日記 12/11〜12/15

12月11日(土)

珍しくお風呂に入ることなく寝てしまった昨日だったから、まずはお風呂に入るところからスタートした今日だった。
それから「読書の日記」を読み、「スタン・ゲッツ 音楽を生きる」を読み、そして神田にある映画や演劇を専門に扱う古書店・矢口書店で先月買った「傷ついた性 デヴィッド・ルヴォー 演出の技法」を読み始めた。デヴィッド・ルヴォー演出の作品を僕は観たことがないのだけど、でも長谷部浩さんが書いたルヴォー作品の劇評を集めたその本には興味を惹かれたし、きっと矢口書店じゃないとなかなか手に入りにくい本なんだろうなと思ったから(あと500円と結構安かったから)買うことにした。かつてルヴォーの通訳を勤めていて今は演出家として活動されている薛朱麗さんの演出を僕は受けたことがあって(2016年に上演された「ブルールーム」という作品だ)、その稽古場で珠麗さんは彼がかつて作品作りの中で口にした言葉をいくつも紹介してくれた(珠麗さんはルヴォーのことを「師匠」と呼んでいた)。その中で僕が今もよく反芻しているのは「舞台上はホットプレートだ」という言葉だった。舞台上はホットプレートなのだから、俳優は同じ地点に留まることは許されない、足を常に動かしていないとその熱さに耐えられない。もちろんこの場での”足を動かす”というのは例えであって、舞台上を常に移動し続けろということではなく、心を常に動かし続けろということだった。
15時過ぎに家を出て、移動中に聴く音楽にエズラ・コレクティブの「You Can’t Steal My Joy」を選んだのは、昨日のヌバイア・ガルシアからの流れだろうか、同じUKジャズのアーティストでリズムの感じなんかは結構似ている、今のアメリカのジャズはヒップホップやネオソウルなんかの匂いがするものが多いけど、ヌバイア・ガルシアもエズラ・コレクティブもどちらかというとアフロビートとかレゲエとかの影響が大きい感じ、もうちょっと汗かいて踊る感じのリズムだった。その上でエズラ・コレクティブはより直線的というか、パンキッシュとまで言ったら誤解が生まれそうだけど、猛烈さみたいなものを感じる瞬間が多くて、僕はそれはそれで好きだった。去年から何度かこのアルバムは繰り返し聴いていた。
18時からDUGで仕事だったのだけど、その前にブックファーストで来年の頭に取り組む(演劇のオリジナルとなる)戯曲を買い、その芝居はまだ情報公開前だからこの場で作品名を出すことは控えるけれど、僕としてもなかなかない経験が出来る作品になりそうで楽しみだった。そしてせっかく近くまで来たからということでポール・バセットでコーヒーを飲んだ。ポール・バセットはその存在は知ってはいたものの今まで行ったことのなかったカフェで、特段行きたい!と思ったわけでもなかったけど、「読書の日記」でちょいちょいその名前が登場して、どうやら阿久津さんがそこで打ち合わせとかしたりしていたみたいで、だから今日フラリと寄ってみた。土曜日ということでなかなかに混んでいて、コーヒーは美味しかったように思えるし(断言しないのは僕がコーヒーの味の違いをどうこう言えるほどの舌を持ち合わせていないというのと、まぁ美味しかったことは美味しかったけど激烈に美味しかったわけではないというラインだからなのだけど)、空間もオシャレではあるものの、僕の好みとしては雰囲気がパキパキし過ぎていて、う〜ん特段リピートするほどでもないかなというのが正直なところではあった。ポール・バセットでは「音楽を生きる スタン・ゲッツ」を読んでいた。
そしてDUGでの仕事を終え、家に帰る電車の中でも、家に帰ってからも僕はスタン・ゲッツの本を読んでいて、そして読み終わった。最後スタンの死でこの本が終わることはもちろん読み始める前から分かっていたことだけど、いざその瞬間が来るとなんだか哀しくなってしまった。この2週間弱、僕はスタンの人生を少しずつ読み進めてきて、それは本当に誕生の瞬間から始まり、どんどんジャズミュージシャンとして成功していって、素晴らしい作品をいくつも作って、だけどそれと同時にアルコール中毒、薬物中毒に陥り、家族に暴力をふるい、長い離婚裁判があり、そして癌に体を蝕まれて……なんてことをずっと追ってきたから、最後のページを読み終えた時、表現が大袈裟すぎるかもしれないけど、まさに一人の人間の生が消えていったような感触さえあり、まさかこんなに寂しくなるとは思っていなかった。僕はこれからもスタン・ゲッツの作品を時々聴くだろうけど、その時はきっとこの本のことが頭をよぎるんだろうなと思った。そして今聴こえてきているサックスの音は、かつて確かにこの世界に存在した一人の、とんでもなく多くの問題を抱えていたけれど音楽に対しては誠実だった一人の人間によって吹き込まれた音だと感じることになるだろうなと思った。


12月12日(日)

12時半に起きて、ベッドの上でうだうだとした挙句、結局ほとんど何事もなさず最低限の身支度だけして13時半過ぎに家を出た。新宿でなんだか無性にカレーを食べたくなってしまって、でもお気に入りの安くて美味しいカレー屋、紀伊國屋書店地下のもんすなっくが工事で今なくなってしまっているから、結局松屋で創業カレーを食べた。15時からDUGに出勤で24時まで働いた、つまり休憩の時間を除いても8時間ジャズを浴び続けた。
移動中の電車の中やDUGの休憩時間には、「傷ついた性 デヴィッド・ルヴォー 演出の技法」を読んでいた。長谷部浩さんの劇評を読んでいるとルヴォー演出の芝居がとても観たくなってしまう。こんな世界的な演出家がコンスタントに作品を発表していたなんて当時の日本はなんて恵まれていたんだろう、と無邪気に思いもしてしまう。実は僕が上京して最初に観た芝居というのは、かつてデヴィッド・ルヴォーが芸術監督を務めていたt.p.t.という団体のものだった。僕が観たのは「エンジェルス・イン・アメリカ」で、それはロバート・アラン・アッカーマン演出だったからルヴォーの作品ではなかったのだけど、しかしその芝居は僕にぶん殴るような衝撃を与えて、今でも断片的ではあれベニサンピットの客席から観た光景は鮮明に記憶に残っていた。t.p.t.がホームとしていたベニサンピットという劇場も今はもうなくなってしまっていた。
西川口駅までの行き帰りではスタン・ゲッツの「Focus」を聴いていた。ゾクゾクするような瞬間がいくつも訪れる、良いアルバムだった。それに「スタン・ゲッツ 音楽を生きる」を読み終えたばかりの僕は、彼の存在と彼のサックスの音をとても親密に感じていた。


12月13日(月)

11時半に起きて、13時前には家を出て初台にある本が読める店・fuzkueに向かった(新宿から初台までは歩いた)。fuzkueは飲み物・食べ物を注文すればするほどチャージが減っていくという特殊なシステムで、つまり何も頼まなくてもいいんだけどその場合1500円というかなり高いチャージが発生することになってしまい、貧乏性の僕はだったらチャージがなくなるまで何かしら頼んでやるの精神を発揮しがちで、今日はコーヒー、オムレツのサンドイッチ、アイリッシュコーヒーを頂いた。結局総額2500円強かかり、単純に本を読むためにこの値段を払ったと考えるとそれは結構高いものではあるけれど、出てくるものは全て美味しいし、何より本当にこのfuzkueというお店での読書という行為は心地がいい、僕の場合は戯曲を一本持ち込んでそれを読み切るということを毎回やっていて、前々回は「ワーニャ伯父さん」、前回は「三人姉妹」、そして3回目の今回という流れだったのだけど、今日も本当に良い時間を過ごすことが出来た。値段のこともあって頻繁に行くことは出来ないけれど、月に一回ぐらいのペースで通いたいなと思っていた。ちなみに今回読んだのは2日前にブックファーストで購入した戯曲だった。次に行く時は「かもめ」か「わが町」を読みたいななんてうっすら考えていたけど、家の本棚には矢口書店で200円で買った岩松了の「シブヤから遠く離れて」が未だ読まれていないままに置かれているから、先にそれを読むことになるかもしれなかった。
新宿・初台間の道のりはRHファクターの「Hard Groove」を聴きながら歩いて、僕がこのアルバムを始めて聴いたのは一昨年だったか去年だったか、それ以来繰り返し聴いていた。トランペッターであるロイ・ハーグローヴのバンドで、いわゆるネオ・ソウルの色合いが凄く強い、こんな言葉を僕は普段使わないのだけどRHファクターを聴いていると「クールだなぁ」なんて呟いてしまうような、そんな音楽だった。それにドラムの音がめちゃくちゃかっこいいのだけど、これ叩いているのはクエストラブなのだろうか。いつも後で調べようと思って忘れてしまい、そして今日も忘れていた。
今日もDUGで仕事をして、それは18時から0時までだった。今日はお客さんに一杯ご馳走になる機会があり、だから僕はラフロイグをストレートでもらった。実はfuzkueで二杯目のドリンクをアイリッシュコーヒーにしようか、ラフロイグにしようか少しだけ迷ったそんな時間があった。結局その後DUGで働くことになるのだしということでアルコール度数の低いアイリッシュコーヒーを選んだのだけど、出勤して1時間も経たずにラフロイグを飲むことになった。美味しかった。


12月14日(火)

明日は再びの5時50分起きで、前回結局ビールを飲んでやっと寝れたという経験があるから、今日は現在23時20分、ホットウィスキーを飲みながらこの文章を書いている。帰り道でビールかワインを買ってそれを飲んでから寝ようかと最寄りのまいばすけっとのアルコールコーナーの前をうろちょろしてみたりもしたけれど、そのためだけにワインを買うのも勿体ない気がしたし、ビールは寝れることは寝れたけどやたらトイレに行きたくなるという欠点があるのだった。そういうわけで結局、家にあるグレンフィデックをお湯で割って飲むことにした。まだ一杯目で酔いはやってきてなかった。
今日は寒くて、とにかく寒くて、雨の上がった15時頃までは家の外に出る気も起こらず、毛布をかぶってそれでも寒いなと思いながら、「傷ついた性 デヴィッド・ルヴォー 演出の技法」と「読書の日記」を読み進めていた。お昼ご飯もたまたま家にあった、トマトとチーズとコンソメを使ってリゾット風のものを作り食べた。夕方過ぎに雨も上がって外出をすることになったけど、その時僕はケニー・ギャレットの「Songbook」を聴いていた。97年にリリースされたこのアルバムを最初に聴いたきっかけは、カマシ・ワシントンが影響源として上げていたからか、それ以来お気に入りのアルバムとして何度か聴いていた。今日もいいな、心地いいなと歩きながら感じていた。
本当は今日、ジョン・コルトレーンのドキュメンタリー映画を観に行こうかなんて考えていたけど結局行かず(半分以上が寒さのせいだ!)、結局それは来週の月曜日になるかな、明日は仕事が午前中に終わるから、水曜だし元気だったらアップリンク吉祥寺に「パワー・オブ・ザ・ドッグ」のリベンジに行こうかなんてふんわり考えていた。そのためにも僕は早く眠るべきだった。


12月15日(水)

無事に携帯のアラームを5時50分に止め、その後二度寝することなく、30分後には家を出て仕事をした。都内の高校で行われるワークショップのアシスタントについていて、今日は芸術系高校の美術科クラスの日だったんだけど、何ていうか画家や彫刻家を目指している(、あるいはもう美術家や彫刻家である)高校生たちの発想や佇まいには個性が感じられて、そして曲げられない美意識みたいなものをことあるごとに放ってきて、普段演劇関係の人たちとばかり接している僕はそれをとても面白く感じた。
授業は午前中で終わったので一度家に帰ってきて昼寝をし、それからアップリンク吉祥寺の「パワー・オブ・ザ・ドッグ」を観に行った。ちょうど1週間前に観たのだけどどうにも掴み損ねたなという感触があって、本当はもう少し間をあけてから観に行きたかったのだけど、アップリンク吉祥寺でもシネリーブル池袋でも今週で上映が終わってしまうということで、昼寝をしてもまだ残る眠気を感じつつも夕方の回を観に行った。正直、前半途中で眠くなってしまったんだけど、後半はわりかし集中して観れて、でも僕はこの作品の鋭さや強靭さを頭では理解出来ても、皮膚ではそこまで感じられないかもしれない、もしかしたら、なんて終わった後に考えてしまった。二回目を観て良かったとは思うけど、心底楽しんだかと言われるとそうではないというのが本当のところだった。
それよりも今日は図書館で借りてきたジョン・ウィリアムズの「ストーナー」の方に心を持っていかれた。何年か前に本屋さんの海外文学コーナーで平積みされているのを数回見ていて、前からうっすらと気になっていた本だったんだけど、「読書の日記」の中で阿久津さんが言及されていたのをきっかけにそのことを思い出し、カーヴァーの「大聖堂」「愛について語るときに我々の語ること」と一緒に図書館で借りた。カーヴァーの二冊は両方とも前に読んだことある本だったから、まずは「ストーナー」をということで今日から読み始めて、僕は早くもこの本に魅了され始めていた。ストーナーという人間の人生が語られる本(それは決して明るいものではない)、というぐらいの知識しかない状態でページをめくり始めたのだけど、ささやかな、けれども確かに質量を持って存在する”悲しみ”や”絶望”といったものが徐々に投げ込まれてきていて、それは嫌な感じでは決してなく、目が吸い寄せられてしまうものだった。300ページ強の小説で今ちょうど100ページを越えたあたり、明日も最低でも100ページは読みたいなと思っていた。今日は「傷ついた性 デヴィッド・ルヴォー 演出の技法」も読んで、読み終わった。
ロイ・ハーグローブも聴いた。「Earfood」と「Nothing Serious」。「Earfood」の方は前から好きで、特にこのアルバムに入っている「Strasbourg / St.Denis」という曲がたまらなく好きで、聴いたらやっぱりロイ・ハーグローブ良いなぁとなって、その流れで初めての「Nothing Serious」も聞いてみたという日だった。

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