日記 12/6〜12/10

12月6日(月)

今日は10時45分に起きて、11時から来年の出演に関しての電話をした。11時にお電話しますと先方から事前に連絡をもらっていて、だから僕は10時55分ぐらいから電話を握りしめ、そんな必要は全くないのにやたらと緊張してしまった。電話は昔からあまり得意じゃなかったし、きっと一生そのままなんだろう、それに別にこの苦手意識を克服したいと強く願っているわけでもなかった。もちろん苦手意識はないに越したことはないけれど、それよりもメールやLINEの返信を早く出来るようになることの方が先決じゃないかと思っていた。返信を早くするというのは毎年年始に目標として掲げられ、そしてすべからく挫折してきた。それは簡単なようで全く簡単なことではなかった、僕にとっては。
今日は18時からのDUGでの仕事までは特に用事もなかったから(朝の電話をのぞいて)、お昼の時間の半分近くを僕は夏目漱石の「こころ」を読んで過ごした。今週末から参加する演劇関係の仕事で「こころ」を題材として使う予定だった。別に全部読み直す必要はないのだけど、せっかくだからということで多分3年ぶりくらいに再読することにした。凛とした夏目漱石の文章を読むと、僕は少しだけ気持ちが持ち上がるのを感じた。夏目漱石を読むとその質感はまるで冬の朝の空気のようだと時々思うことがあって、それはたとえ夏の場面から始まる「こころ」であっても冒頭から僕はそう感じていたけど、でも実際には僕は冬の朝の空気ってのを別にそう快くは思っていない、寒いし眠い、だからそれは想像上・イメージ上の透明で気持ちの良い”冬の朝の空気”なのであった。約2時間の読書で、上中下と章分けされた「こころ」の上の部分、「先生とわたし」が読み終わったので僕はそこで本を閉じた。それからアボカド丼とサラダという遅めの昼食を食べた。時間は15時半だった。
家から西川口駅までの徒歩20分間はエレクトロニックのミュージシャン、フローティング・ポインツがジャズ界の巨匠というか仙人というかレジェンドというかのファラオ・サンダースとコラボレーションしたアルバム「Promises」を聴いていた。フローティング・ポインツのミニマルで静謐なトラックの上でファラオ・サンダースが時に激しくなれどしかし一貫して温かみのあるサックスを吹く、というこのアルバムを聴いていると、僕はよく知った道を歩きながらも目の前の風景がどこか異世界じみてくると感じて、その感覚は道中にある市営野球場の煌々と光る照明が目に飛び込んできた時に最高潮に達した。面白い面白いと思いながら僕は歩いた。そしてその感覚はアルバムの後半を聴きながら歩いた帰り道にますます強まることになった。というのも夜にDUGで働いてからの帰宅は終電になるのがいつものことなのだけど、ぼんやりしていたのか最寄駅である西川口駅の一つ手前である川口駅で僕は京浜東北線を降りてしまった。読んでいた「スタン・ゲッツ 音楽を生きる」がキリの良いところまでいって、それで本を閉じてラーメン食べたいなぁなんて考えていたからかもしれなかった。終電だからもちろん次の電車に乗り直すなんてことも出来ず、仕方なく僕は川口駅の周辺でラーメンを食べてから、いつもより長い距離を自宅まで歩いて帰ることとなった(幸いなことに10分強しか所要時間は変わらないのだけど)。川口駅から自宅まで歩いたことは過去に一度しかなく、その道のりはほとんど曲がることのない真っ直ぐなものであったけれど、それでも見慣れない風景の中を深夜に歩くという行為にはどことなくざわつくものがあって、それに「Promises」の音楽が滅茶苦茶にハマった。裏通りのようなところをずっと歩いていたというのもあるかもしれない、まるで違う国に来てしまったかのようなそんな感覚だった。こう書いていて僕はタブッキの小説を思い出した。タブッキの「インド夜想曲」という小説はこれに近い感覚を僕に与えてくれた覚えがあった。もしくは10月に読んだベン・ラーナーの「10:04」も「インド夜想曲」ほどではないけれど近いものがあった。同じように街を彷徨う小説として年内にテジュ・コールの「オープン・シティ」も読みたいなと思っていた。読みたい本、興味をそそられる小説ばかりがたまっていて、そしてそれは映画だって音楽だってそうだった。演劇だって観たいものがいっぱいあるのだけど、お金と時間が足りなかった。もっともっと楽しみたい、もっともっと、と時々僕は思っているのだった。


12月7日(火)

今日も移動中は「スタン・ゲッツ 音楽を生きる」を読んでいて、ついにゲッツはボサノヴァと出会って「ジャズ・サンバ」や「ゲッツ / ジルベルト」といったアルバムを作り出し、その評価や人気は絶頂期に入っていったのだけど、私生活は救いようがないくらい滅茶苦茶になっていて、いやもう随分長い間ひどい状態(と短い小康状態の繰り返し)で、その極地は強盗未遂での逮捕と自殺未遂だったと思うのだけど、そこまでいかずとも頻繁に暴行やら何やらで逮捕されたり病院に連れ込まれたりしていた。そんなことはもちろんあり得ないのだけど、もし彼が現代の心療内科に行けていたらこんなことにはならなかっただろうに、と僕は思った。彼は自分の心身から来る苦痛から逃れるために大量の酒を飲み、今度はそこから来る苦痛に負けないために暴力や破壊行動を行っていた。なんでこんなことになってしまうんだ、と僕はこの天才サックス奏者の評伝を読みながら思っていた。
そして今日も「こころ」を読み進めた。今日読んだのは「中 両親と私」という部分で、僕はそれを中野にあるジャズ喫茶ロンパーチッチで読んだ。ロンパーチッチはとても居心地の良いジャズ喫茶で、僕はこのお店がもしかしたら行ったことのある喫茶店では一番好きかもしれない、何よりコーヒーにプラス100円でスコッチを入れてくれるのが最高だったし、スピーカーから聞こえてくる音もなんだか柔らかくて(だけど自己主張はしっかりしていて)とても良かった。値段もそんなに高くはなくて、中野までの交通費を加算しても気にならないぐらい、思いつく欠点は店主さんの声が小さすぎて大抵何言ってるのか全く聞き取れないことぐらいだった(ご夫婦でお店をやられていて奥さんの声はちゃんと聞こえる)。今日店に入ると福居良のアルバムがかかっていて、その後も色々なアルバムがかかったけど、今はっきりと思い出せるのはネイト・モーガンくらい、僕はその音を聞くともいえない聞かないともいえないぐらいの捉え方をしながら「こころ」を読んでいた。主人公の父親がどんどん衰弱していく中、ジャズトランペットのパリパリしたソロなんかがスピーカーからは流れていて、それは本の内容とはミスマッチでしかないのだけど、でも僕はその環境を結構楽しんでいた。もしかしたら「こころ」を読むのが初めてじゃないってのもあるかもしれないけど、いやそれだけじゃない、ロンパーチッチのスピーカーから流れてくる音は心を浮き立たせこそすれ、読書の邪魔をすることはなかった。スコッチ入りコーヒーを飲み切ってしまうと僕はタリスカーのストレートを注文して、今度はそれを飲みながら本を読んだ。タリスカーは本当に美味しくて、そして「中 両親と私」を読み終わる頃には僕は少し酔っていた。ロンパーチッチで「こころ」を読んだ後、目黒シネマで19時20分から上映される「街の上で」を観に行こうかなとも考えていたけど、気付いたら18時45分でほぼ間に合わない時間になっていたし、それにタリスカーで酔ってしまっていたので大人しく帰ることにした。帰りの電車の中ではやっぱり「スタン・ゲッツ 音楽を生きる」を読んで、ゲッツはサックスを吹き、そして奥さんのモニカを首を絞め逮捕されていた。ゲッツの生活はあまりにひどかった。
今日はここ最近聴いてみたいなとうっすら思い続けていたスタイル・カウンシルをやっと聴いて、それは一番有名な「Cafe Bleu」だったのだけど、思っていた以上にジャズの匂いがして嬉しくなってしまった。と書いて、ここ最近の僕はそんなにジャズが好きなのかと自分でも驚いた。確かにB面はジャズというよりソウルにインスパイアされたような音で少し物足りなく感じたしやっぱりそういうことなんだろう、とはいえ自信を持って「ジャズが好きです」と言えるほどにはまだまだ全然聴けていなかった。
家ではウェス・モンゴメリーの「A Day in the Life」のA面を聴いた。ストリングスのアレンジが効きまくっているこのアルバムを僕はDUGで聴いてその時はイマイチだなと思ったんだけど、今日改めて聴いてみたら悪くはなかった、とはいえ好きってほどでもなくこのアルバムに僕がハマることは少なくとも数年はなさそうだと思った。ただウェス・モンゴメリーのギターの音色は相変わらず素敵だった。


12月8日(水)

昨日聴いた「Cafe Bleu」が良かったから今日は同じスタイル・カウンシルの「Our Favorite Shop」を聴きながら家を出ようとしたんだけど、外はどうしよもなく雨で、雨の日にスタイル・カウンシルは何だか違う気がすると思ったので、数日前にDUGで「あれ良いアルバムだったよねぇ」と話題になったBIGYUKIの「Neon Chapter」を再生することにして、それはやっぱり良いアルバムだった。ジャズでもヒップホップでもエレクトロニックでもなく、でも同時にその全てでもあり、なおかつやっぱり中心にあるのはBIGYUKIの弾くシンセサイザーとピアノ……って感じのアルバムだった。シンセサイザーの音がまず何より耳に入ってくるアルバムだけど、だからこそ時折聴こえてくるピアノがたまらないってことは以前にもこの日記でも書いたことがあったか。
というわけで徒歩移動中はBIGYUKI、電車の中ではスタン・ゲッツの評伝という組み合わせで吉祥寺に向かい、アップリンク吉祥寺で「パワー・オブ・ザ・ドッグ」を観た。アップリンクはパワハラ問題がうやむやになっているようで出来ることなら行くのを避けたい映画館だったんだけど、「パワー・オブ・ザ・ドッグ」は都内だとシネリーブル池袋、アップリンク吉祥寺、シネマシティ立川でしか上映されておらず、池袋は朝だけの上映になってしまっていてムリ、立川は遠すぎる、ということで吉祥寺で観ることにした。金曜日の高校でのWS、つまり朝6時起きに向けて今徐々に起床時間を早くしていっているところで、その結果10時に起きた今日は少し眠く、映画が始まる直前まで頭が少しぼんやりしていたのだけど、いざ観始めたら眠気はどこかに消えていった。とはいえ集中しきれたとは言い難い鑑賞になってしまって、その原因の半分は周りの人の動きが気になったこと、残りの半分はまた別の懸念事項に気持ちを持っていかれる時間があったというところなのだけど、そのせいか作品自体の捉えもどうにも浅くなってしまって、僕はこの「パワー・オブ・ザ・ドッグ」という作品をもう一度観るべきなのかもしれない、と考えていた。例えば次の土曜日だったら、前日が早起きなわけだから、池袋で9時過ぎという早めの上映であってもはっきりとした頭で観られるかもしれない、それにもう一度観たって魅力が損なわれることのないぐらい強度を持った映画であることは今日の鑑賞で分かっていた。何よりベネディクト・カンバーバッチが素晴らしい演技をしていた。
吉祥寺の街を歩いている時に「Neon Chapter」は聴き終わってしまったので、帰りの徒歩移動ではカマシ・ワシントンの「Harmony of Difference」を聴いて、僕はこのアルバム、というかEPを聴くのは初めてだったか、しかし期待通りの音楽で思わず微笑んでしまうような時間だった。僕が今やたらとジャズジャズ言っているけど、カマシ・ワシントンを聴いていなかったらそうはなっていなかったかもしれない、マイルスやコルトレーン、最近のジャズだとグラスパーを聴いて、ふんわりかっこいいなぁ美しいなぁと思うことはあれどそこまでジャズにハマることのなかった僕をブッ飛ばしたのはカマシ・ワシントンのサックスだった。続いてクリスチャン・スコットのトランペット。クリスチャン・スコットも最近聴いてないから近いうちにまとめて聴きたかった。
家に帰ってからはお気に入りの発泡酒ホワイト・ベルグを飲みながら、ウェス・モンゴメリー「A Day in the Life」のB面を聴いて、それは昨日聴いたA面よりも何だか楽しくて、それから「こころ」を読み進めた。ご飯を食べた後はコーヒーを飲みながら「こころ」を読み進めた。ビールの後にコーヒーを飲むというのは順序として何だか逆転しているようだけど、鳥取に滞在中、舞台監督の中井さんが泊まっている宿にお邪魔してご飯をご馳走になる時なんかは、もちろんその席ではお酒も飲まれるわけだけれども、もう料理もひと段落かなというタイミングで中井さんが「ゆうきくん、コーヒー飲むかい?」なんて言ってくれて、だから僕はウィスキーやらビールやらを飲んだ後にコーヒーを飲んだ。そのコーヒーがとても美味しかったことを覚えていて、だから僕は今日、コーヒーのためのお湯を沸かしながら、中井さんのことや鳥取での生活のことをふんわりと思い出していた。


12月9日(木)

今日は8時半に起きる予定で、目覚ましもその時間にセットしていたのだけど、気付いたら9時40分、飛び起きて急いで準備をしてDUGに出勤した。DUGで昼間に働くのは久しぶりで、今日はひたすらコーヒーを運んだり、チョコレートブラウニーを運んだり、コーヒーを淹れたりした。ウィスキー を注ぐことはあれど、カクテルを作ることはなかった。退勤は18時、外はもう完全に夜で、夏だったらこの時間まだ夕方のような空をしていたのになんて思いながら、地下で太陽の出ている時間のほとんどを過ごしたことに少しだけ寂しさを感じたりもしながら、歌舞伎町にある信濃屋に行ってクリスマスセールということで安くなっていたグレンフィディック(税込3000円強)を買った。同じくクリスマスセール中のタリスカー(税込4000円強)とどちらにしようか迷ったけど、今月はあまりお金もないしということでグレンフィディックにした。お金がないならそもそもウィスキー なんて買うなよって話なのかもしれないけど。
西川口駅から家までの道のりはマイルス・デイヴィスの「Nefertiti」を聴いていて、もともと好きなアルバムなんだけど、順々に読み聴き進めていっている「ジャズ超名盤研究3」で登場したから久々に再生して、なんだかこれがとても良かった。DUGで散々モダン・ジャズを聴いていたから、やっぱ今はいいや……なんてなるかなと思いきや、例えばハードバップとかのいわゆる普通のモダンジャズとは違う、かといってフリージャズなんかでもなく、その匂いはさせつつも形態としてはギリギリ調性を保っている、なんてことは書いてはいれどよく分かってはいないんだけど、とにかくその魔術的な雰囲気と音楽の持っているスリリングさ、そこから生まれ出る美しさに僕は歩きながらうっとりとしてしまった。Nefertiti、Fall、Hand Jive、レコードで言えばA面に当たるその3曲を聴いた。
家でご飯を食べてからは「こころ」を読み切った。夏目漱石の描く人間とその心の動きようは本当に普遍的というか今でも通じるなぁなんて終始思いながら読書だった。僕は夏目漱石に熱中したことはないけれど、読むたびに凄いな凄いなと思ってはいた。人間というものを抉り出している、と感じていた(そういう意味で「こころ」の最終盤、”明治”という時代にああも直接的に接続されるというのは意外な気もした。初めて読んだわけでもないのに、少し意表を突かれた)。
現在23時半、明日は5時50分に起きる予定だからそろそろ寝なければいけない。まずはお風呂に入って、その後すぐ……眠れるだろうか? もし眠れなかったら「Nefertiti」のB面を聴こうかしら、なんて考えていた。


12月10日(金)

昨日の日記にも書いたけど今日は5時50分起きだった。あまりにも早い、朝型か夜型かは遺伝子レベルで決まっているらしいけど、ほぼ確実に夜型の遺伝子を持った僕にはとんでもなく早い起床時間だった、なんてことを書いているけど、映像の仕事をする時はそれぐらいの起床時間は当たり前、というかもっと早いことも結構あって、僕は今事務所に入っていないから映像の仕事はほぼやって来ないのだけど、早起きが辛い(苦手ではない)という一点でもって、映像への出演はあまり気が進みませんなんて言ってしまうのはあまりにも甘い考えで、もちろん何かしら仕事をすることになったら張り切って早起きはするし、今日もくくりとしては俳優の仕事としての早起きだったから前のめりな早起きをしてみせたのだけど、しかしそれが辛いことには変わりなかった。そもそも前日は3時近くまで起きていた。だから僕は3時間も眠っていないことになり、にしてはそこまで眠気を感じない起床になったのが逆に恐ろしかった。本当だったら5時間は眠るつもりだった。ベッドに入ったのは12時半で、特別な事情がない限り最低でも7時間は寝るようにしているここ最近の僕からしたらその時点で少ない睡眠時間になることは決定済みだったのだけど、ただ5時50分起きというのは十分に”特別な事情”の範疇だったし、まぁ5時間寝れば一日もつでしょうなんて考えていたら、まさかのそこから全然眠れなかった。読書で心を穏やかにしてみたり(こういう時は「読書の日記」を読むと落ち着くからいつもそうしている)、シーバスリーガルを飲んだり、ドリエルを飲んだりしてみたけどダメだった。最終的には「読書の日記」を片手に、冷蔵庫にたまたま残っていたホワイトベルク(やたら美味しい発泡酒)をグビグビ、おそらく10分ほどで飲んだ。そしたら眠れた。ただ問題としては発泡酒を短時間で飲んだせいで、たった3時間弱しかなかった睡眠の合間、少なくとも二度はトイレに行くために起きなければいけなかったということだった。でも少しでも眠れてよかった。徹夜だけは絶対にしたくなかった。
今日の仕事がどういうものだったかどこまで書いていいか分からないから詳しくは触れないけれど、9時半過ぎにいったんキリがついて、再開が13時半と4時間近く間があく時間があったから、僕はそこでルノアールに行ってモーニングを食べ(ルノアールのモーニングは安い。そもそものコーヒーが高いのだけど)、読書と仮眠をした。ルノアールだしいっぱい寝てもいいかなぁなんて考えていたのだけど、思いの外読書が進んだ。
そして全体の仕事を終え、家に帰ってきたのが18時ごろ。そして18時半から21時半頃まで3時間寝た、というか寝てしまった。さすがに仮眠しようと思ってベッドに横になったら、夜の睡眠時間と同じか、それ以上の長さ眠ってしまった。これで今日の睡眠時間は合計6時間、ギリギリ許容範囲というところだった。
起きてからは「スタン・ゲッツ 音楽を生きる」を読み進め、マイルス・デイヴィス「Nefertiti」のB面を聴いた。今日はヌバイア・ガルシアの「SOURCE」も聴いた。西川口駅からの帰り道、今勢いのあるUKジャズの中でも注目されているこのサックス奏者のアルバムを聴いている時、ふと「あ、ジャズって快楽なんだ」と感じた。そこには政治的な主張が含まれることが多いけど、でも何よりまずは身体に響かせるものなんだ、そして身体を通すからこそそこに何かしらのメッセージが含まれていた場合それが強固になるんだと。僕は少し前まで「身体で聴く」という言葉をよく使っていた。ロックは頭や胸で聴いてそれで良いんだけど、ジャズはもっと身体全体を使って聴かなきゃ、というかその方が俄然楽しい、ということをジャズを聴き出して半年ぐらい経った頃に発見して、今日そのことを思い出した。ヌバイア・ガルシアのバンドが作る複雑だけどダンサンブルなリズムと、体温を感じるサックスがそのことを思い出させてくれた。

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