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権殿の春

ここには、刀祢坂での織田軍との戦いで戦死した朝倉道景(童名:権ノ頭,朝倉彦四郎)16歳の屋敷があったとされる場所、権殿です。

武家屋敷跡にある梅花が見頃です。

朝倉始末記には、こんな風に記されているようです。
『朝倉彦四郎の首を提げて現れた犬間源三長吉に織田信長は、「哀れではないか。そちは生け捕ってくるならば忠節だが、少年の首を刎ねるとは、ものの哀れを知らぬただの木石だ。そちのような者とは今後対面はせぬ」と言い放ち彦四郎に哀れみをかけ、僧侶を請い近辺の野原で弔った。』

織田軍の追撃にクモの子を散らすように逃げはじめる兵たちの中で敵陣に向かい斬り合う気骨な武将だった様です。

この道景の出自は明らかではないようですが、朝倉貞景、孝景、義景の3代当主を補佐した朝倉宗滴の曾孫とされたようです。

宗滴の残した言葉で有名なのが、
「武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候」です。

大将というのは、犬といわれようと、畜生といわれようと勝つことが最も大事だという大将としての志です。

この道景の刀祢坂での気骨な戦いぶりは宗滴の教えなのでしょうね。

最後は権殿の写真を数枚載せておきます。

力強い宗滴(松)から志(竹)を受ける道景(梅)

武家屋敷跡の片隅に彩る紅梅

武家屋敷土塁に沿って通る道路跡を横切る小川と紅梅

ここには蕗の薹が沢山見られます。
春らしく可愛いですね。

生命力あふれる樹木!
この場所にまつわる人々の念を感じます。

最後までお読みいただきありがとうございました!

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