talmbout」のカヴァーだった。この曲ではバンドメンバー全員がパーカッションを打ち鳴らしながら、警察官の暴行によって命を落としてしまった黒人たちの名前を叫んでいく。バンドメンバーは年齢も人種も性別も入り乱れているとはいえ、デヴィッド・バーン自身は60代後半の白人男性であり、その彼がこの曲をやるということ。それを白々しく受け取る人もいるだろうけど、デヴィッド・バーンはこの曲を「私自身にも改革が必要。内なる改革が」と言ってから演奏する、その気持ちを僕は素直に受け取った。それに僕にだって改革が必要なのだ。いつだって、いつまでも。
読んでいるヘミングウェイの「移動祝祭日」はそれなりに楽しめてはいるけれど、うまくドライブしていかない感覚がある。ヘミングウェイを読むのは久々だけど、そんなに合わないのかななんて思いつつ読み進めている。
音楽はザ・ルーツの「Things Fall Apart」とマカヤ・マクレイヴンの「Deciphering The Message」を聴いた。この後でチック・コリアの「Now He Sings, Now He Sobs」を半分だけ聴くかもしれない。聴くとしたら、きっとウィスキーを飲みながら聴くことになると思う。


12月30日(金)

9時50分に起きて、12時からとある話し合い。演劇のこととか、それ以外のこととか色々話す。
そして15時から坂井水産「稽古初日 vol.1」というイベント? リーディング公演?を観た。台本は事前に渡されているけれど、その後稽古もなくいきなり読み合わせてみる、そしてそれをお客さんに観てもらう、とのことで、だから「稽古初日」という言葉が掲げられているのであった。僕は終始、言葉と身体の関係、言葉と思考の関係なんかを考えながら観て、いやでもやっぱ舞台で見たいのは俳優の身体だよなぁなんて思いながら劇場を後にした。それは身体が動いているとかそういうことじゃなくて(動いていてもいいけど)、反応している身体、響き合っている身体ってことだった。結局言葉はその後にしか出てこないものなんじゃないかなって、その言葉が身体に従っているにせよ、裏切っているにせよ。そういえば濱口竜介監督が「俳優の身体を撮りたい」なんてことを言っているインタビューを読んだ気もするから、それは舞台に限らず映画もそうなのかもしれない、というか映画でもそういうものを僕は今欲しているんだった、きっと。
18時からはDUGで働いて、少し早くお店を閉めて一年お疲れ様でしたの乾杯。シャンパンを飲んで酔っ払った。
今日はピノ・パラディーノの「Notes With Attachments」を聴いていた。あと読んでいる「移動祝祭日」の中でスコット・フィッツジェラルドが出てきて、かなりどうしよもない人間だった。村上春樹が二人を繋げて書いていたということもあるけど、僕はそんなフィッツジェラルドのことを書いた文章を読みながら、スタン・ゲッツのことを思い出していた。フィッツジェラルドもゲッツも、”華やかでありながら、同時に壊れやすいアメリカ人”という感じだった。


12月31日(土)

大晦日。
といっても大晦日ならでは、みたいな過ごし方はほとんどせず、部屋を少しだけ片付けたりもしたけれど、途中で飽きてチック・コリアの「Now He Sings,Now He Sobs」のB面を聴いたりしていた。
今日はなんといっても新・文芸坐での「ストップ・メイキング・センス」スタンディング強制上映だった。1983年、円熟期にあった(と同時に恐らく崩壊が始まりつつあった)トーキング・ヘッズのライブを、後に「羊たちの沈黙」でアカデミー賞を取ることになるジョナサン・デミが撮影した作品で、いわゆる劇映画ではないのだけど、もし好きな映画を一本上げるとしたらなんですか?なんて暴力的な質問に答えなければいけないことになったら、僕は悩みに悩んだ末この映画の名前を言うことになるかもしれない、ってぐらいに好きな映画。ここ数年は毎年のように映画館での上映があって、スケジュールが合う限り欠かさずに観に行っていたのだけど、でも今年で上映権が切れてしまうようで、いったんの見納め。もちろん内容は毎回同じなわけだけど、何回観ても強烈で全身がシビれててしまう。「アメリカン・ユートピア」だって素敵だけど、でもやっぱり「ストップ・メイキング・センス」のグルーヴとエネルギーには敵わないなって思ってしまう。本当に本当に本当にかっこいい、かっこよくないカットなんてないんじゃないかってぐらいクールな映画だった。早く誰かに上映権を買い戻してほしい。そしてまた爆音で、出来ればスタンディングでこの映画を観たいと思うのだった。
「移動祝祭日」は映画を観に行く前に、高田馬場のニューヨーカーズ・カフェで読みきった。
年越しの瞬間は家路を歩いていた。家に着いたら0時5分だった。

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