日記 12/21〜12/25

12月21日(火)

今日は僕が高校での演劇WSアシスタントを担当する最後の日だった。例によって5時50分に起きて、6時20分に家を出ると、外の世界はちょうど日が昇り始め、明るみを次第に増していく時間帯だった。ケニー・ギャレットがアルバムごとジョン・コルトレーンにオマージュを捧げた「Pursuance : The Music of John Coltrane」を聴きながら西川口駅まで歩いたのは、昨日コルトレーンのドキュメンタリーを観た影響もあったけど、数日前にケニー・ギャレットの「Songbook」を聴いた時、もっとケニー・ギャレットを聴いていきたいという気持ちが生まれたことは、この日記に書いてあったか、ともかく昨日の夜から今朝はこのアルバムを聴こうと決めていて、そして聴いた。
十分な睡眠を取ったとは言い難く、きっと5時間ぐらいしか寝れていない状態だったけど、先週末の本当に眠りにつけなかった時よりはるかにマシではあり、だから朝の電車の中でも読書をする気持ちが起こったから、僕はカーヴァーの「大聖堂」を読み始めた。この短編集を読むのはきっと2回目、いやもしかしたら3回目かもしれなかった。最初に読んだのは大学の授業で扱った時であり、その授業の名前は「アメリカ文学研究」であった、確か。カーヴァーはアメリカ合衆国の作家なわけだけど、授業ではラテンアメリカの作家も扱って、僕はこの授業のレポートをマルケスで書いて、授業中にはボルヘスで発表を行った記憶があった。僕はそもそも大学の授業にはまともに通わなかったのだけど、そんな中でも最も面白いと思った授業で、担当教授は都甲幸治(当時は助教授だったか)、柴田元幸門下の文学研究者で授業で扱っている内容もその喋りもとにかく面白くて、僕が今でも名前を覚えている唯一の大学時代の先生だった。その後都甲さんの本は大きな書店の英米文学の棚でちょくちょく見るようになったし、何よりジュノ・ディアスのとんでもなく面白い小説「オスカー・ワオの短く凄まじい人生」の翻訳も担当されていて、都甲さんの授業を面白いと感じた大学時代の僕の感性は間違っていなかったんだなぁなんて思ったりもした。
カーヴァーの「大聖堂」は「羽根」という短編から始まっていて、かなり印象的な話だから僕はこの作品の大筋は覚えていたのだけど、再読してみて何て面白いんだ!と思わされてしまった。ひねくれたユーモアと控えめな絶望が常に隣に座っている感じで、もしかしたらカーヴァーは歳を取れば取るほど面白く読めるのかもしれない、なんてことも考えさせてくれた。ただそれから「シェフの家」「保存されたもの」「コンパートメント」を読んだけど、「羽根」の感動をまだ超えるものはやってきていなかった。次に読むのが「ささやかだけれど、役にたつこと」というカーヴァーの代表作と言われる作品で、ただ僕はこれを昔読んだ時はそんなにピンと来なかった、というかむしろ僕には合わないなとすら思いもしたのだけど、今読んでどう感じるか、それは分からなかったし楽しみでもあった。
高校でのWSを終えて家に帰ってきた後は、PCR検査キットを受け取ったり、WSで自分が受け持ったグループのレポートを書いたりした。そしてジョン・コルトレーンの「Impressions」を聴いた。うねりまくるコルトレーンのサックスソロが10分以上続く表題曲を2年前とかに初めて聴いた時は一体どういう風に聴けばいいのか分からなかったけど、今では分からないなりにそれを楽しむことが出来るようになった。そしてその後にやってくるアルバム最終局は「After The Rain」でこれは午前中に聴いたケニー・ギャレットの「Pursuance」にも入っていた曲だった。青空の下、澄んだ朝の空気の中で聴く「After The Rain」も、満月といくつかの星を見上げながら聴く「After The Rain」も、その美しさが風景に染み込んでいって僕を包んでくれるような、そんな感覚さえあった。今日は雨の気配すら全くなかったけど、なにより「After The Rain」の日であった。


12月22日(水)

昨日の寝る前に何となく「富士日記」を再開して、というかまた最初から読み始めて、それは「読書の日記」を読み終わってちびちびと読む本が欲しかったというのもあるし、「読書の日記」で阿久津さんが「富士日記」を実に楽しそうに読んでいたというのもあったのだけど、いやしかし「富士日記」は読んでいると何とも心地良く、こんな風に日々が綴れたらいいなぁなんて恐れ多くも思ってしまった。
今日は10時半起きで、昼は新宿でアマヤドリの「水」を、夜は中野でジュニアファイブの「硝子はオバサン」を観た。電車での移動中はカーヴァーの「大聖堂」を引き続き読んでいて、今日は「ささやかだけれど、役にたつこと」と「ビタミン」。カーヴァー屈指の傑作なんて言われながらも今までそんなに好きになれなかった「ささやかだけれど〜」は、もしかしたら今までで一番楽しめたかもしれない、けれどやっぱり最後の場面での主人公夫婦の振る舞いに僕はイラッときてしまった。僕が心の底からこの短編を好きになることは今後もないのかもしれないなぁなんて思った。そして観劇の合間に初台の図書館に行って、いとうせいこうによる戯曲「ゴドーは待たれながら」を借りてきて、一幕を夜の観劇前に中野のジャズ喫茶・ロンパーチッチで、二幕を家でグレンフィディックを飲みながら読んだ。僕はこの戯曲を今年の3月にも読んでいて、その時は「面白い。でも実際にやるにはハードルが高い」と思い、今日は「面白い。これに挑戦するのもありだな」と思った。とんでもなく大変な一人芝居だろうけど、でもそのことを考えるのは何となくワクワクした。
マイルス・デイヴィスの「My Funny Valentine」と「Four & More」を聴いた今日だった。この二つのアルバムは同日のライブ演奏を録音したもので、リリカルな曲が「My Funny Valentine」に、アグレッシブな曲が「Four & More」に収められている。僕はどっちのアルバムも結構好きなんだけど、今日は「Four & More」の方がハマった一日だった。トニー・ウィリアムスの煽り立てるようなライトシンバルに血の流れが早くなるようだった。


12月23日(木)

18時からのDUGでの仕事の前に、早稲田松竹で「イン・ザ・ハイツ」と「サマー・オブ・ソウル」の二本立てを観た。「イン・ザ・ハイツ」はロードショー公開時にタイミング合わなくて観逃していて、だから今日が初めての体験で、オープニングから「楽曲すごく良い! ラップめちゃくちゃかっこいい!」となる。中盤あたりから、脚本もう少しだけ繊細でもいいんじゃないかなぁとか、ラップに比べて歌唱は白々しく聞こえる箇所もあるなぁとか思わないでもなかったけど、最後まで「楽曲すごく良い! ラップめちゃくちゃかっこいい!」が要所要所に入ってくるものだから総じて楽しく観ることが出来た。なによりオリジナルのミュージカルを作ったリン=マニュエル・ミランダが凄まじいなと思った。
そして「サマー・オブ・ソウル」。1969年に大規模に開催されそして撮影されながらも、50年もの間忘れ去られていたブラックミュージックフェスティバルのドキュメンタリー。これは公開当時に観ているから二度目の鑑賞になったのだけど、とにかく冒頭のスティービー・ワンダーに持っていかれる。まずもってスティービーのドラムソロがやばいのだけど、その上に様々な映像がモンタージュされていくこのオープニングを観ると、「DJのセンスだ!」と心の中で叫ばずにはおられないというのは前回観た時も今回もそうだった。この作品の監督であるクエストラブはそもそもミュージシャンでドラマーでDJだからだった。そして何より観終わった後「スライ! スライ! スライ!」となったのも、前回から変わらずだった。色んなミュージシャンが出てきて、その誰もがいちいち魅力的で素晴らしいのだけど、でも僕の中ではスライ&ザ・ファミリー・ストーンがぶっちぎりで別格だった。あまりにもかっこよすぎて泣きそうになったほどだった。いやでもこの映画の主役は、当時(1969年)の映像を観てインタビューを受ける人たちなんだろう、本当は。誰もが良い顔をして、目が輝いていて、それだけで胸がいっぱいになってしまうシーンなんかもあったほどだった。
DUGでの仕事は普段入っていない木曜の遅番。そんなに人来ないかなと思っていたら、わりと忙しくなって、これも年末が近づいてきているからだろうか。
カーヴァーは「注意深く」に一篇しか読めず。移動中はア・トライブ・コールド・クエストの「We got iti from Here… Thank You 4 Your service」を聴いていた。


12月24日(金)

クリスマス・イブ。だからと言ってどうってわけでもないのだけど、ホセ・ジェイムズが今年リリースしたクリスマス・アルバム「Merry Christmas from Jose James」を聴いたら、意外と気持ちがフワッと浮いた。
ご飯を食べた後、久々に飯田橋にあるBar Meijuに行ったらやっぱり良い空間で、また近いうちに行きたいな、ギンレイホールで映画を観た後に立ち寄るのがいいかしら。キルホーマンをロックで飲んだのだけど、とても美味しかった。でも次行く時はカクテルをお願いしてもいいかもしれない。
今日はカーヴァーは読まずに、電車の中では「富士日記」を読んでいた。その代わり家に帰ったらカーヴァーを読もうと思っていたけど、何だかもう眠くなってきてしまった。もう2時半だ。


12月25日(土)

昨日返せなかった色々な連絡を朝返そうなんて頭では考えるけど気持ちと身体が付いてこなくて、だったら観劇前にカフェにでも寄ってそこでお返事しようということになり、下北沢の駅の近く、というか駅の上のスタバでまとめて色々とお返事をした。気持ちが乗りさえすれば業務連絡とかそういうのはそんなに苦じゃなくなるんだけど、逆に気持ちが動き出さない時はもう全然ダメで、どんどん連絡を先延ばしにしていってしまう。フリーの俳優としては重大、とまではいかなくとも小さくはない欠陥だ。今日のお昼のスタバでは気持ちが乗れて良かった。鳥取に一緒に行っていて先月のガレキの太鼓を観に来てくれた女優のもとちゃんから差し入れ代わりに頂いたスタバのクーポンでドーナツを食べて、そのキャラメルなんちゃらドーナツが美味しかったのも良かった。
観劇は下北沢OFF・OFFシアターでマチルダアパルトマン(という劇団)。11月に僕が出演したDULL-COLORED POPの「TOKYO LIVING MONOLOGUES」は完全ダブルキャストの公演で、僕と同じ役を演じていた宮地くんがマチルダアパルトマンの劇団員でもあり、彼にご案内頂いたので観に行くことにした。正直最初の3分か5分かそれぐらいは、この芝居今僕が観たいやつじゃないや……なんて考えていたのだけど、そのうちにどんどん面白くなって僕は引き込まれて、物語の終わりの方ではかなりグッときてしまっていた。芝居を観ながら、僕は自分の大学時代のこととか、つまりそれはほとんど早稲田大学演劇研究会のことであって、そこで出会った人のこととか印象的だった光景のこととかを自然に思い出していた。良い演劇体験だった。
その後は西新宿のスタバに行って、またぽちぽち連絡を返したり、カーヴァーの「大聖堂」を開いて「列車」という短編を読んだりした後、思い出横丁のかめやで天ぷら蕎麦を食べた。かめやには週に1回か2回は行っていて、行く時はいつも天ぷら蕎麦を食べた。それからはDUGの遅番。クリスマスの土曜だからかなり混むかななんて思っていたらそこまででもなく、でも暇というほどでもなくという一日だった。帰りの電車でカーヴァーの「熱」を読んだ。
そして今日はエスペランサ・スポルディングの「Esperanza」を聴いていた。2008年のアルバム。形態としてはオーセンティックなジャズといっても差し支えない感じなんだろうけど、でもそこかしこで現代的なセンスがきらきら光っているようなアルバムで、僕はとても好きだった。何より聴いていて楽しかった。まぁ現代的といってももう10年以上前のアルバムではあるのだけど。
「富士日記」を少しだけ読み進めてから寝よう。

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