日記⑤
やる気を出す方法を教えて欲しい。
今日からネタ合わせを再開することになっていた。実に20日ぶりくらいだ。
自粛していた間は何もしていなすぎて、流石に焦りやフラストレーションが溜まっていた。
なのでネタ合わせが始まったら死ぬほど練習してやろうと思っていた。
しかしいざ集まると、本当にやる気が出てこない。とんでもなくボロボロの、和式ばっかりの公衆トイレの水道の勢いくらいでしか出てこない。
あまりにも出ないので、好きな精神科医が出していた「やる気を出す方法」みたいな本も読んだ。読み切った自分に拍手を送り、その後は何もしていない。
よく「無駄な努力なんてない」みたいなことを聞く。絶対にそんなことはないと思う。私は無駄な努力が1番嫌いだ。
例えば鼻くそを食べる習慣が幼稚園の時から抜けてない人が、鼻くそを食べないように努力をしたとしても、意味が無い。別に食べたっていい。
もっと言うと「効率の悪い努力」が嫌いだ。だから「もっと効率のいい最善の方法があるのではないか」と思ってしまう。
これは本当によくないと思う。1歩進むやり方があったとしても、私は「きっと2歩進むやり方があるはずだ」と、0歩で立ち止まってしまう。
1歩進みながら2歩進むやり方を探すべきなのだろうが、「もし2歩進むやり方を見つけた時の、1歩ずつ進んでいた時の自分」を想像すると不憫でそれができない。
思えば環境が良くなかったと思う。みんな人生のどこかしらで努力する術を身につけている。
しかし私はその機会がなかった。中学時代は義務教育にかまけて宿題をやらなかったし、高校時代は勉強をしなくとも点数が取れるレベルの高校だった。
一夜漬けは何度も経験したが、コツコツ努力をしたことが無い。
大学受験も夏休みの1ヶ月だけ短距離走をして、そこからは見事にダラケた。センター試験の英語を読んで、「アルファベット見るの久しぶり!」となった事を覚えている。結果は散々で夏の模試より低かった。
部活も努力をした記憶がない。テニスは打ってるだけで楽しかったのでラケットを握っている時間は長かったが、走ったりなどつまらない練習は避けてきた。
過去の成功体験というのは自信になる。「あの時頑張れた私はきっと今日も頑張れる」的な感じで努力にもそれが現れる。
だから試合で走る機会もないのに練習ではアホみたいに走る野球部は努力ができる。無駄な努力1位だ。野球部と言っただけで面接官の顔が綻び就活が有利になるのもその理由だろう。
1度無駄な努力をしてみるのも大切なのかもしれない。
ただ、野球部の監督のようにブッチギリで怖い人にやらされないと無駄な努力というのは中々できない。
一人っ子で甘やかされて育った私が23歳になって無駄な努力をするというのは無理な話だ。
めちゃくちゃ借金して怖い人に囲まれれば努力をするのかもしれないが、生憎私はギャンブルが好きではなく極端なお金の使い道がない。
だから身近に怖い人が欲しい。
まぁどうせ根性のない今の自分じゃ、あの手この手を使って逃げるんだろうけど。
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