血液型占い、信じる?信じない?それとも私?

私は占いが嫌いだ。「人の人生を適当に決めるな」と思ってしまう。

なので人の人生に軽々口を出し責任を負わない、占い師という職業も嫌いだ。他の占いが嫌いな人もみんなこの理由だと思う。

ただ、血液型の性格診断はめちゃくちゃ信じる。あれは流石に当たっている。根拠とかはないが、当たっていないとおかしい。

A型は決断力がないし、B型は我が強く、女子高出身は大学でヤリマンになる。

これは占いとは違い、確実に当たっているのだ。

そしてつい先日、私は自分の血液型を知った。

物心着く前の私は極端に体が弱く、不用意に血を抜く事をA型の母親が心配して検査しなかった。

物心ついてからは普通に注射が嫌でやらなかった。

しかし先日ようやっと健康診断をする機会のついでに血液型を調べた。

母がA型で父がAB型の私は、5/8でA型、3/8でAB型、1/8でB型となるはずだ。理系科目を中1で放棄した私の計算だが、おそらく合っている。

それを友人や家族に伝えると、AB型だろうと言われた。私は遅刻もするしだらしない。部屋は散らかりすぎて足の踏み場がないため、ドアから布団までジャンプする。

そんな身の回りからA型は有り得ないとの予想なのだろう。しかし私は絶対にA型だと言い切った。

血液型占いが好きなのにも関わらず自分の血液型を知らない私の、血液型占いへの渇望をなめるな。A型=部屋が綺麗ではない。

A型は几帳面だと思われるが、厳密に言うと違う。適切な単語が語彙力の無さにより思い浮かばないが、A型は「まっすぐが好き」なのだ。

例えばコンビニのおにぎりが1個だけ横を向いている、マンガの7巻だけが抜けている、階段が奇数で右足から始まったのに右足で終わる

そんな事を気持ち悪いと思うのがA型だ。「まっすぐが好き」という言葉が適切かは置いておいて、これは几帳面とは違う。

几帳面とは、調べると「物事を隅々まできちんとする人」のことだそう。たしかに「隅々まできちんと」はA型だ。「まっすぐが好き」というバカみたいな言葉を言い換えるならこれが近い。

しかし、するかしないかは別の話だ。

私は掃除をしない。したくない。しかし、6年に1度くらいする時は、めちゃくちゃ細かくしてしまう。

本の配列、家具の位置、小物入れの中身まで全て気が済むまで整える。

そうなってしまうのがめんどくさいので、掃除をしない。従って掃除をするかしないかまではA型には含まれない。

A型で且つ掃除をする人の事を几帳面と呼ぶのだと私は思う。

ここまで語ったのでお察しかもしれないが、私はA型だった。これによりA型=几帳面を否定できた。

どうだ。自分のことは自分が1番わかっている。AB型だとか言ったヤツらはざまぁみろ。人の人生を勝手に決めるな。

こうして、細かいが取り柄なくせに掃除をしないという使い物にならないA型が誕生した。

B型のようないい意味での無鉄砲さも、AB型のような突飛さも、O型のような社交性もない、A型で右利きの人間になってしまった。

だが自分の理解が間違っていなかったと、少し嬉しかったのでまぁいい。

やっと自分の血液型を知ることができた私は今、すごく血液型の話をするのが楽しい。

みんなが小学生のときに話していた、各血液型の「取扱説明書」の話をもう一度したい。

ちなみに私はB型の人が好きだ。B型は我が強いと揶揄されがちだが、我の強さと社交性や気遣いは別物だ。我を通す場所だけ通して、あとは折れられる。

むしろ社交性という言葉に甘えたO型のほうが苦手だ。社交性があっても、良い奴かどうかは別だ。

つまり、何型だろうと良い奴は良い奴だねって話だった。

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