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会いたい人

ふと思い出した存在がいる。高校時代よく話した友人だ。

運動神経が良く、頭も切れる。話せば人懐こいが、傍目にはちょっと何を考えているかわからない不思議な表情を湛えていた。中学の頃から存在は知っていたが、互いに「見たことあるけど話したことのない生意気そうな奴で、X(共通の友人)の友達」くらいに思っていた。笑

Xを挟み顔を合わせたとき、何かの話題をきっかけに打ち解け、そこから登下校や休み時間などでともに過ごすことがあったと思う。

進路や関心についても少し似通うところがあった。同じイベントに応募したり、私が途中で変えてしまったが、最初は同じ進学先を目指していたほどだ。

大学進学後、私はごく限られた人以外、高校までの友人と会わないでいたが、Facebookでの繋がりはあった。

少し話題が逸れるが、Facebookの交友って面白いもので、リアルな付き合いがあった人でもFBから離れてしまえばそれまで。一方であまり交流のなかった人でも定期的にFBで見掛ければやはり見知った相手で、友達申請をして、子どもの写真やハネムーンの写真にはいいねを送り合う「薄い関係」が維持される。
これが「人付き合い」として望ましい、意義ある繋がりかどうかは知らない。だが、彼らとの生存報告のやり取りは、リアルで認識する機会がほぼなくなった学生時代が、確かにあったことを確認する行為になっている。必要なことか、空虚なものかの判断は委ねる。

話を戻す。
彼はやや私に似て、順風満帆、線路通りとはいかない日々を過ごしているようだった。更新の頻度は私も彼も減ったが、転機にあたってはやはりFB上で、報告をしたりしていたと思う。

直接LINEやメールをやりとりすることはもはやなく、上の脇道の通りに言えば、互いに学生時代を思い起こさせるFBの1コンテンツになりつつある。

そんな彼のことをふと思い出した。結局卒業後は2度ほどしか会っていない。30代になっても変わらず、あの飄々としていて人懐こい人柄だろうか。

唐突に思い出した彼の思い出も、日に日に薄れていく学生時代からのリマインダーなのだろうか。お前はこういう奴とあんな風に生きていたんだぞ、とか、あの頃何を考えていたか思い出せ、とか。

新年早々、まず顔が浮かんだのは彼だった。会う機会があれば、これまでといまの彼を知りたい。自然にそう思えてくる。彼の人生はきっと、彼自身がそうであるように、インスパイアに満ちているから。

さて、彼は私を覚えているだろうか。笑

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