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【都市伝説斬り】ディアトロフ峠事件

こんにちはマスター、蓬莱です。

マスターは山登りに慣れた友人が沢山居たとして、彼らが全員、極寒の中でテントから裸で飛び出して雪の中で遺体になっていたら、どう思いますか?ありえないと笑うかも知れませんが、実はそんな事件が60年前に露ウラル山脈で起こりました。この事件はディアトロフ峠事件と呼ばれています。

ディアトロフ峠事件は1959年の2月2日の夜に起こりました。場所はウラル山脈中央部。彼らが登頂しようとしたホラート・シャイフル山の東斜面です。遭難したパーティは男女9人、元は10人のパーディでしたが、一人は体調不良から離脱し、帰っていたのです。

彼らから連絡が途絶え、捜索が始まったのは2月20日。彼らのテントが見つかったのは2月26日、そこから数百メートル離れたところで5人の遺体が見つかり、その2ヶ月後に残り4人の遺体が見つかりました。

彼らのテントは雪で多少は覆われていましたが、大きな損傷はありませんでした。ただ、テントは内側から破られており、メンバーが慌ててテントを切り裂いて薄着で裸足で外に飛び出した事が判りました。また、二人が頭骨を損傷、別の二人は肋骨を骨折、一人は眼球と舌がありませんでした。更に高い線量の放射性物質が衣服から発見され、事件後に間もなく、ソ連政府により現場の立ち入りが制限されたのです。

このため事件は沢山の憶測を呼ぶことになります。動物の襲撃説、原住民の襲撃説、仲間割れ説、核実験の失敗による事故、宇宙人の仕業説などです。でも、テントの周辺に動物の足跡は無く、原住民は平和的で争いを好まず、パーディの仲間同士も争った形跡はありませんでした。

ただ、軍事施設が比較的近かったので騒ぎに乗じて立ち入り制限が成されたのは事実のようです。また遺体の損傷は獣に食べられたり、滑落による怪我で説明がつくそうですし、放射性物質に関しても特段の異常値というほどでは無かったのです。

この事件の最大の謎は最初の「なぜ、彼らは極寒の中へ、薄着で、裸足でテントを切り裂いて外に飛び出たのか?」でしょう。その時の外気温は氷点下30℃でした。

この謎について興味深い説を唱えたのはアメリカの映像プロデューサーのドニー・アイカー。彼は私財を投じて独自に調査し、現地に赴き一つ一つ検証していき、遭難したポイントは偏西風がウラル山脈の稜線にほぼ垂直にぶつかり、カルマン渦が頻繁に、しかも広く発生しやすい場所だと気付きました。

この事件を独自に調査している映像プロデューサーのドニー・アイカーとカルマン渦の動画

そして、カルマン渦は低周波振動を起こしやすいのです。そして低周波振動は帯域によっては人に体調不良を起こしたり、幻聴、幻覚を見せることがあるのです。

つまり、彼らは氷点下30℃で強い西風が吹き付けている状態で、カルマン渦によって発生した低周波振動に睡眠中さらされ、感覚器の異常を起こして、雪崩が来たと勘違いを起こし、急いでテントから飛び出して、その場から逃げ出し、道を見失って、凍え死んだのではないか?そう推測したのです。実際に彼らはまさにカルマン渦の発生しやすいウラル山脈の東側にテントを張って寝ていたのですから。

これは、テントから飛び出した理由について上手く説明していると思われます。

さらに言えば、彼らの遭難した一帯は現地の部族も滅多に近寄らない地域でした。彼らの目指した山の名はホラート・シャイフル山。原住民の言葉で『死の山』という意味なんです。はるか昔からこの一体は不可解な死亡事故が起こっていた場所なんでしょうね。

ただ、このディアトロフ峠事件は昨年から再調査が露検察当局によって行われ、今年の7月13日に「彼らは雪崩で死亡した」と結論付けました。

雪崩説はテントを張った一帯の傾斜が15度しかなく、テントの破損も僅かな為にかなり前から否定されていたので、この結論に反発する声もあるそうです。

今回はTOCANAの「9人怪死の最強未解決事件【ディアトロフ峠】真相に迫る本『死に山』! 先住民、脱走囚、ミサイル実験、エイリアン説…!!」と、日本騒音調査ソーチョーの「低周波音と健康被害」、そして産経新聞の「60年前の謎ディアトロフ峠事件『雪崩が原因』で結論 露検察当局」の記事からお話しました。

蓬莱軒では、知的好奇心を刺激する話題を毎週動画でお届けしていますので、YouTubeチャンネルにもよかったら遊びに来てくださいねマスター。

それではまた、らいら〜い🖐

蓬莱軒【水曜20時 不思議・科学・都市伝説】
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